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第四章 まだ死なない君

 バタンと、父さんが倒れる音が響く。僕はいつものように、玄関へ向かった。

 父さんは眠っている。血を流しながら眠っているのだ。

 どこかでぶつけたのだろうか。いや、それにしては損傷が激しいな。


 血は止まることを知らず、どくどくと範囲を広げながら流れてゆく。父さんの体温がどんどん低くなってゆく。

 これは転んだのではない。トラックに撥ねられたのだ。

 父さんの首を絞める。


 僕の手が、父さんを殺したのだ。僕のせいではない。僕の意思で、父さんを殺したわけではないのだ。

 母さんが遠くで泣いている。母さんには、僕が殺人鬼に見えているのだろうか。

 それでも構わない。客観的に見れば、それは紛れもない事実なのだから。

 笑みが零れる。笑い声はだんだんと大きくなって、狂っているようなものと化してゆく。

 いや、もともと狂っていたのか。


 分からない。

 ただ、殺して欲しい。僕の手が殺した父さんの手で。

 もっと、救いが欲しい。殺人鬼の僕には、死だけが救いなのだ。

 それなのに、僕はどうして生きているのだろうか。


 僕が視線を自らの手に向けると、赤い血はすぐさま黒いものに変わった。まだ、そんなに時間は立っていないのに。

 僕を取り囲むのは、警察の恰好をしたペンギンだ。つぎはぎの布を赤黒く染めたペンギンが、僕を笑っているのだった。

 僕は自分の首を絞めた。


   ◆


「悪夢だ……」


 毎晩のように悪夢にうなされている僕だが、これほどまで意味の分からない、目覚めの悪い夢はない。

 しかし、なぜか前に見たことがあるような気がする。


「誰もいない、か……」


 この1週間あまり、彩世と一緒に出掛けることが多くなり、ほぼ学校を休んでいるから今更行くのも面倒くさい。

 頭も痛いし、今日はもう休んでしまおうか。


 そんなことを思っていると、スマホにメッセージが届いているのに気づく。差出人は彩世だ。

寝ていたとはいえ、すぐに返せなかったことは申し訳ないな、と思いつつ僕はその内容を確認した。


『今日は、ちょっとあなたと話したいことがあるの。時間、あるかしら?』

 幸い、受信時間は1時間前だ。今から返してもまだ間に合うだろう。

『返信遅れてすまん。いいぞ。場所はどうする?』


 高速フリック入力で送ると、彼女からはすぐ言葉が返ってきた。


『そうね……。私の家、とかどうかしら? あまり他の人に聞かれたくない内容なのよ』

『僕はいいぞ。親とか大丈夫なのか?』

『今日はいるみたいだけど、大丈夫よ』


 なぜ大丈夫なのかは分からなかったが、僕に事情があるように、彩世にも事情があるのだろう。

 無理やりにも僕はそう、自分を納得させた。本当に恋人で、親しい人でありたいのならば、それを注意すべきなのは知っていたけれど。


『これが家の場所とその近辺の地図よ。どうしても分からなかったら、私に電話してちょうだい。あと、家に着いたらメッセージしてね』

『助かる』


 それだけ返すと、僕は準備を始めた。


   ◆


『着いたぞ』


 メッセージを送る。

 やたらと立派な家についてしまい、ちょっと恐怖を覚えているが住所的にはこれで間違いなかった。


 場所の特徴と家の特徴を彩世に伝えると『間違いないわ』とのお言葉が返ってきたので、やはり間違いないらしい。なぜ実家がこんなに金持ちなのに公立高校に通っているのだろうか。

『じゃあ、今から鍵を開けるからちょっと待ってなさい』


 メッセージが来たかと思うと、ガチャリと黒い扉が開いた。ゆったりとした、桜色のワンピースを着ていて、いつもより雰囲気が若干異なるが彩世である。


「似合ってるな……」

「た、ただの部屋着だから」


 思わず口をついて出た言葉に、彩世は視線を外しながら答える。その様子は、どこか儚さを感じられた。

「いいから入りなさい」

「じゃあ、お邪魔する」

 彩世に連れられて中に入る。玄関は大理石でできており、かなり広い。僕の家とは大違いだ。これで親父が倒れたら大怪我しそうである。


 高そうな絵画や家具を堪能しながら彩世についていっていると、部屋にいた中年の女性と目が合った。恐らくは彩世の母親だろう。

 服や佇まい、果ては顔つきから品のよさが漂っている彩世の母親は僕に近寄ると、手を取った。


「あなたが、彩世のお友達ね?」

「え、あ、そんな感じです。守真海と申します」


 今は品のよさよりも焦燥感を露わにしながら近づいた彩世母に、僕は慌てながらも返事をする。

 この言動的に、この人は彼氏の存在を知らないのだろう。

 特に彼氏らしいこともしていないし、追及されても困るので言葉は曖昧なものになったが、それでも彼女は満足しているらしい。


「そうなのね! あの子、最近楽しそうなの。紹介が遅れてごめんなさい。私は彩世の母で、彩子あやこよ。母親としてお礼を言うわ」


 楽しそうなら何よりだ。

 こちらこそ、と控えめに返事をすると、彩世が僕の袖をくい、と引っ張る。


「お母さん、そういうのいいから。あと、あんまり部屋に入らないでくれる?」

「ええ」


 彩子さんは感慨深そうに頷く。よく考えたら、今日は平日だというのに、なぜ僕がいることを突っ込まないのだろうか。


 僕の疑問をよそに、彩世はどんどん僕を引っ張ってゆく。

 階段を登ると、白い扉が現れた。

 彩世はその扉を雑に開けると、よく整理された、全体的に白い部屋が現れる。

 ぬいぐるみや何十冊の本、桜色のクッションなどはあるが、それ以外は基本白で構成された部屋。清潔感の塊である。


「綺麗な部屋だな」

「別に」


 ささやかに照れながら彩世が呟いた。

 彩世は僕を柔らかなクッションの上に誘う。その近くにある低い机も、汚れひとつない白色だった。


「率直に言うわ。今日呼んだのは自殺方法を聞くためよ。今日で、もうやりかたを決めてしまおうと思っているの」


 彩世の瞳が僕の目を捉える。

 胸ポケットにある黒い手帳が憎い。僕は、彩世を殺したくないと思い始めていた。

 しかし彩世は癌患者らしい。


 彼女は病気で死ぬよりも、自分で殺す道のほうが幸せだと思っている。それは僕も何となく予想できる。

 そこまで考えたところで、僕は彩世を見た。

 今の彩世は、儚さこそあれど健康と呼べる見た目をしている。せめて、もう少し生きられはしないものか。


「……そうか。彩世は、それがいいんだな?」


 所詮、僕は彩世にとっての何でもない。

 僕がひたすらに『生きていてほしい』と願い、叫んだところで、彩世には何の影響もないのだ。それどころか、彩世を傷つけてしまうかもしれない。


 それに、今は彼氏という立場ではあるものの、仮に彩世が生きる決断をしたところで僕は彼女の苦痛の責任を取れるわけではない。彩世の人生において、僕は役立たずもいいところなのだ。

 ならばせめて、彼女の不安を和らげることができたならば、それでいいではないか。


 自分で自分を納得させようとするが、最初の頃のように、僕は彩世を殺す手伝いをする心の準備がまったく整わなかった。


「そうよ。私を、殺してほしいの。優しい、あなたの手で」


 彩世の途切れ途切れの言葉が僕の心を貫いた。

 僕の背負っているものは、彩世の命なのだ。世界一美しいといっても過言ではない少女の命。

 どうして僕がその命を刈り取らなければならないのだろう。ただ、僕は自分を死刑に処したかっただけなのに。


 最近楽しそうにしていたのならば、もう少し命を永らえようとしてもよいではないか。

 どうして、そのような大罪を犯そうとしている僕の手を、彩世は優しいと形容したのだろうか。

 分からない。けれど、分かったら僕は彼女の苦痛まで背負わなければならなくなる。

 視界が涙で滲む。


 混乱が涙となって現れたのだ。だが、彩世に悟られるわけにはいかない。彼女の苦痛を増幅させるようなことをするのも大罪だからだ。


「お菓子持ってきたわよー……あら?」

 双方の傷を物語る空気を換気させたのは、彩子さんだった。

「どうして、ふたりともそんなに悲しそうなの?」


 彩子さんは高そうな白いカップと皿を机の上に置く。紅茶のいい匂いと、クッキーの甘い匂いが部屋を包む。僕たちを慰めようとしているようだった。


「いえ、なんでもありません」

 僕は混乱と苦痛を悟らせまいと笑う。彩世も凛とした空気を漂わせており、悲しそうな色など一切もなかった。


「そう。……困ったら何でも言いなさいね。彩世も、海くんも」

 しかし、彩子さんは察したらしい。さらに問い詰めないという優しさを発揮して、部屋を去った。

 普通は『優しいなぁ』だけで終わると思う。僕は違った。


 彩世が癌患者だということを知っているのならば、わざわざ理由を訊くだろうか。

 僕がもし彩子さんの立場ならば、きっと彩世がカミングアウトをして、これからの行く末を案じていると解釈する。その場合、訊いたらまずいだろうと判断して、何か空気を和らげるようなことを言って退室するだろう。


 僕と彩子さんは同一人物ではないので、僕基準に考えるとすればの話にはなる。だけど、どうしても彩子さんの問いが引っかかるのだ。


「何も、困ってないのにね」


 ぽつりと、彩世が言う。

 余命は3週間弱。この状況で困っていないとは、どういうことなのだろうか。

 気になって僕は彩世の言葉を無言で催促した。


「私はもうすぐ死ぬ。けれど、あなたと出会えて本当によかったと思っているの」

 彩世は潤んだ瞳で僕を見た。


 その瞳は、まるで恋する乙女のようで――僕は思わず顔を背けたくなった。

 もし僕が彩世に、本当に好かれているのならばこれ以上ない喜びに満たされるだろう。

 それと同時に、これ以上ない悲しみに溺れるはずだ。


 残り少ない余命ならば、できる限り希望を持たないほうがよいのではなかろうか、と僕は考えている。

 現世に残すものは、少なければ少ないほどいい。未練がなくなるからだ。

 それなのに、ずっと一緒にいたい相手とずっと別れなければならないというのは何という苦痛か。

 指先が震え、吐き気がこみ上げる。


 さらに、僕は自分を慕ってくれている相手を殺さなければならないのだ。そんなこと、死刑でも償いきれない。もっと残忍な方法で自分を殺さなければならない罪だ。


「そんな、辛そうな顔をしないで」


 彩世の手が僕の頭の上に置かれると、優しく撫で始めた。

 その温かさがさらに僕の心を苦しめることになると、この少女は分かっていないらしい。


「なら、生きてくれよ」

 口をついて出た言葉。紛れもない本心で、どのような犠牲を払ってでも叶えたい願望。

 それを、彩世はやんわりと首を振って拒絶した。


「無理よ。だって私はもう、死んでしまうもの」

 宝石のような目が僕を見つめる。その目には今にも零れそうなほどの涙が溢れており、僕は自分の言葉を後悔した。

 彼女の覚悟を、僕はふいにしたのだ。


「ごめんな。……本当に」

 僕は精一杯謝る。泣けば許してもらえるなんて微塵も思っていないのに、涙がこみ上げてきた。


「いいの。叶えられることだったら、叶えてあげるから」

 情けない僕を、彩世は包み込んだ。精神的にも、肉体的にも。

 彩世の柔らかな身体の感触と、温かい体温が僕の硬い身体と低い体温に溶け合う。


 彼女からこんなことをさせて申し訳ないなと思いつつ、僕は彼女にお礼を言った。今だけが、僕の人生において唯一の救いだったからだ。


「なら――、僕と一緒に、死んでくれないか?」


 彩世の身体に触れて、新たに芽生えた願望だった。

 せめてあの世では一緒になりたい。僕は死ななくてはならなくて、彼女はもうすぐ死ぬ運命にあるのだ。


 これならば、彩世を悲しませることはない。彩世をひとりぼっちにするわけでもない。

 彩世は僕の言葉が予想外だったのか、一旦離れ、少し考えて口を開いた。


「私のために、そこまでしてくれるの?」

 か弱い声だった。

 僕は彼女を安心させるよう、にっこりと微笑んで言う。


「そうだ。彩世のためというより、自分がそうしたいだけだけどな」

 彩世はとことん優しい少女なのだ。少し、人と関わるのが苦手なだけで。

 だから、こう言わないと責任を感じただろうし、何よりこの望みは本心から来たものなのだ。言葉に嘘はない。


「ありがとう、海くん。じゃあ、始めましょうか。私たちの望みを叶える準備を」


 彩世は微笑んで、紙とペンを取り出した。


   ◆


 自殺方法は、色々考えた結果飛び降りをすることにした。

 場所は学校の屋上で、教職員用の駐車場に落ちるように。


 教職員用の駐車場はやたらと広く、車が止まっていないスペースもあるし、特定の時間帯さえ避ければ発見を遅らせることもできる。

 以前、誰も駐車場に立ち入らない時間を調べたことがあるのでそこは問題なかった。

 実行は2週間後の金曜日。


 次回は遺書を書くかどうかを決めることになり、解散した。

 彩世の部屋から出て、階段を降りたら何か考えごとをしている様子の彩子さんの姿が見える。

 話しかけようか迷ったが、深刻そうな顔をしているので軽く挨拶だけし、僕は彩世の家から立ち去った。

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