06
イヴと約束をした翌日は大忙しだった。
看護師のミネルバとケイトは新しく妻であるイヴが働くことになると告げると、態度には出しはしなかったがあまり好意的な雰囲気ではなかった。
愚鈍ではない彼女たちのことだ、きっとイヴに嫌がらせをすることはないだろうが気をつけておく必要がある。
なにせイヴの体は生きた人間の体温からはかけ離れたものなのだ。
もし彼女たちのどちらかに気づかれることがあれば、きっと面倒なことになる。
最近ではこの辺りでも魔女狩りが行われるようになってきた、彼女の秘密は絶対に漏らす事は許されないのだ。
一通り制服や仕事の割り振りなどを済ませると気づけば診療終了時刻に差し掛かっていた。
ミネルバとケイトには明日以降は問診や処置を担当してもらいイヴには診察室内の補助を頼むことにした。
イヴのためにまとめた仕事の資料を机に置くと、リースも帰りの支度をする。
白衣を脱いで鞄を整理していると、隣の更衣室からミネルバとケイトの話し声が微かに聞こえてきた。
「そういえば今日も2ブロック先で魔女狩りがあったって……」
「最近、魔女狩りも苛烈さを増してるから気をつけなくちゃ。今朝医院に来る時も大通りで職務質問していたわ、きっと魔女を匿っている人を探してるに違いないわ」
「うちの医院は大丈夫かしら?ほら、リース先生ってちょっと怪しい雰囲気があるじゃない?」
「ケイト!滅多な事を口にするものじゃないわよ!それにうちは大丈夫よ、リース先生のご実家はあのウィンザー家よ?まさかここまで魔女狩りがやってくることなんてないわよ」
二人は帰り支度が済んだらしく、話はここで終わってしまった。
思わず耳にした話だったが、これで余計にイヴのことを慎重に扱わなければならないと分かった。
リースは、ミネルバたちを見送ると暗く霧の立ち込める路地を歩いて家路についた。
◇◇◇
今日はイヴの初出勤の日だ。念のため前日に輸血と投薬を施し、体温もあまり下がらないよう衣類も保温性の高いものを選んだ。
イヴはとても嬉しそうで、医院に行くまでの馬車の中でも窓の外ばかり見てその様子があまりにも子供みたいだったので思わず笑ってしまったほどだ。
イヴを連れて医院につくと、ミネルバたちはすでに仕事の準備をしていてリースたちに軽く挨拶をするとそのまま自分の仕事へと戻っていった。
「……私、明日からはもっと早く来るようにするね」
イヴはミネルバたちの態度から何かを感じ取ったのか、そう言うとぎゅっと服を握りしめた。
イヴのそんな悲しそうな姿を見てリースは優しくイヴの頭を撫でる。
「今日は初日だから気にする事はないよ。それに私と一緒に出勤するのだからミネルバたちとは出勤時刻が違うのは仕方がない事だよ」
「けど、私が一番新人なのにこんな最後に来るなんて」
「イヴ?約束覚えてるよね?」
「うん。一つ、リースの側を絶対に離れないこと。二つ、医院の外に無断で出ないこと。三つ、リース以外の人が何を言おうと気にしないこと」
「分かってるならいいんだ。最初は戸惑うことも多いだろうけどすぐに慣れるよ」
イヴは渋々納得したようで、渡された制服を持ってイヴ専用の更衣室へと向かった。
◇◇◇
イヴの初日の勤務は大きな問題もなく無事に終わった。
唯一気になるのは、やはりミネルバやケイトのあたりが強い気がすることだ。
彼女たちは自分が優秀だからか、まだ不慣れで仕事の遅いイヴに時々苛立ちを感じているようだった。
今日はまだ初日なので黙って様子を見ていたが、あまりにも目障りであれば彼女達には消えてもらわないとならないだろう。
イヴの帰り支度を待ちながらミネルバ達の代わりになりそうな手頃な人間がいないか考えていると、すでに閉めた正面の扉を激しく叩く音が響く。
急な事に驚いて席を立ち玄関の方へ行くと、音を聞いて駆けつけたミネルバの姿があった。
「この音は一体なんだ?」
リースが怪訝な表情をしてミネルバに問いかけると、どうやら正面玄関に今から診て欲しいという患者が扉を叩いて声を上げているらしい。
リースはどうしたものかと思案する。自力で歩いてここまで来ているようだし、緊急性は低いだろう。
「この様子じゃ、そこまで緊急性の高い患者ではないようだしこのままお引き取り願おうか」
リースとミネルバがそう話していると、ちょうど帰り支度を済ませたイヴが二人の元へやってくる。
「リース?それにミネルバさんも……さっき大きな音がしたようだけど」
イヴは二人を見た後にその先にある玄関に目を向ける。
玄関のガラス窓には人影らしきものが映っており、どうか怪我を診てほしいとしゃがれ声で訴えていた。
イヴは状況を察すると、リースの方を真っ直ぐその清らかな瞳で見つめる。
「リース……」
リースは深いため息をつくと仕方がないと観念し、消した医院内の電気を点す。
「リース先生、受け入れるのですか?」
ミネルバが怪訝な表情でリースを見てくるが、リースはそれに気づかないふりをする。
「私とイヴで対応するからケイトと君は帰っても大丈夫だよ」
「いえ、イヴさんは今日来たばかり。何か分からないことがあるといけませんので私も残ります」
ミネルバは軽くため息をついてそう言い奥の処置室へと戻った。
「イヴ、それじゃあ患者さんを診察室まで連れて行くから準備を頼むよ」
イヴを診察室へと下がらせるとリースは玄関を開ける前に上着の内ポケットに護身用のナイフを忍ばせる。
あの夜もこんなどんよりとした薄気味悪い日だった。
イヴが道に横たわる浮浪者を助け、その浮浪者によって殺されたあの夜だ。
まさかとは思ったが、この医院があるルーベン地区は殺しや強盗も平然と行われるような治安の悪い土地だ。用心をするに越した事はないと、念には念を入れ玄関の扉の向こうにいる人物を招き入れた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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