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その手をとって

「……おかしい? どういうことだ?」

「いや、うまく言えねぇけど……なんか、ちょっと歪んでる? みたいな?」


 よく目をこらして観察してみる。

 ……たしかに、左上の文字が一部、かすれている……?


「でかした、クロフォード。魔法陣にほころびがある。これなら、どうにか突破できるかもしれない」

「へへっ、昔からこういう勘はいいんだよなー」


 クロフォードが得意げに言う。

 どこか調子に乗った口調だったが、それが許されるだけのファインプレーだ。


「問題は、どうやって突破するかだが……」

「難しいですわよ。おそらく、これも相当古い魔法陣ですわ。……創立時代のものとは、少し異なるようですが……」


 さすがは優等生のエヴェレットだ。一発で年代を見抜くとは。

 魔法陣は、その時代ごとに使われる形式が異なる。

 学院の創立は約八百年ほど前だが、この魔法陣はせいぜい三百年前くらいだろう。

 おそらく、魔導戦争後の魔法復興期のものだな。初期ソロモナリエの技術に比べて、どこか粗削りだ。

 だが、創立期には及ばないとはいえ、現代よりよほど力強い構造なのはたしかだった。


「ほころびがあるなら、チャンスはある。破壊までいかずとも、一時的に魔法陣を無力化できれば……」

「無力化……?」


 ヴァレンティアスがハッとしたように言う。


「そうだ! 俺、〈魔封石(ヌライト)〉があるんだけど、これでどうにかできないかな?」

「なんだそれ?」


 クロフォードが疑問を口にする。


「えっと……たしか、魔力を通さない石だったかな。触るとなんかこう、魔力がピタッと止まる感じの……たぶん。あまり詳しくは……いや、たしか父さんがそう言ってた気がするんだけど……」

「つまり、魔力の流れを遮断する性質を持った鉱石ということだ。高濃度の魔力場でも干渉を起こさず、魔導結界や拘束具の素材に使われる」

「そう、それ!」

「おまえ、サントレアに解説させんなよ……」


 自分の持ち物だろ、とクロフォードが呆れたように言う。

 たしかに、試験なら不合格だろうな。精進しろ、ヴァレンティアス。


「なんでそんなもん持ってんの?」

「ほら、俺って〈魔力過剰生成症まりょくかじょうせいせいしょう〉だろ? いざというときは、これを握ってろって父さんが……まあ、お守りがわりかな」

「はえー。おまえも苦労してんだなぁ」


 おーい、盛りあがっているところ悪いが、早くしてくれ。

 一向に話が進まん。


「と、とにかく、その石ならば魔法陣をやぶることができるのではありませんか?」


 エヴェレットが軌道修正した。

 ありがとう。おまえも苦労するな……。


「よし、やってみよう」

「登れんのか?」

「〈体内魔力(オド)〉を身体強化に回せば、たぶんいける」


 ゴトゴトと低い音が壁を揺らす。

 やがて、ヴァレンティアスが高窓から顔を出した。

 わたしと目が合うと、ニコッと笑いかけてくる。


「もう少し待っててな、イザベル」

「……そこの、左上のところだ」


 わたしが指差しで示した部分に、彼は〈魔封石(ヌライト)〉を押しつける――すると。


 バチバチッ!


「うわっ!」


 弾けるような音とともに、ヴァレンティアスが吹っ飛ばされた。


「おい、だいじょうぶか!?」

「あ、はは……平気へいき」


 どうやら、うまく着地したようだ。

 ……しかし、厄介だな。


「アレン、お怪我は?」

「ないよ。ありがとう、エミリー。イザベルも、心配かけてごめんな」

「ぶじならいい。無茶するな」


 わたしのせいで誰かが傷つくのは、本意ではないからな。


「けどよぉ……その、ヌライト? って石でもダメって、どんだけ強力な魔法なんだよ」

「三百年は昔のものですからね……」


 ふたたび、沈鬱な空気が広がる。

 ――だが、わたしにはひとつ、確信があった。


「おそらく、だが……この魔法陣は、一部の回路を阻害しただけでは停止しないタイプだ」

「……悪ぃ、もっとわかりやすく頼む」


 クロフォードから要望が飛ぶ。

 ……仕方ないな。


「つまり、全体を一度に停止、もしくは破壊しなければならないということだ」

「じゃあ、この石ころじゃダメじゃん。魔法陣のほうがデケーもんよ」


 クロフォードが呆れたように言う。


「〈魔法洗浄液(ルーンリムーバー)〉があればいいのですが……あれは三年生で習う魔法薬なんですよね」

「――それだ」


 さすがエヴェレット、いい発想をしている。

 だが、当の彼女は困惑しているようだった。


「え? ですが、今から三年生に頼みにいくのは……」

「いや、そうじゃない。ようは、(かさ)を増やせばいいんだ。たしか、〈魔封石(ヌライト)〉のモース硬度は、大理石と同じで三から五くらいだったはず。……砕けるんじゃないか?」

「そ、そうですわ! 粉末状にして振りかければ……ああ、ですが、道具がありません! せめてハンマーがあれば……」

「――ハンマーならあるぞ?」


 当たり前のように言ったのはクロフォードだった。


「洗うのが面倒で、バッグの中に入れっぱなしだったんだよな。ハンマーも、なんなら乳鉢と乳棒もあるぜ」

「ナイスズボラ!」

「今回ばかりは助かりましたわ」

「いやー、そう褒めるなって」


 おいおい、後でチェンバースにどやされるぞ……。

 いや、おかげで助かったのだから、なにも言うまい。


「とりあえず、ハンマーは俺に任せてくれ。腕力には自信がある」

「あっ、すり潰すのは俺がやる! それ、瑪瑙(めのう)でできてて高いらしいからさ……。それに、力じゃなくて、手をすばやく動かすといいって、チェンバースから聞いた」


 奇しくも、授業で習ったことが活かされていく。

 これまで机上でしか試せていなかったことが、こうして実践に繋がっていくのは気分がよかった。


「じゃあさっそく、この粉を魔法陣に振りかけて……」

「待った。そのまま()いて吸いこみでもしたら危ない。粉塵被(ふんじんひ)ばくで全員保健室行きになりかねない」

「じゃあ、どうすれば?」

「なにかに溶かせばいいんじゃないか? ほら、今日は魔法陣学の授業で筆を使っただろう。あれで液体を魔法陣に塗れば……」


 繊細な筆記技術が要求される魔法陣学では、『マギペン』と呼ばれる〈魔導(マギス)ペンシル〉や、アルミラージやヒッポグリフの毛でできた筆を使用する。

 これらは魔法耐性が強い素材でできているため、魔法薬に(ひた)しても問題ないはずだ。


「それなら、わたくしが〈魔力含有精製水(マギアクア)〉を持っていますわ!」

「さすがエミリーだぜ」

「そういえば、自作の香水とか作ってるよな」


 どうやら、彼女の趣味に救われたようだ。

 魔法薬学の成績は、たまに彼女に抜かされることもあるんだよな……。

 きっと放課後も自主練しているのだろう。わたしも負けていられない。


「じゃあ、今度こそいくぞ」


 ヴァレンティアスが壁によじのぼり、魔法陣に筆を走らせていく。

 薬液をつけた魔獣の毛が滑るたび、魔法陣がほのかに燐光を放つ。

 ――そして。


 パキッ、パリン!


 ガラスが砕け散るような音とともに、魔法陣が瓦解(がかい)した。


「――イザベル!」


 ヴァレンティアスが高窓から手をのばしている。

 わたしは杖を取り出すと、自分に向けて呪文をとなえた。


「――〈浮遊(エーテズ)〉!」


 体がふわりと浮かびあがり、ぐんぐん窓に近づいていく。

 わたしは彼に向かって手をのばした。

 ……助けを求めたのは、久しぶりな気がした。


 ぐっと力強い手に引かれ、わたしは高窓からぶじ脱出することに成功したのだった。


「ぃよっしゃ――っっ!! やりやがったな、アレン!」

「ご無事でなによりですわ」


 クロフォードとエヴェレットも、小躍りするように駆け寄ってくる。

 わたしは繋いだ手をほどこうとした。――が、それを相手が拒む。


「なあ、イザベル。あの事件のこと、調べてるんだろ?」

「……なぜそれを?」

「まあ、見てたらわかるというか……とにかくさ。それ、俺たちにも協力させてくれないかな?」


 思ってもみなかった提案に、わたしはつい返事も忘れて(またた)きした。


「な、なぜ?」

「だってほら、ひとりより四人で調べたほうが、効率いいだろ?」

「だが、おまえらにはなんのメリットもないだろう……それに、わたしと一緒にいると、あまりよくないんじゃないか……」


 つい、尻すぼみな言い方になってしまう。

 反対するであろうクロフォードやエヴェレットをちらりと見る。

 だが、彼らは一様(いちよう)に「仕方がないなぁ」という顔をしていた。


「アレンがおまえのこと信用するって言うからさ。俺は、おまえを信じるアレンを信じる」

「ええ。わたくしたちも力になりますわ」


 信じられない気持ちで、わたしは「……いいのか?」と言うのが精いっぱいだった。


「ま、やられっぱなしじゃ悔しいだろ?」

「こんなふうに他人を貶めるようなやり方、気に入りませんわ」

「……そういうことだ、イザベル。もうだいじょうぶだから」


 ヴァレンティアスの優しい声色が心を揺さぶる。

 わたしは思わずうつむいた。


 ……まったく、バカの仲間もバカだったか。

 わたしなんかにかまって、お人好しにもほどがある。

 だが、そういうバカは嫌いじゃない。


 もう二度と、他人を信じないと思っていたけれど。

 まあ、助けてもらった恩くらいは返さなきゃな。

 そのためには、こいつらのそばにいるのが、一番都合がいい。


「……よろしく頼む」


 ――これが、わたしたちの始まりだった。


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