こんなちっぽけなこと
明け方 海
「ねぇ、世界が変わる時ってどんなかな?」
僕はなにも言えずに、目をつぶる。
第1章
宮野健吾27歳フリーター
とくに夢もない。
公立の小学校、公立の中学校、公立の高校、私立の大学を卒業し、やりたいこともないまま、ただただコンビニの夜勤のバイトをする。
22時に出勤し、思考を停止させ朝が来るのを待ち、9時出勤の店長と交代し、9時30分に自宅に戻り、9時40分にシャワーを浴び、10時に就寝、18時に起床、テレビをつけて、18時15分にパンをかじり、21時30分に家を出て、22時に出勤。こんな毎日。休みをとってもやることはなく、週6日出勤。
繰り返し繰り返す。ただただ繰り返す。
朝9時いつものように交代の準備に入るが、店長の姿はない。
いつもと変わらない常連客が流れ込む。
一通りの流れが途切れ、落ち着く。
店の電話が鳴る。
店長が事故にあったとのこと。
代わりに他の店舗のスタッフが行くからそれまで待ってほしいとのこと。
9時40分
いつもならば熱いシャワーを浴びている時間。
10時00分
いつもなら就寝する時間。
10時13分
息を切らしながら、見覚えのない女性が店の中に入ってきた。
「おはようございます。三宿店の木崎です。店長さん大丈夫ですかね?あっ私すぐに交代しますので、もう少し待ってくださいね」
その女性はバックヤードに消えユニフォームに着替えレジに戻ってきた。
「お待たせしました。こんな時間までありがとうございます。早く帰って寝てください。体壊しちゃいますからね」
「お先に失礼します」
10時30分
店を出る。
いつもの帰り道とは違う日差しの強さに体がびっくりする。
汗がじわっと溢れだす。
この時間にはいつものゴールデンレトリーバーを連れた老婦人の姿もなく、大層お金持ちでありそうな家の前を掃き掃除するお手伝いさんの姿もない。
11時00分
家につき、急激な眠気の中、熱いシャワーを浴びる。
11時40分
就寝
嫌な熱さに敷布が肌にまとわりつく。
うっすらと目覚めた僕はエアコンを入れ後戻りするように深い眠りへ進む。
18時15分 起床
15分ずれての起床。身体の節々にだるさが残る。
18時30分 食事
夕方のニュースでは、この日東京は今年最高気温35度に達し、夏の名物群馬県は38度まで昇ったとのこと。
21時30分 家を出る
起床時間はずれたものの家をでる時間は変わらず。
駅前にはいつものようにストリート・ミュージシャンが叫ぶ。
22時 00分 出勤
新人のアルバイトの鈴木すみれさんが「おはようございます」と深々と頭を下げてくる。彼女は神戸から上京し、東京の大学へ通っている。どうやら家は地主らしく、ずいぶんなお金持ちらしい。とくに彼女と直接会話はしたことはないので真相は不明だ。いつも深々と頭を下げられる程度だ。
バックヤードに入ろうとしたとき彼女が慌てたように声をかける。
「宮野さん!」
彼女はコソコソ声で僕の耳に近づく。
「バックヤードに三宿店の木崎さんという方が眠ってらっしゃるので、起こさないように気をつけてください」
「木崎・・・?その人朝からいるんじゃないか?」
「そうです。他に代われる方がいなかったみたいで日中も木崎さん一人できりもりされてたようなんです。」
きりもりって・・・
「宮野さんの後の代わりもいないみたいで、明日も木崎さん一人らしく・・・」
丸2日通しなんて、体力がもつわけがない。
バックヤードに入るとタオルケットに包まれた状態でソファに横になっている木崎の姿が見えた。
宮野さんの言う通り起こさないようそっと着替えレジに出る。
宮野さんと交代し、いつも通り一人で店に出る。
いつも通りの常連客が流れ込み、いつも通りレジを打つ。
40代のサラリーマンはいつも、シーチキンのおにぎり3つ買う。コンビニでは案外皆同じものを買う。
おにぎり、お弁当、デザート、スナックお菓子、ミントタブレット、たばこ、新聞、雑誌・・・
みんなルーティンだ。
それも僕のルーティン中でレジを打つ。
ここに来る人のルーティンに僕も含まれていて、逆に僕のルーティンに客も含まれている。
ただ今日違うのは木崎という女性がバックヤードに寝ているくらいだ。
深夜3時
客足も落ち着き、一人品出しを行う。
この時間は案外好きだ。
誰もいない空間でひたすら商品を陳列する。
「おはようございます」
横から声がする。
例の木崎だ。
腫れぼったい目に背中まで伸びたストレートの髪は少し寝癖がついている。
「おはようございます」返答すると、彼女は体を伸ばしながら大きなあくびをする。
「私もすぐ手伝いますね」
「いや、いつも一人なんで大丈夫ですよ」
「まぁまぁ遠慮せず」
そう言うとバックヤードからユニフォームに着替え、商品の陳列を始める。
「宮野さんはおいくつですか?」
「27になります」
「27才ですか!じゃあ同じ年ですね!」
「宮野さんはいつからここで働いてるんですか?」
「宮野さんは趣味とかありますか?」
いくつもの質問が間髪なく飛んでくる。
なかなか苦手なタイプだ。
僕に趣味なんてないし、夢もない。
「私は2年前に東京に出てきて隣のコンビニでアルバイトをしているんです。」
「なんで東京に出てきたんですか?」なんて質問はしないが、彼女にそう聞こえてるみただ。
「この年になって恥ずかしいんですけど、私、絵を描いてるんです」
「実家は熊本なんですけど、親に「いつまで夢追ってるんだって」言われて、頭来ちゃって、東京で絵を描いて成功するんだ!って出てきちゃったです。」
「だから、昼間時間が出来て、たくさん働けるコンビニで働くことにしたんです」
「店長さんに「なんでもやります!」って言って雇ってもらったんです。」
「へぇ」
夢を追いかけて上京
僕にとっては物語の中の人みたいだった。
数日後、新しい店長がやってきて、いつもの日常が戻った。
僕にとっては、店長が変わろうがアルバイトが変わろうが、あまり変化はない。
これが僕の「いつも」だ。
いつものように家に戻ると、ポストに区役所から封筒が届いた。
中身は住民税の請求書だ。
このまま寝てしまえば、バイトの時間まで起きれないし、役所まで自転車で行けば15分なので、このまま役所に行くことにした。
一年に数度、家とコンビニの往復以外にこういった「例外」がある。
たまに見る景色はなかなか新鮮で、一年も通らなければ、色々な店も変わる。去年あった「とんかつバーガー専門店」は、やはり潰れていた。予想通りだ。とんかつバーガーもいいが、それだけだと毎日、毎週なんて食べれたものではない。
役所につき課税課の番号札を受取り、待っていると、やけに後ろから視線を感じ、振り返ると、三宿店の彼女がいた。
「あぁ!やっぱりぃ!!」
「なんか見たことある人だなーってずっと見てたんだけど、やっぱり宮野くんだったんだね!」
そう言うと彼女は僕の隣に移動し、腰掛ける。
「なにか用事ですか?」なんて聞かないが、話がはじまる。
「住民税の支払いを」
「あっ私もです!」
「3番の方どうぞ」
アナウンスが流れる。
「あっ私だ。お先に」
そのうち僕の番号も呼ばれ手続きを済ます。
そのまま帰ろうとすると、木崎さんに呼び止められる。
「よかったらランチどうかな?」
「大丈夫です」
「大丈夫?よかった!じゃあこの近くにおいしいお店あるから行こう!自転車だよね?私も自転車だから一緒にいけるね!」
僕は断る意味での「大丈夫」だったのだが、彼女の中では、いけるの「大丈夫」と捉えたようだ。
こういう誘いは基本的に断っているのだが、流されるまま誘いを受けてしまった。
明日は休みだしいいかと。
木崎さんはハンドルが羊のつののような緑色の自転車。白のふわふわしたスカートを少しまくり上げ、後ろからついてきてと言い、勢いよくペダルを踏む。
マンガのヒロインみたいな女性だ。
いつもって程会ったことはないが、いつも元気であろう。
眩しさすら感じた。
自転車で5分程行くと、でかでかと書かれた「みそかつバーガー専門店」
なぜこんなにもかつバーガーなのか。
「宮野くんはなに食べる?」
「わたしはこれ!」
&&&派手なハンバーガーを注文
見た目と違い大食いらしい。
「僕は普通のでいいです」
商品の乗ったトレイを受け取り席につく。
店内は10席ほどで、半分ほど埋まっていた。
「いただきます!」
彼女は大きな口でハンバーガーにかぶりつく。
かぶりついたと同時に味噌ソースがトレイに滴り落ちる。
「あっ!ごめんなさい!お粗末な」
「でも、宮野くんはそれ一つで足りるの?少食?」
「十分です。日頃あまり食べないので」
「だめだよー夜勤やってるんだし、いっぱい食べて体力つけないと!」
それから、彼女は地元のこと将来のことを笑いながら永遠と話した。
そんな彼女をただただ見つめることしかできず、僕の時間は過ぎた。
一通り食べ終わったころ、彼女はおもむろに立ち上がり、腕を組みながら僕に言う。
「よし!腹ごしらえもできたし、バッティングセンターに行こう!!」
彼女は僕を「ない」ところから、「ある」ところへ押し進めてしまう。
「いやー楽しかったねー!」
「また付き合ってね!じゃあさようならー!」
こちらの反応もないまま、彼女はスカートをまくりあげ、ペダルに足をかける。
「あっ」
彼女はペダルから足を降ろし、僕へ振り向く。
「今度、わたしの絵見てね!じゃ!」
ペダルを勢いよくまわし、去って行く彼女を見つめる。
一人でしゃべって、一人で決めて、一人で動く。
僕は推し進められるまま、ここまで来てしまった。
彼女は僕を「ない」ところから、「ある」ところへ押し進めてしまう。
その後はとくに彼女と会うこともなく、いつもの日々が続いていた。
1カ月が過ぎていた。
日が沈む時間も早くなり、18時には辺りの光が落ち、街頭が順々に光を灯す。
夏の騒がしさが、少し落ち着くこの時季は好きだ。
2:00
お客もいなく、品だしも終わり、バックヤードで一人パンをかじる。
目の前の防犯カメラには時間が止まったかのような、なんの変化もない店内が映し出される。
ちょうどパンを食べ終わったあと、一人のお客が入ってくる。
口に含んだパンを水で一気に押し込み、店へと出る。
「おつかれさま!」
ふと見上げると彼女がいた。
「今日も一人で品出しですか??」
彼女は細見のジーンズに大きなサイズのチェック柄のシャツを着ていた。
「なんか服装変かな?」
「いや」
僕は彼女から商品へと目を移し、作業を続ける。
「今日はちょっと渡したいものがあって来たの」
僕は作業を続ける
「聞いてる?おーい」
「聞いてますかー---」
彼女はしゃがみ込み、僕をのぞき込む
あと30分後にはいつも泥酔して入ってきて、栄養ドリンクとシュークリームを大量に買う水商売風の女性客が来る時間なのだ。
一度、シュークリームが陳列されていなかったときに一時間近くクレームを言われた。
「私の客には政治家だってたくさんいるんだ、こんなお店日本からなくすことだってできるのよ!」と大声で言われ続けたことがあり、
この時間には必ず栄養ドリンクとシュークリームを大量陳列することが最優先なのだ。
「少しで終わるから聞いてください!そのままでいいから!」
彼女は少しむくれながら話をつづけた。
「なんと!わたくし木崎夕は・・・」
彼女はそのまま黙り込み俯く。
少し気になり彼女に目を向けると。
彼女は立ち上がり、A4サイズのポスターを目の前に掲げ。
「個展を開くことになりました!!」
僕ら以外誰もいないコンビニに彼女の声が響き渡る。