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第一章 いずれ死ぬ君・後編

「あーあ、俺、何話してんだろ……」


 自宅の扉を開けた俺は、一人呟く。

 そこには一人暮らしもしていないのに、おかえりなさい、と言ってくれるような人はおらず、ただ呟きは響くだけだった。


 家庭環境を嘆いても仕方がないので、僕は帰り道でのことを思い出す。

 今まで、僕が死にたいとでも言おうものなら『生きるって素晴らしいことなんだよ』『もっと辛い人もいるんだから、あなたも我慢しなさい』などという言葉を掛けられるものだったが、あの少女は正反対である。


 嬉々として自殺方法を尋ね、想像してみせた。


 時折空を眺めているときがあったが、あれは死んだあとのことを考えてか。いつももそうだが、あのときの彩世は儚く美しいと思った。

 ――希死念慮を持っていても、それを当たり前のように受け止める。

 まだ幼かったころの僕にそんな人がいれば、何か変わったのだろうか。

 人に悩みを相談することをやめる原因となった出来事に思いを馳せる。


 悩みごとがあるなら話せ、と小学校高学年ごろ担任に言われた。

 今までの担任は僕のことを腫れ物に触るかのような態度で接していたため、一筋の希望を持って『死ななければいけないきがするんです』と答える。


 担任は僕の言葉を聞き『ダメダメ!』と叫んだのだ。

 僕は本気だった。今でも本気でそう思っている。それなのにあいつはこう言ったのだ。


『生きていればいいことあるよ。お母さんだって悲しむ。死なないといけない人なんていないんだよ』


 典型的な小学校教員の言葉だ。それなのに僕は、長年付き合った友人に絶交宣言されたかのような絶望を覚えた。

 足元がぐらつくかのような感覚。めまい。吐き気。しかし崖から落ちている最中のような感覚も抱いた。

 とにかく僕はショックを覚えたのだ。


『違う』

 絞り出したひとつの言葉も担任は一蹴した。

『違わないよ』


 そのときほど人を殴りたいと思ったことはない。お前に何が分かるんだ、だったらお前は死刑囚に死ぬなと言うのか、それを実行できるのか。

 さまざまな種類の怒りや悲しみが溢れ出て、ほとんどが言語化されないまま消える。


 それから僕は人に悩みを相談するのをやめた。

悩みを聞くような余裕のある人間は、僕の質問に答えられない。それを悟ったのだ。

 思い出したら寒気がしてきた。無自覚な殺人鬼ほど恐ろしいものはない。


 なぜか今、そのときの担任に監視されているような気がした。


 ゆるくカーブを利かせた髪に、常に貼り付けられている笑み。たまに崩れることもあるが、基本的には何を考えているか分からない笑みを浮かべていた。

 他の児童には慕われ、教師にも慕われていた元担任。


 彼女は今も僕の思想を、一挙手一投足を監視して綺麗ごとに染めようとしているのではないのか。

 嫌だ。

 この希死念慮は消えてはいけない気がするのだ。これが消えてしまったら、僕は死んでしまうだろう。


 ガタガタと足が震える。思想が侵される前に何とかしないといけない。

 目線をあちこちに向けていると、机の上にあるものが目に入った。


 剃刀だ。


 その筋では有名な、よく切れると噂されている剃刀。

 僕はそれを手に取り、腕に滑らせた。


「うぃー、帰ったぞー? あ」

 突然扉が開き、バタバタッ、と玄関で人が倒れる音が聞こえた。

 誰かは分かっていたが、一応確認しようと気絶しているらしい男の顔を確認する。


 やっぱり親父だった。


 ――やはり、僕には彼女との出来事を思い出すことも、あったかもしれない現実を思い描くことも許されていないらしい。

 とはいえ、下手に起きて暴れられるより好都合だ。些細な幸せを感謝しながら、僕は親父を布団に寝かせた。


 異様に酒臭いので、今日も母さんの残業代は酒に消えたことになる。僕には参考書を買うのもままならないのに、とてつもなくそれが憎らしかった。

 ひとまず、母さんを安心させるために親父が寝たという旨のメッセージを送る。


 母さんは親父に洗脳されている節があるので、これで残業を減らすとは考えにくいが、それでも願ってしまうのは僕の幼さゆえか。


 何でもいいや。


 このままだと思考が負のスパイラルに陥ってしまいそうだったので、無理やり切り上げる。スマホは格安のプランに契約しているので、娯楽目的ではあまり使えない。家にWi-Fiもない。

 やることもないし勉強するか。

 そう思ったとき、LINEの通知が入る。


『家に着いたわ。今度は思い出作りのほうを話しましょう』

 それは、病的に美しい少女からのものだった。


『了解。何回くらい行ける予定なんだ?』

 今まで親以外と連絡を取り合ったこともないので、新鮮な気持ちになりつつ送る。

 まずは回数を決めて、やりたいこと順に当てはめるのが得策かと思ったのだが、先のことを想像させてしまったら申し訳ない。

 若干不安になりながら待っていると、返事はすぐに来た。


『学校も結構サボろうと思っているから、20回ほどかしら。一人でゆっくり過ごしたいっていうのもあるから、あなたと行動するのは15回ほどね』

『分かった。僕もそれでいいよ』


 1カ月に15日も休日があるわけがない。暗に僕もサボれと言っているのだろう。

 上等だ。こちとら母親はずっと仕事、父親は飲んだくれのパチンカスなのだ。10日ほどサボった程度では何も言われない。


 さらに自殺も視野に入っているので、学校をサボることに関しては無敵もいいところだ。中退するとでもならない限り、母親が俺を止めることはない。

 母親の『ちゃんと育ててあげられなかった』という罪悪感に付け込むことになるが、まあ半分は自業自得だろう。


『えらくあっさり決めるのね。嫌いじゃないわ』

『ありがとうございます』


 このメッセージすら上から目線に思えるのは気のせいか。

 適当に返答をしたら、いきなり長文のメッセージが送られた。


『2人でやりたいことよ。ひとりでもできないことはないけれど、目線が気になるのよね』


 確かにメッセージには、やりたいことが箇条書きで書かれてあった。改行は挟まれていないものの、簡潔に書かれてあるので読みやすい。


『とりあえず、明日は雨だがどうする?』

『もう面倒臭いしサボりましょう。あなたは?』

『俺はいつでもいいぞ。雨でもできるイベントは限られているが……』

『それなら問題ないわ。私に任せてちょうだい』


 少し間を置いて、シュポッ、と小気味よい音が鳴る。


『水族館、とかどう?』


 ノータイムでOKを出した。

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