その夜、世界は終わった
その夜、わたしはペンダントを見つめながら、満ち足りた気分で部屋に戻った。
「なんだっけ……ナミ、いやナム……? 『鍋いる? ママ、晩餐する』……」
教わった呪文を忘れないよう、ぶつぶつとつぶやく。
始めから間違っているので、どうしようもないのだけれど。
昼間のざわめきが嘘のように、今は静かだ。
人間に取ってかわるように、虫たちがシャンシャンとさざめいている。
まだ興奮が冷めやらず、わたしは窓を開けて外を眺めた。
美しい満天の星が瞬いて、まるで祝福してくれているようだった。
「ねえ、みんな。わたし、七歳になったよ」
風に乗せて言葉を届ける。
《オメデトウ》
《ヤア、メデタイネ》
どこからともなく声がする。
さわさわ、と応えるように草木が揺れた。
こうして静かなところにいると、目に見えない誰かが返事をしてくれる。
きっと精霊の声だ。このころのわたしには、こういうふしぎな力があった。
「お母さまがペンダントをくれたの。〈乙女の涙〉って言うんだって。乙女って、ひょっとして〈春の娘〉のことかなぁ?」
《エン・ヘドゥ》
「え……?」
《エン・ヘドゥ》
《エレシュ・ディンギル》
「なに……? なんて言っているの?」
突然、よくわからない言語で語りかけられて混乱してしまう。
すると、声はふたたびグランディア語に戻った。
《ナニカクルヨ》
「えっ」
《コワイ》
《コワイノガクルヨ》
《ニゲテ》
ざわ、と夜の気配が変わる。まるで静寂を油絵具で塗りつぶすように。
ハッと遠くのほうを見ると、たくさんの灯りが連なっていることに気がついた。
なんだか蟻の隊列のようだ。
いや、違う。よく見ればそれは、魔導ランプの灯りだった。
嫌な予感がして、わたしは急いで廊下に出た。
隣の〈侍女控室〉にエルシーを呼びにいくが、こんな時にかぎって持ち場を離れているのか、反応がない。
おそらくまた他の使用人に呼ばれたか、明日の支度でもしているのだろう。彼女の働きぶりが仇となった。
仕方なく、今度は母の寝室に向かった。
夜中にも関わらず、母は快く部屋に迎え入れてくれた。
「どうしたの、イザベル。こんな時間に……」
「あの、あのねっ、お母さま。変な人たちが、この屋敷に向かってきてるの。窓から見て、早く」
わたしが急かすと、母はすぐさま窓の外を確認し、それからサッと顔色を変えた。
――その時だった。
「王国魔導律局の監査である! 全員その場から動くな!」
夜の静寂を切り裂くような怒号だった。
続いて、なにかが魔法で弾き飛ばされるような轟音が響く。
わたしは恐ろしさのあまり、凍りつくように動けなくなった。
そんなわたしを、母が優しく抱きしめて言った。
「大丈夫よ。イザベル、お屋敷の秘密は覚えている?」
「秘密……?」
「ほら、あの古い納戸の奥のこと」
そういえば、前に父から教わったことがある。
「イザベルは隠れていてちょうだい。いざとなったら……わかるわね?」
「うん。わかったわ、お母さま」
母はもう一度わたしをぎゅっと抱きしめると、今朝教えてくれた呪文を、もう一度唱えた。
……今となっては、どうしても思い出せない。
母は扉から出て、「なにごとですか!」と声を張りあげた。
廊下の向こうでは、金属靴を踏み鳴らす音や怒鳴り声が交錯している。
「屋敷のすべての出入口を封鎖せよ! ネズミ一匹逃すな!」
やがて、バンッと大広間の扉が蹴破られる音がした。
「サントレア侯爵夫妻。あなた方を禁術研究および王国魔導倫理違反の重大容疑により拘束する」
冷たく事務的な男の声だった。
わたしはいても立ってもいられず、こっそりと部屋を抜け出して、吹き抜けのバルコニーから下をのぞいてみた。
黒衣の査察官と、大勢の近衛兵たちが、両親を取り囲んでいた。
だが父と母は、決して動揺を見せなかった。
「心当たりがまったくございません。我々の研究は、誰に恥じるものでもない」
「書斎に記録がございます。きちんと調べていただければ、ご理解いただけるはずですわ」
だが、査察官は薄く笑っただけだった。
「その書斎にある記録に、禁術に関わるものが記載されていたと内部告発があったのですよ」
「バカな……」
両親も、そして使用人たちも絶句している。
――どういうこと?
わたしは混乱した。
屋敷の誰かが、嘘をついたということ?
査察官は手にしていた紙を読みあげた。
「王国禁術防止法第十三条、ならびに王国対禁術研究法第二号に基づき、サントレア侯爵夫妻は禁術研究・魔導倫理違反の重大容疑により拘束する!」
「お待ちください! 我々は禁術など研究していない、これは何者かの罠だ!」
「民のため、古代の記録の復元に尽力していただけでございます!」
「その言い訳は王都の裁判所でどうぞ。証拠はすでに押さえさせてもらいました。あなた方の爵位は、この瞬間をもって剥奪、家門は解体されます」
わたしは頭が真っ白になった。
兵士が両親を拘束するのを、ただ黙って見ていることしかできない。
何人かがこちらに向かっているのを見て、ハッと我にかえったわたしは、あわてて居住フロアにかけ戻っていく。
――廊下の角から、にゅっと白い手が伸びてきて、わたしの口をふさいだ。
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