思い出ホットケーキ
「けい君、待っててね。とびっきりおいしいホットケーキを作るから!」
そう言って私は踏み台を使ってなお高い場所にある収納から、苦労しながらボールを取り出していた。
「うん、あーちゃん! たのしみ!」
自分よりもずっとずっと小さな、可愛い年下の幼馴染を喜ばせたかったのだ。信頼しきった可愛い笑顔で応援されたら頑張るしかない。
§ § § § §
随分と懐かしい夢を見たものだ。
灯里は思いっきり大きなあくびをしながら、ベットでぼーっとする。
あれはもう10年以上前のことだったはずだ。小学生だった灯里は、お姉さんぶりたくて、年下の幼馴染――圭一とお留守番中にホットケーキを振舞ったのだ。
数日前に母親と一緒に作ったから、一人でもちゃんと作れると思っていたのだ。
しかし実際には火加減が上手く出来ず、表面は黒焦げ、中は生焼けな危険物が出来上がっただけだった。
それでも、可愛くて素直な圭一は美味しいと言って完食し、結局はお腹を壊してしまった。
「5歳児にあんなもの食べさせて、お腹壊すだけで済んでホント良かったよ…………」
当時を思い出して、お布団に顔を埋める。
もっと大変なことになっていてもおかしくなかった。
圭一の母親はおおらかな人で、この出来事も笑っていただけだった。しかし、自身の親からはとても厳しく叱られたものだ。
圭一くんにもしものことがあったら、どうするつもりだったんだ、と。
「ホント、無事で良かったよ」
「……? 何かあったの、灯里さん?」
夕食のロールキャベツを口にして、しみじみと呟いた言葉に、向かいに座った青年が首を傾げる。
すっかり大きく成長した、圭一だ。
大学から帰るといつものように圭一が美味しい夕食を作ってくれていた。
ロールキャベツのトマト煮込みに、お野菜たっぷりのコンソメスープと炊き立てのご飯。
どれもこれも、灯里の好物だ。
コンソメスープを一口飲んで、今朝方見た夢の話をする。
「あの時のホットケーキ食べて、よく圭一くんは無事だったなってね」
「あはは。流石に生焼けなホットケーキくらいで、死にはしないよ」
「いやいや、あの時圭一くん、5歳だよ? 今の大きい高校生な圭一くんじゃないんだよ? ほんっと、なんて危ないことをしたんだって感じだよ」
「……でも、俺は嬉しかったな。滅多にない、灯里さんの手作りを食べれて」
そう言って微笑む圭一に、灯里は顔が熱くなる。
高校生なのに、なんだか色気も感じるその微笑みから目を反らして、皿の上のロールキャベツをつつく。
「わ、悪かったわね。料理下手で」
「でも今は、ホットケーキは完璧に作れるじゃん」
「ホットケーキだけね!」
ぶぅ、と頬を膨らませる灯里に、圭一も笑いを零す。
残念なことに、灯里は壊滅的に料理が下手だった。
切って焼くだけであっても、消し炭になるし、謎の物体が出来上がることがザラだった。自分でもなぜそうなるのかは分からない。
料理上手な母親も匙を投げ、台所進入禁止を言い渡されるほどだ。
だから一人暮らしなんてしたいとも思わず、大学も実家から通える場所を選んだくらいだ。
しかし先日、父親が地方転勤となり、母もそっちについて行ってしまった。レトルトやコンビニがあるとはいえ、毎日の食卓が侘しいものになると悲嘆していた時に手を差し伸べてくれたのが、圭一だった。
圭一は早くに父親を亡くし、キャリアウーマンな母親は多忙だったこともあり、お隣の我が家で小さい頃から預かることが多かった。
そして色々と器用な彼は、灯里の母親のお手伝いをするうちにお料理もマスターしていたようだ。
食べなれた味付けのロールキャベツを口にして、ほぅ、とため息を吐く。
「ほんっと、圭一くんは料理上手で羨ましい……」
「でも俺は、灯里さんが料理が苦手で良かったよ」
「えぇ~、酷い」
「だって、そのおかげで今も一緒にこうやってご飯食べれるわけだし?」
圭一はロールキャベツを一口食べて満足気に笑う。
コクのあるトマトソースで煮込まれたロールキャベツは程よく味が染みており、とても美味しい。
彼は、自分と母親二人分の料理を作るのも、灯里の分を追加で作るのも手間は変わらない、と言って毎日ご飯を作ってくれている。
そしていつも母親の帰りは深夜で、一人で食べるのは味気ないからと誘われて、一緒に夕食を食べているのだ。
「……圭一くんは、将来は料理の道に進むの?」
「どうしたの、急に?」
「お料理上手だし、いっつも楽しそうに作ってるからさ。そっちの方向に進むのかなぁって。そろそろ、進路も考える頃だし、ちょっと思い付いただけなんだけど。変なこと急に言って、ごめん」
なんとなく出した話題だったけど、お隣さんが口をはさむことでもない。
そう思って慌てて言い訳と謝罪を口にする。
気まずくてちらりと圭一を伺うと、呆れたように大きなため息を吐かれてしまった。
「…………はぁ」
「圭一くん?」
「灯里さんは、本当に鈍いよね」
「え……?」
圭一はお箸を置き、灯里を見る。
「俺が料理をマスターしたのは、俺の料理を灯里さんに食べさせたいから。料理作るのが楽しいのは、灯里さんが食べてくれるから」
「っ……」
真っ直ぐ見つめられるその瞳から、目が反らせなかった。
テーブル越しに伸ばされた手が、そっと頬を撫でる。
「俺が、料理を作りたいのは灯里さんのためだけ」
そう告げられ、一気に顔が熱くなる。
多分、今、顔は真っ赤になっているだろう。
灯里を見つめる圭一が、満足そうに笑う。
まだ高校生なのに、色気すら漂うその笑みに、さらに顔が熱くなる。
「これからも、俺の料理を食べてくれる?」
5歳も年下なのに、彼には敵いそうにない。
とりあえず、既に胃袋は掴まれてしまっている自覚のある灯里は、無言で頷くのだった。