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第三章 いずれ死ぬ僕・前編

「私より先に到着するとは、いい心がけね」


 白い傘の下で満足そうに言い放つのは、昨日僕と恋人関係らしきものになった彩世だ。

 彩世も僕と同じく学校に行くフリをしてここに来たからか、いつもと同じ制服姿である。

 うちの学校は典型的なセーラー服と学ランで、近所の学校の制服とほぼ変わりない。特定の学校だと分かるのは職員だけだろうから、心配する必要はない。


 もっとも、僕達は学校に通報されたところでノーダメージなので、仮に学校名がバレようと、何の問題もないのだが。


「ああ、昨日は眠れなくてな。やることもないし、早く来た次第だ」


 母さんはいつもの通り仕事に向かい、親父は親父で朝っぱらから酒飲みながらどこかへ行ってしまったのだ。母さんはいつも僕とほぼ同時に家を出るので、一応のカモフラージュをしなければならなかった。ここで追及されたら大幅に遅れてしまう。


「もしかして、私とデートだったから眠れなかったの? ただ黒いだけの人間じゃなかったのね、あなた」

「違う。普通に眠れなかっただけだ」

「ふーん?」


 彩世が訝しげにこちらを窺う。僕が嘘をついているとでも思っていそうな顔だが、本当に違うのでやめてほしい。


「では、そろそろ行きましょうか。平日の朝ともなれば、相当空いているはずよ」

「ああ、そうだな」


 僕の腕を引っ張る彩世につられ、僕達は水族館へと足を踏み入れた。

 入館して彩世はやっと僕の腕を掴んでいることに気がついたらしく、気まずそうな態度で手を離した。てっきり美少女ゆえ、絶対に喜ぶと思っての行動だと思っていたが、無意識だったとは。


「何立ち止まっているのよ。さっさと向かうわよ、さっさと」

「ああ。それはいいが、僕の家は貧乏極まりないから彼女の分も奢るとかいう真似はできないぞ」

「そんなのやらせる気ないわよ!」


 よく『彼女に奢らない彼氏とかあり得ないよね』といった話を聞くので断りを入れたが、彩世は違ったらしい。

 ぷんぷん怒りながら、彩世は受付まで行き「高校生。2つ」と不愛想極まれる声でチケットを頼み、僕にそのうちのひとつを手渡した。


「今から出すから、ちょっと待ってくれ」

「いいわよ、そんなの。私から誘ったことだし、あと1カ月で使い切れる量じゃないもの、私の貯金は」

 僕が小銭だらけの財布を取り出すと、彩世が悲しさを漂わせる声を出す。


「いや、出す。絶対出す」

 しかし、僕とて引くわけにはいかない。昔、まともだったころの父さんに「お金の貸し借りは極力したらいけないよ」と教えられたからだ。

 ――あれ。そういえば、父さんはいつからおかしくなったんだ?


「ああもう、いいって言っているでしょう!? あなたは私のために学校をサボって、時間と情報を提供する。それだけでいいのよ!」

 妙なスイッチが入りかけたそのとき、彩世の大きくも聞きやすい声が耳に入る。


 余命1カ月とのことだし、そういった契約ならばいいかと僕は自分を納得させ、それならば、と僕は頭を下げてお礼を言った。


「それでいいのよ。……付き合ってくれて、ありがとね」

 ふっと、夢を見ている少女のような笑みを浮かべた彩世に、僕はたじたじになって「こちらこそ」と言うほかなかった。


   ◆


「見て、小さい魚が群れをなしているわ」

「そうだな。集団行動で自分だけ理不尽にのけ者にされた日のことを思い出して泣きそうだ」

「元気出しなさい」


 魚を見て目を輝かせていた彩世が、急に生暖かい目をこちらに向けた。

 うっかり口を滑らせてしまった僕を責めるでもなく、慰めてくれる彩世はきっと性格がよいのだろう。ただ、俺に向けている眼差しが処刑される前の罪人に向けるそれなのが気掛かりだったが。


「まあ、その気持ちも分からないでもないわ。もし生まれ変わりがあるとしたら、集団行動を強いられるような生物にはないたくないと思っているもの。生まれ変わったら、石にでもなって静かに暮らしたいわ」

「石か」


 縁起でもないことを、と言おうか迷ったが、実際宣告されていて、本人もそれを受け止めているのだったら言っても仕方がない。

 女子高生の転生先としては渋すぎるチョイスに、僕はどうしていいか分からずにいると。


「ええ。何も考えずに暮らすの。最期は、何も思わず、小学生にでも割られて終わりたいわ」

「……何も考えたくない、という部分には共感するところがあるな」

 しみじみとした口調で言う彩世に、僕もしみじみとした口調で応える。


「そう、あなたもなのね。目標は一致しているから、ある程度思考が一致しているのは当然かもしれないけれど」

 彩世の言葉に、僕は「そうだな」と頷く。


「ところで、彩世はなんで自殺したいと思っているんだ?」


 ふと気になったので、口に出す。

 周りに人はおらず、雰囲気的にも口にしやすそうだったという理由だったので、あとになって『マズかったか』と後悔している僕に、彩世は答えた。


「自分の意志で人生を終わらせたいからよ。逆にあなたは、なぜ?」

 魚の大群が僕たちの前でくるりと回った。

 僕とは違い、はっきりとした自発的な理由に返答を一瞬ためらうが、言うのが義理というものだろう。嘲笑われるのを覚悟で、僕は理由を口にする。


「なぜか分からないけれど、死ななければいけないと思うんだ。生きていてはいけない、といったほうが正しいのかもしれないが」


 彩世は、黒曜石の瞳をこちらに向ける。

 その瞳には、嘲りや軽蔑といった感情は含まれていなかった。ただ、その目は僕を見据えていた。


「そういった感情もあるのね……。あなたが体験できて、私が体験できなかったことは、少し残念かしら。とにかく、色々な感情をもっと味わいたかったわ」

 淡々とこの世の未練を語る彩世に、僕は経験者として告げる。


「彩世が思うほど、いいものではないと思うぞ」

「そうかしら。よくも悪くも、それが大多数には経験できないものなら、私はきっと価値のあるものだと思うわ」


 彩世は再び水槽のなかに視線を戻して、確信の籠った言葉を紡いだ。目線はまっすぐに、相変わらず集団行動をしている魚の群れを捉えている。


「どうだか。16歳で余命1カ月宣告されるのも、そうとう稀な体験だと思うが、それも勝ちがあるものだと思うのか?」

 余命宣言と比べたら、僕に降りかかった不幸などたいしたことないのかもしれないが、そういうことなんだぞ、と注意する気持ちで問うた。


「ええ。とても価値のあるものだと思うわ。本当に」


 しかし彩世は動揺ひとつせず、自らの言葉を貫いてみせる。その様子に、取り繕っている様子はない。紛れもなくそれが彼女の本心なのだろう。


「さて、そろそろ移動しましょうか」

 僕に向き合い、順路の先を指さす彩世。できることならば、彼女の持つ心境を覗いてみたいと思った。


「ほら、見なさい、ペンギンよ。普段路上では見かけないペンギンよ」

「路上では犬猫鳥くらいしか普通見かけないと思うが……」


 テンションの高そうな彩世につられ、ペンギンの展示コーナーを見る。

 たぶん、ペンギンに関わらず水族館にいる動物に路上で見かけるようなものはないだろう。


「いいわね。一家に一匹、っていうノリで飾りたいわね。こっち向きなさい、こら、おい聞け」


 彩世はペンギンに夢中になるあまり、途中からヤクザのような姿勢でペンギンの視線を集めようとしている。

ペンギンに思考があるのかは分からないが、仮に分かったら絶対に向いてくれないだろう。


「……ぁ」


 こつこつこつ、と彩世がガラスを叩き始めたとき、なぜか僕は異様に体調が悪くなっていた。吐き気がする。

「え、海くん? 顔色が未だかつてないほど白いわよ?」

 ペンギン鑑賞に夢中になっていた彩世も、僕の異変に気がつく。


「すまん、ちょっと吐き気がしただけだ。トイレ行ってくる」

「え、ええ。近くのベンチで待っているわ」


 僕は彩世の優しさに甘え、トイレへ向かって走り出した。

 ついた瞬間、胃の中の中身がすべて吐き出される。

 胃液もほとんど出たのでは、と疑問を持たざるを得ない量だった。


 でも、なぜペンギンを見たらこんなに吐き気がするのだろうか。

いつからか、何となく苦手だと思っていたけれど、小さい頃は好きな動物だったのに。それに、苦手だといっても吐くほどではないはずだ。


 疑問を抱きつつ、胃の中のものをすべて下水道に流し、うがいと水分補給を済ませてベンチへ向かう。


「大丈夫かしら? 私、何かしてしまった?」

 不安そうにこちらを窺う彩世の姿は、紛れもなく彼氏を想う彼女の姿だった。

 もっとも、見えるというだけで現実はただ急に体調が悪くなった人を心配しているだけなのだろうけれど。本人が病に侵されているのだったら、なおのことだ。


「全然問題ないぞ。体調も、彩世も」

「ならよかったわ。でも、休んだほうがいいかもしれないわね」


 安心させようと笑みを浮かべたのがよかったのか、彩世の不安も解けたようだ。

「それはありがたいが、本当に大丈夫だから続けよう」

「そうなのね」

 そう言い、ふわりと立ち上がった彩世は「次はクラゲでも見ましょう」と僕を誘った。

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