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第三章 いずれ死ぬ僕・後編

「無理して食べたらダメよ。腹八分目がベストだからね」

「分かった。大丈夫だから」


 しばらく水族館を見て回った僕たちは、昼食を摂ろうと併設されているレストランに足を運んだ。

 少し高めの値段設定だが、それに文句を言ってはいけない。


 ただでさえ彼女にチケット代を奢ってもらっていて、世間的に見れば充分ダメな彼氏の条件を満たしているのだ。ここからは理想の彼氏ムーブを取って行かなくては。


「はい、あーん……っていうやつやりたかったのだけれど、ダメかしら?」

「ダメではないが、僕でいいのか」

「あなた以外誰がいるのかしら」


 急に差し出された一口大のカレーに驚いたが、やりたかったこととあれば理由としては充分。

 こんな美少女に食べさせてもらっていいのか、と罪悪感を抱きながらも、スプーンを咥えた。


「めっちゃ美味い」

「そ。よかった」


 ぶっちゃけそこまで味的に美味しい店ではないと思うのだが、なぜかこのカレーは三ツ星レストランで提供される料理に勝るとも劣らないほど美味しいと思えた。


 いや、三ツ星レストランに行ったことはないのだが。


 彼女に食べさせてもらうという行為が味のグレードを跳ね上げるのだろう。これはリア充も食事中にいちゃつくわけである。

 彩世もそっけない口ぶりだったが、どこか満たされた様子で、文句を言いそうな素振りもない。つまるところ完全な役得だ。


「スプーンはあなたがそのまま使いなさい」

「……ウィッス」


 別に期待していたわけではないが、あっさりと夢を打ち砕かれて何とも言えない気分になる。

 でも、美味しそうにオムライスを口に運ぶ彩世を見ていると、それもどうでもよくなってきた。

 次はどうするか、などと話し合っていると、あっという間に食べ終わってしまう。


 すると彩世が鞄のなかから数種類の薬らしきものを取り出した。

 錠剤と粉薬の両方のタイプがある。そこでようやく僕は彩世が癌だったことを思い出した。進行を遅くする薬なのだろうか。

 選こそは多いものの、余命1カ月足らずのそれにはとても思えなかった。


 ――死を秒読みするのは、どのような気持ちなのだろうか。

 そのような問いが内側から湧出したとき、僕はあることを思い出した。


「あら、あなたも飲むのね」

「ああ。小さなころにアレルギー的なものが出たらしくてな。幸い、これを飲んでおけば発症を抑えられるらしいんだ」

「そうなの。不幸中の幸いといったところね」


 薬を出したとき、心配そうな表情を浮かべた彩世だったが、今はそれも取り払われている。


「なんのアレルギーなの? ほら、食品だったら一応聞いておかなきゃだし」

「知らされていないから僕も知らない。教えてくれって言ってはいるのだが……」

「そうなの。まあ、抑えられるのだったらいいわ」


 彩世は不審がっていたものの、すぐに引き下がってくれたようで僕は胸を撫でおろす。

 というのも、僕は本当に病名については教えてもらっておらず、医師からも月に1回軽く会話する程度で薬をくれるものなのだ。


 追及されればされるほど『自分には教えてくれないのか』といった感覚が芽生えてくると思うので、どんどん僕が損する結果となる。

 自殺志願者、という点では一般の感覚とかけ離れているものの、彩世の場合は癌の宣告をされたがゆえのことなので、精神がおかしなことになっているということではないらしい。

 彩世の空気読みスキルに感謝しつつ、僕は薬を飲み終える。


「じゃあ、これからどこに行こうかしら」

「とりあえず売店行くか? 特に買うものもないし、奢れるような財布でもないのだが、見るだけなら結構楽しいだろ」

「そうね」


 軽い相談を経て、僕たちは売店へと向かう。

 その前に昼飯まで奢らせてしまったのだが、本人が気にするなと言ったのであまり気にしないことにする。

 かつてないほどの剣幕でお礼を言ったので、それで勘弁して欲しい。


「シャーペンが4桁、だと……?」

「恥ずかしいからやめなさい。水族館価格なのよ」

「水族館価格怖い……」


 店員が近くにいないことをいいことに、僕は値段設定についてケチをつけまくっていた。

 とはいえ、ケチをつけてばかりでは『なんだこいつ』と思われても仕方がない。ちゃんとデザインなども褒めておこう。


「いや、でもデザインはイケているな。その、なんだ。こう、水族館っていう感じがするよな、うん」

「ごめんなさい、全然分からないわ。もうちょっと語彙力を身に着けてから出直してちょうだい」


 全然効果がなかった。

 彩世は『なんだこいつ』と言いたげな目を向けたのち、ふと売店の奥を見やる。


「わ、あのぬいぐるみ大きいわね」


 驚いた声を出して指さすのは、様々な動物や魚の巨大ぬいぐるみだった。だいたい150~160㎝ほどあるだろうか。等身大といっても大きかった。

 壁一面にずらりと並んだぬいぐるみに少し気味の悪さを感じていると。


「え……?」


 そのなかに、親父が混じっているような感覚を覚えた。

 いや、本当にいる。親父がこっちを見ながらにやりと薄気味悪い笑みを浮かべている。

 きっと、彼女とデートしている僕を笑いに来たのだろう。


「お前、何しに来たんだ?」


 できるだけ低い声を出して、親父に詰め寄る。

 普段とは違う僕の様子に、彩世は慌てて駆け寄り、肩を掴んだ。

 彩世は僕の親の姿を知らない。傍から見たら、知らない人に威嚇しながら詰め寄っているように見えるのだ、当然止める。


 だが、そんなものあとから説明すればいいことだ。

 親父はいつものビール瓶を持っている。寝ているとき以外は酒を飲んでいるといっても過言ではない親父だ。酔っぱらって、この水族館をめちゃくちゃにする可能性もある。

 ひとまず問題を起こす前にここから叩き出さないと。


 そうするためにはどうすればよいのだろう。

 職員の人に迷惑をかけたくないので、暴力沙汰は避けたい。彩世の精神的にもよろしくないだろう。

 となれば、親父が拳を振るう前に水族館から退館させなければならない。

 今酔っぱらっていたら、僕の言葉にこの人は耳を貸すだろうか。いや、貸さないだろう。


 僕が対処法を頭の中で精一杯練っていると、親父がにぃっと薄気味悪い笑みを浮かべ、酒瓶を頭上に持ち上げる。

 どうやら親父は僕の精一杯の思索を置いて、もう事件を起こそうとしているらしい。

 せめて被害は僕だけがいい。こうなれば何だってやってやる。


「――ペンギンの人形に向かって、何をしようとしているの?」


 親父の胸倉を掴もうとしたとき、彩世が口を開いた。

 予想外の言葉に、僕は彩世の顔を見る。

 眉を八の字に寄せて、不審げな表情を浮かべている彩世。その様子からは、嘘を言っている様子など見受けられなかった。


 もう一度親父のほうに視線を戻す。

 確かにそこには、他のものより少し高い、170㎝程度のペンギンの人形があった。


「あれ……?」

「もう、どうしたのよ。そんなにペンギンが憎いの?」


 情けない声が喉から発せられる。

 そんな僕を見て、彩世が問う。それは冗談らしいトーンで投げかけられたものだが、僕は妙に『憎い』という言葉に納得していた。


 しかし、なぜなのだろう。小さい頃は、ペンギンが好きだったはずなのに。

 いつから僕は、ペンギンが好きでなくなったのだろう。

 なぜ、あのペンギンのぬいぐるみに既視感を覚えるのだろう。


「すまんな、ちょっと寝不足みたいだ。驚かせたな」

「本当にそうよ」


 必死ではにかみを浮かべる。

 その努力が通じたのだろうか、彩世も特にドン引きする様子もなく、呆れたような笑みを浮かべているだけだ。本当に優しい少女なのに、どうしてこの子が死ななければならないのだろう。

 どうして僕は、この少女を殺す手伝いをしなければならないのだろう。


「さ、恋人らしく手でも繋ぎましょう。今日のところはお開き。それであなたは充分に休みなさい。いいわね?」

「ああ、ありがとう」


 差し出された手に、問いの鎖が千切れる。

 とにかく、今は恋人の優しさに甘えよう。

 心に滾る不穏を見て見ぬふりし、僕は彩世の手を掴んだ。

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