2.ずぶ濡れ少女、女当主と出会う
(皆、「土力」を馬鹿にするけれど、私はいい力だと思うのだけど、「水力」や「火力」よりも活用の幅が広いし。ああ、でも「木力」も捨てがたいか…)
どれだけ馬鹿にされても、怜は自分の力を気に入っていた。
ただ、残念なことに「土力」の評価は低い。特に貴族のなかでは、汚い・土臭いと散々な評価だ。
土・水・火だけでなく、怜たちが住まう日野ツ国では、「木」「火」「土」「風」「水」の五つの力、才力が存在している。
平民と貴族を分けるのは、この才力の差と言い切ってもいいほど重要視されており、二つでも才力を有していれば上々の中、怜以外の荻原一族は皆、三つの才力を有していた。
荻原家が伯爵の地位を維持できたのも、この才力があったからである。
ただ、上には上がいるもので、皇族とその血を強く受け継いだ御三家の一族には、「神力」といって五つ全ての才力を有する者もいるらしいが、怜には全く関係のない話である。
(おっと、今日はお客様が来ているから、客間の前の廊下は避けなければ)
びしょぬれで床を濡らしながら歩く姿を他の家族に見られようものなら、何をされるか分かったものではない。
怜は、誰にも会わないように急いで廊下を進んでいたところ、不意に後ろから声をかけられた。
「お前さん、なんでそんなにびしょぬれなんだい?」
「ッッッッッ!」
怜は声にならないほど驚き、恐る恐る後ろを振り返った。そこには、体格が良く美しい女性が立っている。
目じりに刻まれた笑いじわからは、優しさを感じると同時に、どっしりと背筋が伸びた立ち姿は猛々しささえ感じた。
「ほう、その反応………。やはりこの術をかけているのはお前さんだね?」
女性はいいおもちゃを見つけた子供のように嬉しそうににやりと笑って言った。
(ま、まさかばれた?荻原の誰も気が付かなかったのに?いや、そもそも誰だろうか?なぜここに?)
怜の頭の中は驚きと疑念とで大忙しである。
「それにしても大した術だ。これは「土力」かな?お前さん、この屋敷の中であれば、誰がどこで何をしているかすべて把握しているのだろう?それに……、おっと、その前にそのままだと寒かろう」
少し興奮しているのか、矢継ぎ早に言葉を続けながら、パチンと指をはじく。
すると、心地よい風が怜を包み、髪から滴る水は一瞬で止まった。
一方、自分が乾かしてもらったことすらも気づいていない怜は、正直それどころではなかった。
(非常にまずいことになった。完全にばれてる。私が才力を一族に向けて使用していたなどと、奴らに知られれば…)
―――全て女性のいうとおり、怜は自分に害なす家族に極力会わないため、空気中に舞う僅かな土埃を利用して、屋敷内のすべての生き物の位置を把握していた。
だからこそ、この女性が自分の目の前に立っていることが怜には信じられなかった。現に、今も彼女の土力によると、この女性は客間で座っているはずなのだ。
怜は、額に冷や汗を滲ませて、次に続ける言葉を慎重に選んでいた。
それを察したのか、女性は優しく微笑みながら問いかける。
「なあに、他の者には言わないさ。そんなことよりもお前さん、土力を使って他にどんなことができるんだい?」
「い、いろいろでございます」
悩んだ末に出した怜の答えに対し、「いろいろかぁ」と女性は嬉しそうに反芻しながら、さらに質問を続ける。
「ところで、お前さんは一体誰なんだい?名前は?土力の他にも才力があるのかな?その土力の知識はどこで……」
言い終わらないところで、背後から情けない男の声が聞こえてきた。
「鷲須様っー、どちらにいらっしゃいますか?鷲須様ぁ―?」
奥の廊下の角から顔を出したのは、怜の続柄上の父親である男であった。いつもの威張り散らした声色とは異なり、媚びた態度が怜を少し不快にさせる。
(いや待て。この男、今、鷲須って言った?御三家の内の一つの!?なぜそのような身分の方がこんなところに?)
満足な教育を与えられてこなかった怜ですら知っている「鷲須」の名前に、到底脳内処理は追い付かない。
頭の中を様々な疑問が行ったり来たりしていると、男がバタバタと近づいてきた。
「鷲須様、なかなかお戻りになられないので心配いたしました。さあ、お部屋まで案内いたしますので、こちらへどうぞ」
女性には見えない角度から、怜をとんでもない形相で睨みつける。
「いやはや失礼した。とても広い屋敷だったため、好奇心が抑えられなんだ。ところで、この少女は誰なんだい?」
「鷲須様がお気にかける必要のある者ではございませぬ。さあ、こちらへ」
間髪いれない男性の答えを聞いて、鷲須と呼ばれる女性は案内に従ってしぶしぶ歩き出した。
数歩歩いたと思ったら、ちらりと怜を振り返り「また後でな」と口を動かす。
(あ~もう疲れた。早く菜園に戻って、今日のことは忘れよう……)
怜の表情筋はとうに限界を迎えており、片方の口角をひくひくと動かしながらぎこちなく頭を下げた。