05
「リース先生、お疲れ様です。本当に先生はお優しいですね、身も知らない売春婦の埋葬の手配までするなんて」
看護師のミネルバはそう言いながら術場の後片付けをこなしていく。
「私のところへ来た患者さんは身分も貧富の差も関係ないよ。私にできることをするだけさ。それより、ここの後片付けが終わったら診療を再開するから準備をお願いできるかな?」
「わかりました、ではケイトにそのように言っておきます」
リースはミネルバがケイトを探しに部屋を出ていくと手術室の更に奥にある遺体安置室へと向かう。
安置室には先程採取した血液が入った袋が大量に置かれている。
この量を一人で屋敷まで運ぶのは大変そうだ。帰りは馬車を頼んでおいたほうがいいかもしれない。
血液が入った大量の袋を一つの箱に綺麗に収めると、リースは部屋の隅に置かれた大きく黒い袋をよたよたと三つほど持ち医院裏の焼却炉までやってきた。
焼却炉は轟々と炎を上げて燃え上がり、近くへ寄っただけでも熱風を感じるほどだ。
リースは持ってきた袋を焼却炉の中へと勢いよく投げ入れると、袋はドシャッ!っと音を立てて炎の中へと消えていく。
他の二つの袋も同じように焼却炉へと投げ入れると、リースは振り返ることなくその場を後にした。
◇◇◇
今日は良い日だった。
不足分の血液も無事に確保することが出来たし、僕たちを煩わせる鬱陶しい小虫も処分できた。
屋敷へ帰ったらまずは地下へ血液を運んで急いで血液洗浄をかけよう。そうすれば、明日の朝にはイヴに輸血できるはずだ。
リースは今日あった出来事を上機嫌で振り返りながら、窓の外に見えてきた屋敷を眺める。
屋敷の2階には明かりが付いていて、イヴが約束通りに自分の部屋で待っていてくれると分かると思わず一人笑みが溢れてしまう。
馬車はしばらくすると屋敷の前に着き、御者が荷物を玄関先まで運んでくれる。
「先生、えらい重い荷物ですね。よろしければ屋敷の中まで運びましょうか?」
御者の男は見るからに痩せていて力がなさそうなリースを心配してか手伝いを申し出てくれるが、リースはそれを丁寧に断り御者を見送る。
馬車が屋敷から見えなくなるとリースは玄関の中に置いておいた荷台に荷物を積み込むと地下室へと向かう。
地下室に着くと、血液洗浄機に血液を次々と入れていく。
あと3袋で作業が終わるというタイミングでリースに声がかかる。
「おやおや、随分たくさんの血液を一度にお持ちになりましたね。これだけ集めるのはさぞ大変でしたでしょう」
親しい友人へ語りかけるような声色でリースに話しかけるのは、彼だ。
イヴを甦らせるために契約をして以来こうして度々リースの元へやってきては彼にたわいも無い世間話をしてくる。
「あぁ、今日はとても幸運な日でね」
リースは振り返ることなくそう答えると、彼は空に浮いたままリースの前に回り込んでリースの顔を満面の笑みで覗き込む。
「うーん。貴方はやはり素晴らしい。何事も余計なことを考え出すと碌な結果を招きませんからね、ただ一つの願いに向けて愚直に邁進するのは素晴らしいことです。例えそれが神道を踏み外すことでもね」
「そんなどうでも良いことを話にここに来られたんですか?用事がないのなら私は失礼します」
リースは最後の一袋を機械へ入れると手を洗い彼に背を向けて階段を登りはじめる。
「なんともそっけない態度ですね。まぁ、そんな所も良いとは思っていますが。そうそう!貴方に一つだけ助言をしておきましょう。彼女が大切ならこの屋敷からは出さない方が良い。出してしまえばきっと前よりも辛い悲劇が起きることになるでしょう」
リースの背後に呼びかけるようにして放たれた言葉は地下室に静かに響いた。
◇◇◇
いつも通りドアにかけた鍵をすべて外しイヴの待つ部屋へと入る。
部屋に入るとイヴはどうやら読み物をしていたらしく、手に持っていた本を机に置いてリースの元へとくる。
「お帰りなさい!今日は馬車で帰ってきたのね?何か荷物でもあったの?」
雨の日以外は歩いて通っているリースが珍しく馬車を使ったので興味津々な様子で伺ってくる。
「ちょっと今日は気分が優れなくてね、それに早くイヴの顔を見たかったから馬車で帰ってきたんだよ」
そう優しく微笑んで言うとイヴは頬をほんのり赤らめながら照れ隠しにリースの胸を軽く押し返す。
「もう、そんな事ばかり言って!それよりお腹減ったでしょう?今から夕飯の用意をするわね」
イヴは時計をチラリと見て慌てたようにキッチンへと降りていく。
「イヴ!そんなに急がなくても平気だから、怪我だけはしないように気をつけておくれよ?」
「大丈夫!リースは心配性なんだから」
イヴの後を追うようにしてゆっくりと一回の食堂へ行くと、すでに簡単に準備がされており後はメイン料理を待つのみという感じだ。
本来であればメイドや料理人を入れて屋敷の仕事を任せるべきなのだろうが、イヴの体のことや地下室のこともあるのでできるだけ部外者は屋敷に入れたくはない。
しかし、いつまでもこの広い屋敷に二人で住み続けることもイヴの性格上難しいだろう。
リースはこれからどうしたものかと考えていると、夕食を持ってイヴが食堂へと入ってきた。
「ごめんなさい、簡単なものだけれど」
「ありがとう、イヴ。君の手料理ならなんでも喜んで頂くよ」
料理を置くとイヴはいつも通りリースと向き合うようにして席に着く。
食事を始めるといつもと同じくイヴは今日あったことを聞きたがった。医院で何があったか、看護師たちは何も言っていないか?とにかく少しでも外のことを知ろうと質問に終わりが見えない。
元々イヴは労働階級の出だ、こうして何も考えずに家に引きこもっているのは性に合わないのだろう。
リースはイヴが元気を取り戻してからずっと懸念していたことが頭をよぎる。
きっと、そろそろイヴは自分も医院で一緒に働きたいと言ってくるかもしれない。イヴは一度言い出したら譲らない頑固なところがあるから、機嫌を損ねて何か問題を起こされるより先手を打っておいた方がいいか……。
「イヴ、屋敷でただ私を待つのは退屈かい?」
イヴの瞳を見つめてそう問いかけるとイヴは少しばつの悪そうな表情をして視線を自分の手前にある皿に向ける。
「リースが心配してくれているのはすごく分かる……けど、やっぱり私もリースと一緒に外に出て働きたいの」
リースは困ったように笑うと小さくため息を吐く。
「分かったよ。私と一緒に医院で働くにはいくつか約束を守ってもらう必要がある。それを守れるかい?」
イヴはリースの言葉を聞くと顔を上げて瞳を輝かせる。
「もちろんよ!リースには迷惑をかけないわ!」
「分かったよ、じゃあ、着る物とか医院でも準備もあるから明後日から一緒に医院へ行こうか」
「ありがとう、リース!」
イヴは嬉しそうに笑うとリースのところまで来て額にキスをする。
リースもイヴの嬉しそうな顔を見て外ではけっして見せない穏やかな表情をしていた。
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