03
きっとイヴが現実を受け入れるまでにはそれなりの時間がかかるだろう。その間に僕はできる限りのことをしておくべきだ。
ルースは再び地下室へと戻るとすでに日課となった点滴を自分の腕へと流し込む。
イヴが殺されてからルースは食事を取る時間や寝る間も惜しんでひたすらイヴの蘇生のための研究をしていた。
そのせいでルースの容姿は以前はやや線は細いが爽やかな好青年のようだったのに対して現在は目の縁には深いクマができ体も痩せ細り歩く骸骨と言われてもおかしくないような風貌になっていた。
ルースは今までの研究を記してきたノートを見返してイヴの体の維持に必要な材料のリストをメモ帳に書き込む。
薬剤類は街まで出れば購入できるが問題は新鮮な血液だ。それもイヴと歳が同じくらいの女性のものでなければならない。
以前は病院に勤めていたので献血と称して職員や患者から血を採取することができたが、今の状況では再び病院で働くとしてもすぐに血液を得るのは難しいだろう。
ルースがどうやって大量の血を得ようかと頭を悩ませていると、頭の中で悪魔の囁きが聞こえてくる。
「血が欲しいなら売春婦から貰えばいいでしょう。彼女たちはお金さえ払えば何でもしてくれます」
まさに天からの声だとばかりにルースは顔を上げるとすぐに財布を胸ポケットに押し込み売春婦たちのいる裏路地へと向かった。
◇◇◇
戦後この国は豊かになったがそれは特権階級の者たちだけで、持たざる者たちは以前よりもひどい生活を送っていた。
ルースがたった今足を踏み入れたこの裏街はそんな持たざる者たちが暮らすスラム街とも言える場所だ。
すでに時刻は夜の21時を過ぎており、通りには何とかして客を引こうと多くの売春婦たちが手をこまねいている。
ルースはできるだけ身綺麗でイヴと年の近そうな女性を見つけて近くの宿の一室へと入る。
女はすぐに着ていた衣服を脱ごうとするが、ルースは女の方を身もせずに要件だけ述べる。
「私が君に求めるのは血だけだ。それ以外は必要ない」
「血って献血でもしてほしいって言うのかい?」
「そうだ、私の妹が不治の病にかかっていてね定期的に血が必要なんだ」
適当な作り話をでっち上げて女を納得させると慣れた手つきでシリンジへと血を溜めていく。
一回にとれるギリギリの量を採ったせいか終わる頃には女の顔色はひどく悪かったが、この後この女がどうなろうと知ったことではない。
ルースはそのまま部屋を出て行こうとしたが、この女をこのまま生かしておけば定期的に新鮮な血液が安定して採取できると思い直し、女に増血剤を渡して宿を出た。
帰り道を歩く足取りは軽く思わずスキップでもしてしまいそうなくらいに順調に物事は進んでいる。
後は、イヴのためにも一度本家の屋敷に戻って必要な金銭や薬剤のルートを確保するだけだ。
ルースはまだ知らない。
彼を影から見つめる者がいることを。
◇◇◇
翌朝イヴの元に行ってはみたがやはりまだ塞ぎ込んだままで何を話しても自分の方を見てくれることはなかった。
正直、こんなに近くにいるのに声を聞くことも触れることもできないなんて気が狂うほどの苦痛だが、今はまだ我慢するしかない。
イヴを失ったあの地獄の三年間を思えばこんな数日など可愛いものだ。
「イヴ?僕はちょっと街の本家に顔を出してくるからその間はこの部屋から出ないでくれるかい?この辺りは治安が悪いから外に出て変な人に絡まれでもしたら僕は自分のことを呪い殺したくなってしまうからね」
イヴの冷たい手を握ってそう言い聞かせるとルースは部屋を出て外から扉に幾重にも頑丈に鍵をかける。
きっと後数日もすればイヴも全てのことを受け入れてくれるだろう。そんなことを考えつつ読んでおいた馬車に乗って屋敷を後にした。
ヴァレリにある本家に着くと無数の使用人たちが玄関先に列をなして出迎える。
「イーヴリース様おかえりなさいませ」
使用人頭の老年の女性が深々と頭を下げると、ルースは手で静しこの屋敷の主人である父の執務室へと向かう。
執務室の扉を3回ノックするとすぐに部屋の中から返事が返ってくる。
静かに戸を開けて部屋に入ると正面に置かれた大きな執務用の机に座った父と視線が交わる。
「久しぶりだなルース。その様子じゃ、相変わらずろくな物を食べていないようだな」
「お久しぶりです父上。今日はお願いがあって参りました」
不要な会話はこれ以上いらないとばかりに父の言葉を受け流し本題を告げる。
「私は今ルーベン地区の廃屋敷に住んでおります。しかし、このまま仕事もせずにいつまでも過去に縋り生きているのは無くなったイヴのためにも良くないと思いもう一度人々のために働こうと思いまして」
「それはいいことだ!あの女が死んでからと言うものお前は変わってしまったとばかり思っていたよ。そう言うことならば再びウィンザーの名を名乗ることを許そう」
「父上、ありがとうございます。それでは早速ですがいくつかお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?何でも言ってみろ」
「実は、今住んでいるルーベン地区にはまともな病院が一つもありません。なのでルーベン地区に小さい医院を開きたいと思っています」
「なるほど、確かにルーベン地区はこの国の中でも最下層の者が集まる場所。本来であれば関わり合いを持ちたくない場所だが、最近の王政の状況を考えると慈善事業としての実績を残しておく方が後々優位になりそうだな。許可しよう、医院開設に必要な物品はルクベル商会に言っておけ」
「ありがとうございます。では今後も定期的にご挨拶に参りますので父上も無理をなさらないように」
今にも腹わたが煮え繰り返しそうな程の怒りを抑えつつ、目の前にいる父親に笑顔を向ける。
話すべき用件を終わらせ、本家を出るとすでに時刻は18時を過ぎており慌てて馬車を走らせてイヴのいる屋敷へと帰った。