36◆◇◆場所:『地に足がつかない(宙ぶらりんな)暗中模索(暗闇で)』……語り手:『猫嬢』
◆◇◆場所:『地に足がつかない(宙ぶらりんな)暗中模索(暗闇で)』……語り手:『猫嬢』
「……な、なんとか間に合ったぜ。クソッ、間一髪だ」
声がした。
何度も聞いた嫌な声。
暗闇の中で、『癇に障る猿』の声がした。
「ん……」
鈍い思考。
鈍い痛みが全身に。
――何これ。頭がぼーっとする。酔っ払ってるように寝ぼけているように、あちこちが『ふわふわ』してて変な感じ。……それに何か違和感が。
「……はっ! 私は、一体? ぎゃっ、クサッ! な、何このニオイはッ!」
目の前には、ブクブク。
正確には、臭気をあげて泡立つ『溶解液』の『底なし沼』。――いや、溶けてしまうんだから、底があるかなんてどうでもいいのかもしれない。
「……はぁ、はぁ。……へっ、気づいたかよ」
声がした。
バカの声が私の後ろからした。
「って、どこ引っ張ってんのよ! 『尻尾』が、『私の尻尾』が抜ける! イタイイタイイタイ!」
思いっきり宙吊りじゃない!
バカに尻尾を持たれて、『ぶらんぶらん』揺れてる私。
「ばっ、バカ、暴れるなッ!」
「――暴れるなって。は、鼻先がこんな、水面ぎりぎりで!」
『パニック』よ!
『ド低脳』の汚い手で引っ張られながら、『落ちたら死ぬ』って状況で正気にいられるなんてオカシイわ。
『殺してしまおう』と思った相手で、しかも『殺そう』としてきた相手が。
だけど、現実はもっと厳しいことになってるなんて……。
「って、ちょっ、何やってんのよ! 本が! 本が溶けていくじゃないの!」
尻尾を握っている『アイツ』を見る。
腰を捻って、『バカの顔』を睨んでやる。
血だらけの手で壁を掴みながら、私の尻尾を掴んでるバカに言ってやる。
「さっさと拾いなさいよ! 何やってんのよ!」
本が溶けていく。
『表紙』が、『用紙』が、【自己主張】が。
【陣】が消えて行く。解けて、溶けて、融けて熔けてしまってるのに。
「うるせぇ!」
「うるさくなんかない! さっさと、拾いなさいって!」
――理解できない。
「それに、なんで、私なんか助けたのよッ! バカじゃないのッ! ……あの本がどれだけ大事なモノか知ってるのッ!」
バカでも分かるはず。
――大事だから、私を追い掛け回してんだから。
「うるせぇ! そんなん、分かってらぁッ!」
――嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
「分かってない! 全然、分かってない! 『世界と世界を繋ぐ【陣】』の情報がどれだけ『貴重』か分かってない! アンタ、あれだけ『元の世界に戻りたい』って言ってたじゃないのよッ?」
そうよ。
分かってるわけない。理解できてるわけがない。
あの本がなくなったら帰れないってことなのに、私なんかを助けて何になるっての?
私は『破産』したのよ? 『爵位』も無くなったのよ? 『ただの可愛い猫』なのに、なんで、なんでよ!
「――うるせぇ!」
バカの否定。
力強い『否定』。
何も分かってないから出来る完全なる否定。
「うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ! そんなん、分かってらぁ! ……あぁ、分かってるさ」
――痛みを伴う否定で。
知っているからできる否定で――。
「――分かってる、分かってる、分かってらぁ! バカなオレでも、十分に分かってらぁ!」
――自嘲を込めた否定が。
自重しない否定で――。
「それに、戻りてぇに決まってるだろうが! こんなクソみたいな世界から、さっさとおさらばしてぇよ! クソ猫なんて見殺しにして、さっさと帰りてぇよ!」
告げてくる。
苦渋の選択だったというのが痛いほど、いえ痛々しいほど辺りに満たされる。
もし、こいつが魔法を使えたら、【陣】を使えたら、一体どんな悲しみを巻き起こしたか、わからないぐらいに【自己主張(揺れる心)】が響いてくる。
「……だったら! だったら、なんで、私なんか助けたのよ! あの本が無くなったら……」
本当に分からない。
この私ですら分からない。――一体、何の得があるのよ。
何も残ってない『異端(異常)』の私を何で助けたのよ。
――全く理解できない。バカの考えることが分からない。
「うるせぇっ! うるせぇって言ってんだろうがよ!」
断固とした拒絶。
「――『世界を繋ぐ【陣】』の情報は『貴重』? あの本が無くなったら、帰れない? ――そんなん知ったこっちゃねぇ!」
相変わらずの無茶苦茶。
「あの本があれば、『必ず』帰れんのか? 『絶対に』帰れんのか? 『100%』帰れんのか? 必ず帰れるって『保証』があるのかよ!」
疑問。
無茶苦茶なこじ付け。
「誰が決めたよ? 一体、いつ、どこで、誰がッ!」
――無茶苦茶な否定で。
「オレは、そんなん知らねぇ! そんなん聞いたこともねぇ! ……あくまで、手がかりだろ。勝手に決め付けんじゃねぇよ! そんな不確かなモン信じて、確かなモンを見捨てるなんてな、オレの『流儀』じゃねぇんだよッ!!」
横暴な押し付けで、バカが押し通る。
「――そんなゲスなことでっきかよ。寝覚めが、悪ぃんだよッ! ウゼェんだよっ!」
止まらない。
止まない。
バカな論理がバカなセリフが、勢いを増し続ける。
「――誰かのおかげで、オレが無事に助かりました? その代わりに、ソイツはお亡くなりになりました? ハッ、『恩着せがまし』いんだよ! 『迷惑』なんだよっ! 『自己満』に浸ってんじゃねぇぞ、クソが!」
『威圧』。
『強制』。『主張』。
「――てめぇらの犠牲なんて無くってもな、本が溶けて無くなろうがな、カンケーねぇ。全く、全然、カンケーなんてねぇッ!」
『力』、『力』、『力』。『主張』。
「そんなもん無くったってな、オレは元の世界に戻ってやらぁッ! 絶対! 必ず戻ってやる! だから、グダグダ言ってんぇじゃねぇぞ、コラァッ! 黙って、オレに助けられやがれってんだ!」
断言。
断定、断固譲らない。
どこから来るのか分からない自信。『理解不能』で『意味不明』な『思考形態』。
――だけど、私には、その『言葉(想い)』が、この主張には痛い何かがあって。
理解できない痛みがあって……。この私をおかしくさせる何かがあって。
気分を悪くさせる何かがあって。最初会ったときから感じる矛盾で吐き気がして……。
この『猫嬢』に理解できないものあるなんて納得いかない。
――だから、私は聞いた。
あろうことかこの私が、バカの【自己主張】に耳を傾けてしまったんだ。
「でも……」
「でもじゃねぇ! さっさと、しがみ付きやがれ!」
即答。
言いかける前に私の『主張』が潰される。
……有無を言わさずの断定で、告げられた。
「――ッ」
信じられなかった。
気づくと、私がアイツの身体にしがみついていた。
――あんなに嫌がってたはずなのに、身体が勝手に従ってしまっている。
「……くっ」
嫌だ。
屈辱だ。こいつの手なんか借りたくない。
「――バカよ」
バカが登り出す。
「――こんな血だらけになってまで……」
血だらけの両手を頼りにふらふらになってるのに登ってく。
「はぁ……はぁ、んっ? ……なんか言ったか?」
冗談交じり。
皮肉げに。こんな状況が当たり前というように。
「――別に」
私は、そう返す。
自分の本心を悟られないように、返すだけ。
理解できない背中にしがみ付きながら、返すだけ。
――その背中は、いつか感じた懐かしさを返すだけ。
きっと、これは『つり橋効果』になってるからに違いないんだから――。




