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19/28

季節は移りて

 チュパカブラ暴走事件のあと。

 学院側はあれを重大事故と判断し、緊急の職員会議が開かれた。


 ホーソーン教授は、二週間の停職および該当期間の給与停止。

 セイヴン教授は減給一か月。

 それぞれ処分が(くだ)った。


 処分の内容が軽いのは、幸いにして死傷者がゼロだったこと、彼らの日ごろの評価がよかったことなどが加味された結果だという。

 また、即座に生徒らに謝罪していたことも、寛大な措置に繋がったらしい。


 わたしとしても、彼らがあまりに重い処分を下されなくて、ほっとした。

 あの事件は、わたしにも責任があるからな。


 ともあれ、落ちつくところに落ちついたことで、あの事件は徐々に風化されていった。


 そして、事件からしばらくが経った。

 季節は夏。

 学院の石畳や芝生の間から、照り返す熱気が立ちのぼっている。

 あちこちからこだまする虫の鳴き声が、耳からも体力を奪った。


「かゆ……ああ、また刺されてる」

「仕方ない。夏の風物詩だと思え」

「思えねぇよ。俺、世界からアズがいなくなっても、誰もなにも困らないと思う」


 そんなクラスメイトのぼやきが耳に入る。


 アズ。夜間に寝ている者から血を吸う微小な非行生物。

 刺されても命に別状はないが、強烈な(かゆ)みが数日続くことで有名だ。

 この虫のやっかいなところは、微力すぎて結界に引っかからないということ。

 おかげで、夏場は地味にストレスを与えてくる。

 わたしの大嫌いな生き物だった。


 ポケットに忍ばせていた、自作のアズ避け魔法薬を取り出す。

 絶対に刺されたくない。絶対にだ。

 アズは死すべし慈悲はない。

 わたしは魔法薬を親の仇のごとく振りかけた。


「ねえ、ちょっと……サントレアがきたわよ」

「うわ……血まみれイザベル……」

「近づくなよ、チュパカブラのお友だちだぞ」


 そんな声。そんな視線。

 わたしは聞こえないふりをして、足早に校舎へ入った。


 相変わらず、わたしは嫌われ者のままだった。

 いや、あの事件があってから、さらにひどくなったと思う。


 ――今日は魔法薬学の授業がある。

 皮肉にも、それだけが救いだった。

 魔法薬の調合は、わたしにとって静かに没頭できる時間だったから。

 それに、魔法薬学のチェンバース教授は、相手が誰であろうと皮肉を飛ばす。ある意味で平等な人物だ。


 実験室に入ると、つんと鼻をつく薬品の臭いや、なにかが焦げた臭いがわたしを出迎える。

 わたしはすっかり定位置となった、教室の隅にある実験台についた。


 整然と並んでいる器具と素材を観察し、実験ノートと見比べながら、不備がないか確かめる。

 以前、誰かが嫌がらせで素材を一部抜きとったり、器具に細工をしていたことがあったからだ。

 幸いにして実験前に気がついたからよかったが、これが授業中だったら大惨事になりかねない。


 ……よし、全部そろってるな。


 わたしが確認し終えたあたりで、チェンバース教授が教室にやってきた。


「本日は、基本の止血軟膏を作成していただきます」


 低くて冷たい声が響く。


「分量も手順も“少しぐらいなら”の気の緩みが命取りです。完成品が効かない場合は保健室をご利用ください。……もっとも、すでに“顔なじみ”の方もいらっしゃるようですが」


 チェンバースはギロリと例の三人をにらんだ。

 自分たちが毎回爆弾魔と化す自覚があったか、彼らは肩をすくめている。


 ……別に、もうわたしには関係ない。

 うまくいけば、エヴェレットがなんとかしてくれるだろう。


 わたしは視線を手元に落とした。



 やや青みを帯びた鉄黒色の結晶を手にとる。

 鱗片状のそれは、つるりとした金属光沢を放っていた。

 赤鉄鉱(ヘマタイト)。鉄と酸素からなる鉱物だ。

 これを袋に入れ、金床(かなどこ)に乗せてハンマーで小さく砕く。


「小さな破片が飛び散るので、必ず袋に入れてから叩いてください。用務員のフリックさんはあなた方の後始末まで請け負ってはいませんよ」


 チェンバース教授から生徒たちへ注意が飛ぶ。

 たしかに、教室を汚したままにすると、後で清掃するハルじいに迷惑がかかるな。

 孤児院暮らしが長かったわたしにとって、自分の汚したものは自分で片づけるのが常識だが、貴族連中はそうではない。

 彼らにとって、清掃は用務員の仕事であり、彼らの仕事を奪ってはいけないというのが常識だ。だから、わざわざ片づけたりしない。


 でも、「誰かがやるから」と思うと、必要以上に汚すのが人間ってもんなんだよな。

 だからかは知らないが、魔法薬学の授業では、各自の後片づけが義務づけられている。

 危険な素材や薬品をそのままにすると、重大な事故や火災を引き起こしかねない、というのが表向きの理由だが。


 さて、砕いた粒はふるいにかけ、通過した粒は乳鉢へ。

 通らなかった粗い粒は、ふたたびハンマーで叩く。


 それから、瑪瑙(めのう)でできた乳鉢で、さらに細かくすり潰していく。

 目標はたしか、小麦粉くらいの手触りだったか。


「そこ。乳棒は破壊の道具ではありません。粉砕すべきは赤鉄鉱のみです。……その乳鉢と乳棒は瑪瑙(アゲート)製。おそらく君の通学鞄より高価でしょう。扱いには十分注意するように」


 出た、チェンバース節。

 力まかせにガンガン叩いて潰そうとしていたクロフォードが小さくなっている。


「……時間を短縮したいのならば、力を入れるのではなく、手を速く動かすことです。そうすれば、細かくなるのも早いですよ」


 ……こうやって、ちゃんと正しい知識でフォローしてくれるから、なんだかんだ嫌われないんだよな、彼は。

 皮肉屋チェンバース、憎めない男である。


 さておき、ほぼ粉状になったところで、目の細かいメッシュ生地を貼ったふるいを取り出す。

 それに粉を乗せ、ゆっくり指の腹で円を描くようにこすった。

 すっかり赤褐色に変色した粉が取れた。これで顔料は完成だ。


「やだー、手が赤くなっちゃった」

「あはは、血まみれみたい!」

「げっ、石鹸で落ちねー!」


 生徒たちはきゃっきゃとはしゃぎながら、楽しげに実験している。

 しっかりやることをやっていれば、多少おしゃべりしていてもチェンバースは注意しない。……あまりにうるさければ話は別だが。


 そんな彼らを横目に、わたしは黙々と作業を続ける。


 まず、乾燥カレンデュラとヤロウを乳鉢で粉状にした。

 次に、蜜蝋とバルサム樹脂をビーカーに入れ、加熱板で温める。


 蜂蜜のようにほんのり甘い香りと、奥深い樹木の芳香が混ざり合う。

 いつの間にか実験室には、優しい甘さと爽やかな芳醇さが満ちていた。


「いい匂い……」

「これでアロマとか作りたいわよね」


 教室中がうっとりとしている。

 わたしも、思わず手であおいで匂いを嗅いでしまった。


「――そこ。炎は求められた温度を提供するものです。必要以上に情熱を燃やすものではありません」


 そんなロマンチックな空気など知らんとばかりに、チェンバースはビシバシ注意を飛ばす。

 周りより遅れていることに焦ったのか、それとも早く香りを確かめたかったか。

 その生徒のビーカーの中身をよく見ると、少し焦げはじめていた。


「少し頭を冷やしましょう。今の君より加熱板の方がよほど冷静です」

「はい、すみません……」

「焦らずとも、まだ時間はあります。魔法薬師は常に冷静に、ですよ」


 さて、いよいよ最後の工程だ。

 先ほど溶かした基材の中に、これまでの粉末を少しずつ投入。攪拌棒でゆっくりと均一に混ぜ合わせる。

 黄金色の液体が、赤褐色のなめらかな練薬へと変わっていった。


 最後にこれらをガーゼで濾過(ろか)し、冷ましてから容器に移す。

 ロット番号と製作者名を記入したシールを貼って提出すれば、今日の課題は終わりだ。

 完成した軟膏は落ち着いた光沢と、薬草と樹脂のほのかな香りをたたえていた。


「各自、使用した器具は洗って返却するように。きれいに洗っていなければ減点とします」


 掃除を終えた生徒から、ぞろぞろと教室を出ていく。

 わたしは軟膏こそ一番に完成していたけれど、清掃で遅れをとっていた。


 やはり、手分けして協力できる生徒たちは有利だな。

 ……まあ、わたしには関係ない話だけど。


 わたしは鬱屈(うっくつ)した気分になりながら、教室を後にした。


「次はたしか、魔法陣学の授業だったか。筆の準備は忘れてないよな……」


 背中に絡みつくような視線を感じながら、わたしはふり切るように歩いた。


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