43◆◆◆場所:『結局、行き着くとこは六畳間(マイルーム)』……語り手:【殺人視考(やさ男)】
◆◆◆場所:『結局、行き着くとこは六畳間』……語り手:【殺人視考(やさ男)】
「行き着くところは、『殺す(闘争)』か『自殺(逃走)』か」
――ただそんだけだ。
『どうしようもない』ってときに考えてしまう危険な誘惑。
『今を耐え切れる』っていう連中は、そうそういない。
「なぜ、『死ぬ』のか分からない」
「なぜ、『殺す』のか分からない」
――そういう連中はただ幸せなだけだ。
本当にどうしようもないって状況に陥ったことがないんだぜ。
「――幸せなことを誇りに思えよ?」
今、自分が置かれている当然と思っている『フツー』を幸せって感じろよ。
鬱陶しい『家族がいて』、なけなしの『金があって』、クソまずい『飯が食えて』、ボロッちい『家があって』、バカを言い合える『友だち(バカ)がいる』なんて『フツー』なことを『幸せだ』って噛み締めとけよ。
まぁ、どうせ、『失ったとき』に初めて『大切だったんだ』って気づくんだろうけどよ。
「――それと、『死んだヤツ』と『殺したヤツ』を笑ってやるなよ」
悩んで悩んで悩んで悩んで悩み抜いた答えはな、それだけで意味があると思うぜ。
「――でも、『死んだら負け』で、『殺しても負け』だ」
そうと分かっていても考えてしまう、僕はビビリで何もやれない、ただの『甲斐性なし』。
瞬時に『人を殺す方法』と『過程』を『数百通り』考えてしまう。
――『モノを視れば』、『殺し方が勝手に浮かぶ』程度のどうしようもない【殺人視考(やさ男)】さ。
そんな『フツーじゃない』僕が、『フツー』な人にちょっと、言いたいことが一つある。
「――生きてりゃきっといいことあるぜ?」
『物語』は『全てを失った後』に始まり、『喜劇』に変えるもんだ。
『無くした後』に『気づいた幸せ』を『笑って掴み取る』ことから始まるんだぜ。
――それが生きるってことだろ?




