婚約破棄された枯れ葉令嬢は超訳の名手【コミカライズ】
枯れ葉シリーズは、枯れ葉と呼ばれる少女のお話です。
話は、それぞれ独立した個別のものとなっています。
「お前との婚約を破棄する。枯れ葉の分際で俺の婚約者でいられた今までをありがたく思え」
婚約者であったカレンナ王国第三王子の冷たい言葉にリアンジュは唇を噛んだ。
望んだ婚約ではなかった。
それでもリアンジュは、いずれ結婚する相手なのだからと何とか歩み寄ろうと努力したが、第三王子は最初から最後までリアンジュを容姿のことで蔑み虐げた。
「まったく貧乏くじな婚約だった。姉たちは傾国の美女なのに、みすぼらしいお前なんかと!」
公爵家に生まれたリアンジュには美しい金髪碧眼の2人の姉がおり、華やかな姉たちと並ぶと茶髪のリアンジュは、花のなかに枯れ葉が一枚まざったように見えて、〈枯れ葉令嬢〉と囁かれていた。姉たちが美しすぎるだけで、リアンジュとて可愛らしい顔立ちなのに。
本来なら姉のどちらかが公爵家の後継となる予定であったが、その美貌ゆえに他国の王族に熱望され、末子のリアンジュが継嗣となっていた。
そのため王家から第三王子を婿とするべく、リアンジュは第三王子を婚約者として押しつけられていたのだ。
王家とほぼ同等の権力も財力もある公爵家にとって、王家との結び付きの利はほとんどなく難色を示したが、国王は寵愛する側室の子である第三王子との婚約を王命として強要したのが2年前のことである。
「俺はこの優しく美しいフローラと結婚する。フローラはお前と違って不気味な目の色もしていない、お前と違って俺に敬意を払って常に褒め称えてくれる、すばらしい女性だ」
場所は、隣国の王族を歓待するための王宮でのパーティーであった。
15歳のリアンジュの後ろには、その隣国の王族へ嫁ぐ予定の長女が、右側には別の隣国の王族を婚約者とする次姉が、左側には公爵である両親が。ちなみにリアンジュたちの母親である公爵夫人は違う隣国の王女である。
つまり、このカレンナ王国を囲む三国同盟が公爵家を中心に成り立っていることを第三王子は気がついていなかった。
リアンジュが枯れ葉ならば、第三王子は顔だけ王子として有名なのだ。そう、顔は側室の母親譲りで太陽のように美しい。それ故に国王は第三王子を溺愛して、リアンジュも王子の美貌に一目で恋するだろうと安易に考えてしまったのだ。
公爵家の重要性を理解していながら、第三王子をリアンジュの婚約者にしたことが国王の大きな失敗であった。
「かわいいリアンジュの婚約は王家からの申し入れであった。王命であったのだ」
公爵が第三王子に笑いかける。一重まぶたの細い目が糸のようになって、非の打ち所のない貴族の微笑を浮かべる公爵は笑っているが笑っていない。
「公爵家と王家との亀裂は、王国の争乱にたやすく繋がる。だから王国の民のために我慢してやっていたのだ、わかるか、こぞう? その勉強嫌いなカスカスの頭で、どれだけ我が家が我慢してどれほどリアンジュが耐えてきたのか、わかるか!?」
「こ、公爵! 不敬だぞ!」
「はは、不敬? 不敬とは敬うべき相手に対して失礼な言動をすることだ。どこに敬うべき相手がいるのかな? わたしの目の前には浮気ばかりする頭の軽い猿がいるだけだが?」
「まあ、お父様。猿は知能がなかなか高いと聞きますわ。猿ではなく蟻レベルでは?」
うふふ、と人の姿をした薔薇のように長女が微笑む。
「まあ、お姉様。蟻は働き者ですわ。公務もせず遊んでばかりなのですから、蟻ではなくミジンコでは?」
宝石のような青い瞳を煌めかせて次女がにこやかに微笑む。
「猿……」
「蟻……」
「ミジンコ……」
切れ味抜群と公爵派の貴族たちはうんうん頷き、それ以外の貴族は真っ青になっている。第三王子は怒りに真っ赤だ。
リアンジュの姉たちは美貌もだが性格も人外かと思うほど容赦がない。しかし、そこがいいと婚約者たちは姉たちに首ったけなのだから、人の好みというものは恐ろしいとリアンジュはぷるぷるしていた。
第三王子に愛情はもう欠片もないが、それでも姉たちと敵対するなんて無謀すぎる、と情けをちょっとだけかけてしまうリアンジュである。
「お父様、お姉様、私は大丈夫です。もともと恋も愛もない方でしたもの」
少し言い方は酷いがリアンジュなりに第三王子をかばっているのだ。
「第三王子殿下は、欲と俗気が強く脳内にバラ色の雲がプカプカしているだけなのです。礼節を守ったり態度を整えたりするのが苦手なだけなのです」
繰り返すが、リアンジュなりに庇っているのである。
「お、お前らっ、無礼であるっ! 全員、縛り首だっ!」
激昂した第三王子の怒鳴り声が響く。
ひっ、と成り行きを見守っていた周囲の貴族たちが息を呑んだ。
反対に公爵派の貴族は嘲笑を浮かべている。彼らは公爵家と王家との力関係を理解していた。公爵が是と言えば三国が協力して、カレンナ王国を踏み潰すことも容易であることを。
「まあ! 縛り首? 縛り首が希望なのね?」
長女が百合のような白い手をあわせた。
「まあ! お姉様、縛り首はダメですわ。もっと長く、最低でも2年は苦しんでもらわないと。毒実験の被験者はいかがかしら?」
次女が黄金のような髪をゆらして小首を傾げる。
王命という権力で公爵家に従うことを強制したのだから、王家よりも力があるものには逆に王家が服従するべきでしょう? と長女も次女もホホホと上品に笑っている。
その時、国王が足を縺れさせながら駆けつけた。
すでに報告を受けて顔色が土色に変わっていた。
「こ、公爵。すまぬ、王子は若いゆえに過ちを」
「謝罪はいりません。婚約は破棄いたします」
国王の言葉を途中で遮ることこそ不敬であるが、公爵はもはや国王に目もくれない。
2年もあったのだ。
デキの悪い第三王子を矯正するなり、最悪は廃嫡するなり、国王として方法は幾らでもあったはずだ。第三王子のためにも。愛しているから盲目的に許すのではなく愛しているならば親として、きちんと第三王子を正そうとすべきであった。
「我らはこれにて失礼いたします」
国王に礼すらとらず公爵は扉へと足を向けた。
ザザザッ、と波が寄せるように公爵派の貴族たちが公爵一家を取り囲み、眼光鋭く道を確保する。
「ま、待ってくれ! 頼む、頼む、公爵! 衛兵、公爵を止めるのだ!」
しかし動いた衛兵たちは、逆に国王に向かって剣を抜き公爵一家を守る位置に立つ。すでに軍部は公爵の手中にあった。軍部のトップである王弟と公爵は秘密裏に契約を結んでいた。婚約期間の2年の間に公爵は、万全の策をカレンナ王国中に蜘蛛の巣のように張り巡らしていたのだ。
第三王子がリアンジュを心から愛するならば婿に、そうでないのならば磨り潰す、公爵は最初からこの二択しかしていなかった。
公爵たちが去った、精霊のレリーフが優雅に並ぶ広い舞踏会場には茫然とする国王や貴族たち、未だ事態をのみ込めていない第三王子が立ちすくんでいた。
天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアの輝きが、キラキラと光を撒き散らして王家の未来に空虚な飾りを添えているようであった。
この後まもなく国王は退位し第一王子が即位して王弟の長女が王妃となり、第三王子は廃嫡幽閉となった。
公爵家には王領の半分と莫大な謝罪金が支払われ、幾つかの密約が公爵家と王家との間で結ばれた。これにより新たな国王に対して臣下の礼を公爵がとり、かろうじてカレンナ王家は面目を保つことができ貴族の離反を防ぐことができたのだった。
それでも貴族たちが王家への挨拶よりも、背後に三国同盟を持ち広大な領地がさらに地に尽きることないほど広がり軍部を派閥でかためる公爵家への挨拶を重要視することは公然となった。
ゆえにリアンジュは軍部と公爵家の蜜月を示すために、軍のトップである王弟の次子ルシリスと婚約をすることになったのだった。
ルシリスは軍人らしく精悍な偉丈夫で文武に優れ、鍛え上げられた筋骨隆々な厚みのある身体は巌のようであった。
「ルシリス様、私はリアンジュと申します。よろしくお願いいたします」
「ああ」
「ルシリス様、お茶はいかがですか? 本日は薬草茶なので少し苦味がありますね」
「ああ」
「ルシリス様、散歩をしませんか? 庭に小鳥が来ているのです」
「ああ」
「ルシリス様、今度お昼をご一緒しませんか? お忙しいならば軍にお昼をお持ちします」
「……ああ」
ああ以外しゃべらず、じっとリアンジュを見つめるだけの新しい婚約者に挫けず、リアンジュは一生懸命に話しかける。まるで魔王にレベル1のひのき棒で戦いを挑むか如く果敢に。
すると、しばらくしてリアンジュはルシリスの「ああ」に微妙な違いがあることに気がつくようになった。
発音や息の切れ目、声の上がり下がり、同じ「ああ」でも音調や抑揚が違う。
リアンジュは俄然はりきって、さらにルシリスに喋りかけるようになった。
「ルシリス様、昨日はお庭に花を植えましたの。庭師に手伝ってもらって、スコップでザクザクしてお水をかけて。咲くのは1ヶ月後なので毎日お水をあげますの」
「ああ」
「ルシリス様、今日はお菓子を焼きましたの。料理人に手伝ってもらって。このお菓子ですの。どうぞ召し上がって下さいませ」
「ああ」
「ルシリス様、明日は観劇に行きますでしょう。その前に少し遠回りして中央広場を通ってもよろしいでしょうか? 中央広場の並木に花が咲いたのでご一緒に見たいのです」
「……ああ」
今の「ああ」は嬉しいの「ああ」ね、リアンジュは脳内で「ああ」を変換する。
そう、リアンジュは「ああ」の超訳に目覚めたのだ。
ルシリスの「ああ」を、嬉しい、悲しい、楽しい、嫌だ、義務だ、など色々と超訳して会話を繋げルシリスの気持ちに配慮して振る舞う術をリアンジュは獲得したのである。
そこにリアンジュの願望が多々入っているとしても、言っていることも言われていないことも読み取り円満な関係を築く、そのことにリアンジュは成功したのだった。
今の「ああ」の意味もわかるわ! と会話中にリアンジュが心の中でぴこぴこぴこぴこ飛び跳ねているなんて、ルシリスは気付いていない。
ルシリスは言葉もろくろく出ないほどに、一目惚れしたリアンジュを可愛い×一億とばかりに、ひたすらじっと見つめているだけなのだから。
今日も可愛い、毎分毎秒かわいい。
リアンジュの脳内が超訳ならば、ルシリスの脳内は可愛いに染まりきり、口をひらけば可愛いが零れ出るので「ああ」しか言えないのである。
けれども、ある時。
いつも明るく健気に話しかけてくるリアンジュの表情が暗かった。沈黙。会話がなかった。
立ち並ぶ木々から零れる木漏れ日も、木陰も、風に揺れる葉陰も、庭園で競うように爛漫と咲く花花も、花から花へ星の軌道を巡るみたいに翔ぶ蝶も、常と同じく美しいのに。リアンジュは花の盛りをすぎた向日葵のように頭を垂れて、黙ったまま元気がない。
緊急事態である。
ルシリスにとっては天が落ちてくるよりも重大事件であった。
ついに愛想をつかされた? 「ああ」だけの婚約者に挫けず頑張ってこられたけれども、ついに? 公爵家でお茶会中だったので、周囲のメイドたちや侍従たちがおろおろと顔色をかえる。
ルシリスも蒼白だ。
可愛いすぎて「ああ」しか言えない、などと甘えたことをいっている場合ではない。
ガタンッ、と勢い良く席を立つとリアンジュの前に跪き華奢な手をぎゅっと取った。
「すまない。リアンジュが可愛すぎて声が出なかったのだ。「ああ」だけではダメだとわかっていたのに。すまない、改めるから捨てないでおくれ」
自分よりも8歳下の少女にすがりつく。
「愛しているのだ。心から愛しているのだ。リアンジュがもはや俺の心臓なのだ。リアンジュが俺を生かしているのだ。失っては生きていけない」
「……愛されていることは存じております」
恥ずかしげに頬を花のように染めてリアンジュが呟く。
「「「「えっ!?」」」」
驚愕の声をメイドと侍従が思わず上げた。
「ああ、だけだったのに……?」
ルシリスも驚きに目を見開く。
「かつての婚約者が私を見下す方だったので、ルシリス様との違いがはっきりと判定というか理解というか、その、できまして」
リアンジュは耳まで赤くして言葉を綴る。
「ルシリス様の眼差し、態度、表情、その手まで全てが私に優しくて……。私、嬉しくて嬉しくて、だから必死でルシリス様の「ああ」を正しく判断しようと頑張りましたの」
ルシリスは歓喜のあまり、ああ、と目を見張った。
それはリアンジュには、幸せだと聞こえた。
喜びに震えるルシリスだが、ハッと表情を引き締める。
「では何故、今日は……?」
「ごめんなさい。先日のお茶会で、私、目の色のことを知人の令嬢に指摘されて……」
しょんぼりリアンジュがうつむく。
「私の目は赤いので、昔から不気味だと言われることが多くて。もし赤ちゃんが生まれた時、私と同じ目の色だったらと心配になってしまって」
よし、その女は一族郎党ごと処分をしよう。
ルシリスは背後の部下に視線を送ると、静かに部下が姿を消した。
公爵家のメイドと侍従も後ろ手で合図をして、配下を動かしている。
「可愛いリアンジュ。リアンジュの瞳の色は綺麗だよ。大丈夫。じきにカレンナ王国では赤色の瞳を悪く言う者なんていなくなるから」
ルシリスの言っている後半の意味が少しわからなかったが、前半の綺麗はリアンジュに喜びを与えた。
「ルシリス様が綺麗と言って下さるならば、誰に何と言われようと私は背筋を伸ばして立っていられます。ルシリス様、ありがとうございます」
微笑むリアンジュにルシリスは、ああ、と胸を押さえて声を絞り出す。
俺の天使は最高! って聞こえたのだけれども私の願望なのかしら、と思ったリアンジュだった。
読んでいただき、ありがとうございました。