表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幽霊について

作者: INTJ

1人の少女を見かけた。

彼女はじっとこちらを見ていた。

微風や空気とは異なる周期で髪も服も小さく揺れている。

彼女は裸足だった。


見てしまったからには仕方がない。

歩いて彼女に近づく。

彼女は棒立ちに近く、腕はぶらさがったままである。

目の焦点は合ってるようで、目が合ったまま棒立ちを維持している。

「こんにちは」などの挨拶に反応が無い。

かといって、恐れて逃げるでも、硬直してるわけでもなさそうである。

こちらが触ろうとしても、それを拒む行動はしない。

こちらに触れようともしない。

ただ、こちらを見て、立っているだけである。


ああ、間違いない。

彼女は死んでいる。


幽霊を見えるという状態は、幸福なのか不幸なのか?

死後の世界に希望を持てるか、地獄を確信して絶望するのか。


私の場合には、絶望に近い。

彼らは、たまにこうして姿を現す。

しかし、何もしない。

彼らは、何も話さないし、指をさしたり何かを示唆する行動もなく、超常的な現象も起こさない。

ただ、ときたま見えるだけだ。

自分では、これが超能力なのか幻覚なのかわからない。

しかし、経験上、この幻覚後に同じ人物の死体に居合わせる事はあっても、生きたまま会った事はないので、恐らくは超能力的な体質なのだろう、と自分では認識している。


彼らは、浮遊しないし、透過しない。

不思議な事に、物理現象を無視した行動や結果を全く招かない。

人混みで、人や壁を通過せずに、全く衝突や交差が無いまま立ったり座ったり歩いている。

そして、見てるうちに消えもせず現れもしない。

まばたきや、視界の外から見直すと、気付いたらいる。または消えている。

自分自身、幻覚ではないかと疑った理由はそこにある。


幽霊の姿は様々だが、なぜか死んだ時の姿ではない。

例えば、交通事故で死んでも、その時に千切れた腕があったり、そもそも無傷のままだったり、服装すら死んだ時とは異なる場合がある。

基本的に、事故や病気など最後の最悪の姿の幽霊を見た事がない。

これが、幽霊にとってある種の理想像のままなのか、自分がそれを拒否してる幻覚なのか、自己判断がつかない。

例えば、車椅子に座った幽霊を見た事がある。

車椅子自体も幽霊なのだ。

一般的な幽霊の認識も衣服を形成してるので、不思議は無いとも言えるが、自分以外の物質を含めて自分として認識、表出するのは何故なのだろうか。

それでいて、ピアノやギターを弾く、楽器ごと幽霊という類を見た事がない。

彼らは等しく、無表情であり、無言であり、身振り手振りをせず、それでいて硬直せずに呼吸のような微妙な揺らぎがあり、ぱっと見では生者と見分けがつかない。


彼らに触れる事は出来ない。

触れようとすると消えてしまう。

しかも、なぜか目を閉じて普段より長く目を開けていられるようにしてから目を開けたまま触れようとしても、何故か触れる瞬間にまばたきをしたり不意に視線をそらすような事が起こり、その短い時間の目閉だけで、次の開眼で彼らの姿は消えている。

これが自分自身の無意識の何かによる結果なのか、彼らが意図した何かなのか、それはわからない。

だから、突然消えたり突然現れたり、という認識は正しいのだが、たまに不意に誰かとぶつかりそうになる、くらいの偶然性しかない唐突さ。

どう表現したらいいのか自分でもわからないが、不自然さがない、という感じだろうか。


さて、どうして幽霊が見えるのに死後の世界の類に絶望的なのか。

それは先述の通り、彼らは何もしない。

犯罪に巻き込まれても、犯人の自宅の目の前に現れるとか、大切なモノを指差して教えるなど、自分に遺体のありかなどを視線で示すなど、とにかく、何もしない。

恐らくは、何も出来ないのだろう。

見る、見える、見られるだけ。

そんな状態に何の救いがあるだろうか?

仮に幽霊を見える人間にあったところで、意思疎通は皆無である。

だから幻覚であれば良いのに、という考えさえある。


また、恐らく幽霊には期限がある。

というのも、例えば江戸自体の庶民や侍や偉人などを見た事がないからだ。

縄文遺跡にいっても縄文人を見かけない。

仮に不本意な死が幽霊の条件だったとしても、その不本意にも期限があるのだろうか?

それが、当人の自己認識の問題なのか、永久機関が不可能なのと同じ理由なのか、それはわからないが、少なくとも現実を無視した事は全く起こさないし、限界があるようだ。

無意識に定着した人間の認識の限界を思い知るような気もする。


例えば、私はピアノを弾く。

その際、音楽を聞いてるだけなら相対音感=移動ドで、調号(Key)がなんであろうと、長音階か短音階に準じた移動ドで認識が可能だ。

しかし、いざピアノの鍵盤を前にすると、D長調でもDをドじゃなくレと思ってしまう。

楽譜を見ても、D音をドと思えずレと思ってしまう。

だが、鍵盤も楽器も見ずに音を聴いてるだけなら、トニックから歌詞の変わりに移動ドの音階を発音して歌える。

この無意識の定着に今も苦しんでいる。

幽霊とは、そういった状態なのではないか、などと認識している。


彼らが消えた後、見えなくなった後にどうなったのかは、全くわからない。

幽霊が幽霊としていられる理由もわからない。

私にとっては、幽霊自体というよりも、幽霊が成り立つ原因がわからないまま幽霊が見える、という状況が恐ろしくてたまらない。


私は、この少女に何をどうすればいいのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ