3.少女、初めての推理
さて、所変わって怜はいつもの場所に戻り、地面にしゃがみ込み人差し指を土に突き刺していた。
早速、先ほど台所でくすねてきた塩と土を、土力を使って混ぜているのだ。
荻原家の屋敷は広けれど、当然のように怜の部屋は用意されておらず、怜はいつも屋敷の端っこの“し尿処理場”の真横にある倉庫で寝泊まりしていた。
し尿処理場なんて場所に荻原一族が近づくはずもなく、用がある度に水力を使った“泡”で屋敷に呼び出されている。
一族の長女としてはあまりにも惨めな待遇である。
(そういえば、先ほどの「また後で」とは、どういう意味だったのだろう)
土をかき混ぜる力を弱めずに考える。大貴族様がこのような場所に足を踏み入れるとは考えられないし、また“泡”で呼び出しでもあるのだろうか。
(どちらにせよ、変なことに巻き込まれませんように…)
そう考えていた矢先、後ろから例の女性の声がした。
「よお、先ほどぶりだな。まったく、面白いところにおるなあ」
またもや土力の術に引っかからない突然の出現で、怜は肩をびくりと震わせた。
「先ほどは名も名乗らず失礼した。私の名前は鷲須 響という。
お前さんの名前も聞いてもよいか?私が推測するに、お前さん、荻原家の長女なのだろう?」
怜は、今度は違う意味で肩をびくりと震わせた。ここで嘘をついても意味はないだろうと判断し、素直に答える。
「はい、おっしゃるとおりでございます。私は荻原 怜、荻原家の長女でございます」
「母親が違う……といったところか?本当につまらないことをする奴らだな」
妹、一花との扱いの差を言っているのであろう。綺麗な眉を近づけて、嫌悪感をあらわにしている。
しばらく沈黙が流れたのち、鷲須は突然ぱんっと両手を叩き、さて、と話し始めた。
「私がここに来たのは、先ほどの話の続きをしたかったからだ。先ほどの土力の術は実に見事だった。
他にも“いろいろ”できる、とのことだったが、例えば何ができる?」
先ほどの嫌そうな顔とは一変し、期待に胸を躍らせたようなまなざしで怜を見つめる。
(顔に全部出る人だなぁ)
だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
「そうですね、例えば土の温度や湿度を調整し、作物に最適な環境を作り出すことができます。
他にも、土の水分量を調整し、土の器を作ることや、小さいですが土人形を作って動かすことなどもできます」
「おう、おう!面白い!では例えば、”これ”の持ち主が分かったりなどしないか?」
そう言ってどこからともなく、大きな石を取り出した。その石の真ん中には赤茶色のシミがくっきりついている。
「それは、血痕でございますか?私が触ってもよろしい物でしょうか?」
怜は、まず確認した。
「そうだ、触っても問題はない。悲鳴でもあげるかと思ったが冷静じゃないか。ますます気に入った」
鷲須は、重いから気をつけなさい、と両手を添えて血痕の付いた石を怜に渡す。
「これは、先日王宮にて暴力事件が起こった際の凶器だ。幸い死亡者は出なかったものの、やられた者は大けがをして未だ寝込んでいる」
「その者は犯人の顔を見ていないのですか?」
「ああ、残念ながら背後から一撃だ。才力を使った犯行であれば、私の神力にて痕跡が追えるのだが…」
(わあ、この人さらりと神力って言ったよ…神力が使える人、初めて見たなぁ)
全く自慢するわけでもない鷲須の言動に、怜は少し好感を持った。
(能ある鷹は爪を隠す、いや鷲か)
などとしょうもないことを考えていたら鷲須が次の言葉を続けた。
「ただ、今回の事件では、どうやら才力は一切使われておらず、まったくお手上げ状態なのだよ」
鷲須は正直、猫の手でも借りたい…と呟き、ちらりと怜をみた。
「少し、試してみたいことがございます。こちらの石に土をかけてみても構いませんか?」
「土、か。構わないが何をするつもりだ?」
言葉で説明するよりも実際に見てもらった方が早いと考えた怜は、鷲須の質問には答えず、少々お待ちくださいと倉庫へ向かった。
「お待たせいたしました」
倉庫から戻ってきた怜は、灰色の土と柄が折れた筆を手にしていた。
「それでは、失礼いたします」
と鷲須に一声かけ、怜は手に持った土を石の上に撒き始めた。鷲須は怜の予想外の行動に眉を少し動かしたが、止めることはせず静かに見守っている。
石の表面が見えなくなるほどの土をかけたら、次に先ほどの壊れた筆でせっかくかけた土を丁寧に落とし始めた。
「邪魔をしてすまないが、そろそろ今何をしているか教えてくれないかい?」
たまらず鷲須は怜に声をかけると、怜は話し始めた。
「どうやら、人の指の腹には、人それぞれの紋があるようなのです。
指の紋は、目には見えなくとも、拭き取らない限りはそこに残ります。ですので、この粒子の細かいこの土を上からふりかけ、払い落とすことでその紋を目に見えるようにしております」
鷲須が感心して言葉を失っていると、怜はここからが面白いのだ、とばかりに語気を強めて話を続ける。
「この粒子の細かい土は、私が土いじりをしていた際、たまたま地中奥深くから見つけました。まず、見た目が通常の土とは異なります。土力を使って調べてみると、どうやらわずかに金属を含んでいるようなのです。そのため、作物の栽培にはあまり向きませんが、通常の土よりも水分や油分との相性が良いのか、混ぜて固めると通常の土よりも固く………っと、失礼いたしました、長々と話しすぎました」
怜は自分が話しすぎたことに気づき、口を止めて鷲須を見た。
すると鷲須は何とも嬉しそうに目を細めて怜を見ているではないか。
「失礼なものか。非常に貴重な話を聞かせてくれて、どうもありがとう」
あまり人からお礼を言われることに慣れていない怜は、急にぎこちなくなり、こっ、こちらをご覧ください!と石を指さし無理やり話題を変えた。
「このように、指の紋に付いている油に細かい土が吸着し、形が浮き出てきます。この石に触れたのは何人くらいかわかりますか?」
「おそらく、それほど人数はいないと思うのだが、少なくとも私とお前さんと犯人は間違いない」
鷲須は、そう答えながらも目線を石から外すことなく、浮き出てきた指の紋の形をまじまじと見ていた。
「恐れながら、鷲須様。中指に傷跡はございますか?」
私はこの通りございません。と怜は手のひらを鷲須に向けて開く。
「石に触れた正確な人数は分かりませんが、このように両手で左右から石を掴んだような形で、中指の紋に真っすぐ線が入った指紋がございます。
私でも鷲須様でもないとすると、犯人の紋である可能性があるかと。
………私が分かるのはここまでになります」
怜はおずおずと頭を下げた。
(この方は、犯人を特定できない私にがっかりされるだろうか…)
普段から誰にも期待しないことを意識していたため、自らに沸き起こる承認欲求に少し驚く。
「力になれないなどまさか!!すぐに中指に傷のついた者がいないか、関係者を調べさせよう」
鷲須は怜の両肩を力強く抱き、嬉しそうにそう告げた。
その後、どこからかカラスのような鳥を出現させ何やら言づてをし空へ放ってから、怜の方へ向き直った。
「実に素晴らしい。才力もだが、考え方が見事だ。褒美を渡したいのだが、何か欲しいものはないかい?」
「欲しい物…ですか。あまり考えたことがありませんでした」
(願ったところで、どうせ手に入らないのなら、願うだけ無駄なのだから)
怜は、これまでの生活で沁みついてしまった悲観的な考えが顔に出てしまわないように、とっさに下を向いた。
「ふむ。物でなくても問題ないぞ。例えば、怜よ、お前さんは今の暮らしに満足しているか?もっとこうしたい、という希望はないか?」
怜の思考を遮らないよう、十分待ってから鷲須はそう言った。
「願わくば「土」について、もっと多くのことを学びたい、もっと自分の土力の可能性を引き出したい。と考えたことはあります」
怜は顔を上げ、しっかりと鷲須の目を見てそう答えた。
「そうか。分かった」
そういうと鷲須は、先ほど屋敷の廊下で別れた時のように、「また今度な」と一言残して去っていった。
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