表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

episode.5

 春の強い風が今日も一日、大地の上を通り抜けて行った。そのせいか、気温の割に肌寒く感じた一日だった。守屋の休みの日、今日は母の病院の付き添いだった。職場に復帰した祐司の代わりに、再びその役が回ってきたのだ。家に戻ってきた母が、やれやれとソファに腰を下ろした。

「おっきな病院は、待ってる時間が長くて、えらく疲れるわ」

「少し布団で横になったら?夕飯、俺何か作るから」

「いいよ、あんただって疲れてるのに」

「平気だよ。何か食いたいもん、ある?」

言いながら、幹夫は冷蔵庫を開ける。すると母が古新聞の山をガサガサし始める。

「この前チラシが入ってたけど、駅に行く途中の右側にね、カレー屋さんが出来たらしいのよ。ほら、なんだっけ、チェーン店の・・・。お母さん、あのカレー食べてみたくて」

「そんなんでいいの?じゃ、祐司の分と三人分買ってくるよ」

即座に車のキーを手に取る幹夫に、母が待ったを掛ける。

「あんな近いのに車で行くの?」

「すぐだし・・・」

「あんたも、少しは歩いた方がいいよ。もう中年になるんだから。運動不足でしょ?」

「あんな所まで歩いたって、運動不足解消にならないでしょ」

「歩かないよかマシでしょうが」

古新新聞の中からチラシを見付けた母は、クーポン券を手渡すと同時に手の平を広げて車のキーを催促した。しかし幹夫は笑ってそれをポケットにしまった。

「ちゃんと歩いていくよ」

「あそこ、駐車場なかったかもしれないよ」

「分かったよ」

はははと笑って、幹夫は家を出て行った。


 駅までの道を歩くなんて久し振りの守屋だ。新鮮な景色に油断して、去年雪子と歩いた夜の日の事を思い出す。火傷をした手をついぎゅっと握りしめて痛がらせてしまった苦い思い出。懐かしい小学校や野球のグラウンドまで散歩した日の事が思い出されて、夕暮れ色の空が、守屋の心も切ない色に染めた。遠くからでも見える目立つ真新しいカレー屋の看板に、守屋の気持ちも現実に戻る。母が『あんな近く、車じゃなくて歩いて行け』と言った意味が良く分かる程、あっという間の距離だった。

 カレー屋で三人分の買い物を済ませ、店を出ると、その道の脇にしゃがんで猫と戯れている一人の女がいる。

「・・・ユキ・・・」

そう思わず漏れた守屋の声に振り返った雪子が、見上げて慌てて立ち上がると、足元でまどろんでいた猫はサーッと逃げていなくなってしまう。同じ様に逃げ出そうとする雪子の腕を、とっさに守屋が掴んでいた。

「待って」

「・・・ごめんなさい」

「逃げないで。ちょっとだけ。・・・ちょっとだけ、話したい」


 辛うじて繋ぎ止めた雪子と近くの喫茶店に入る。窓際の席に案内され、二人は向き合って俯いた。

「こんな所で何してるんだ?・・・って聞かないんですか?」

猫背の雪子に、守屋はあえて明るい声を掛けた。

「俺に会いに来てくれたのかなって・・・」

黙ったまま笑うでも否定するでもない雪子に、守屋が自分でそれを突っ込んだ。

「な訳ないね。『忘れてくれ』って言われてんのに。うぬぼれもいいところだ」

「ごめんなさい、この間は・・・。わがまま聞いてもらって、お礼どころかメールの返事もしないで・・・」

「謝んないでよ。お礼も・・・おかしい」

辛い表情になりかけた守屋が、深呼吸をして、一旦話題を変えた。

「今日は・・・仕事、休み?」

守屋が聞くと、雪子は消え入りそうな声で答えた。

「・・・休んじゃいました」

「・・・・・・そう」

さっき買ったカレーの袋から香ばしい香りが立ってきて、雪子はその袋に目をやった。

「あ、これ。凄く匂うよね。お袋がここのカレー食べてみたいって言うから、今日の家の夕飯」

照れる様に笑う守屋に、ほんの少しだけ雪子も頬を緩めた。

「お袋に、近くなんだから歩いて行けって言われて来たけど、たまには親の言う事聞くもんだ」

「歩きなんて、珍しい」

「もうあんたも中年だから、運動不足は良くないってさ」

ははははと笑う守屋に、雪子もくすっと遠慮気味に笑った。

「お陰で、こうして会えた。全然返事がないから、もう会う事も話す事もないのかと思って諦めてたから。でも、良かった」

初めよりも一本解けた心の鎖が、雪子の口をほんの少しだけ緩めた。

「もう嫌われてるかと思って・・・連絡するの怖くて」

すると守屋が当然驚いた顔で雪子を見た。

「俺に?!」

雪子はゆっくり頷いてから、話し始めた。

「それに・・・守屋さんって、別れた相手には冷たい人だと思ってたから」

さっきほぐれた空気が一変して、守屋の手が止まる。

「それとも、あの人は対等で、私は・・・元部下で、子供で、危なっかしいから、遠慮して冷たくできないんですか?」

守屋の中で、景子と鉢合わせした時の記憶が呼び起こされる。

「そんなんじゃないよ」

雪子は新しい空気を一回吸い込んで、再び質問を始めた。

「あの人とは、どの位つきあってたんですか?」

「・・・・・・」

「なんで別れちゃったんですか?」

「・・・・・・」

「こういう事聞かれるの、嫌ですか?」

守屋がゆっくり息を吸い込むと、雪子はまだ続けた。

「なんで今さらお前に話さなきゃならないんだ?って感じですよね」

へへへとごまかす様に雪子が笑った。だから守屋も、さっき吸い込んだ息を少しずつ吐き出し、それに言葉を乗せた。

「4年付き合った」

「4年・・・」

一旦俯いてしまった顔をそのままに、雪子は質問を続けた。

「・・・彼女、しっかりしてそうだし、守屋さんの家族とも仲良くやれて・・・結婚したらきっと良い奥さんになってたと思うのに、どうして・・・あんなに冷たくするんですか?」

「・・・・・・」

「あっ・・・あの時は私が居たから、私に気を遣ったんですよね。きっと・・・私が居なければ、もっと優しく話してましたよね?」

守屋はゆっくり首を横に振って言った。

「俺は、酷い奴だよ」

そう話す守屋から触れてはいけない空気が溢れていたから、雪子は言葉を飲み込んだ。すると今度は、守屋が気になっていた事を口にする。

「同じ厨房の・・・彼とは・・・大丈夫?」

「・・・・・・」

雪子の表情が再び能面に戻る。

「余計な心配だね」

「いえ・・・」

冴えない雪子の顔色を窺う守屋。

「正直、あの日は・・・今までユキと過ごした中で、一番悲しい時間だったよ」

テーブルの下で洋服をぎゅっと握りしめる雪子の手には、密かに力が入る。

「ああいう事しといて、男の俺がこんな事言うの・・・ずるいね。ごめん」

雪子は俯いたまま、奥歯を噛みしめた。

「今さら、どうのこうの・・・話したくないよね」

「・・・・・・」

「もう、分かり合う事は・・・出来ないのかな・・・」

この悲しい空気をどうする事も出来ずに、守屋が頭を掻いたところで、ズボンのポケットの中で携帯が震えた。それを取り出すと同時に、懐かしいお揃いのストラップの付いた車のキーが床に落ちた。それを雪子が拾ってテーブルに置くと、守屋は少し慌ててキーを手前に引き寄せた。

「これ、もう外さないとね」

高尾山のお土産にお揃いで買ったストラップを車のキーから外すと、苦笑いをしてそれをポケットにしまった。

「女々しいね。ごめん」

一方的な会話を、守屋は続ける。

「俺のが後腐れがあって・・・自分でも本当、嫌になる」

目の前で微動だにしない雪子に、守屋はもう一言付け足した。

「もう外したから・・・大丈夫」

それはまるで、自分に言い聞かせている様でもあった。守屋が珈琲に口をつけている間に、雪子は息を吸い込んだ。

「私は・・・」

ようやく雪子の声を聞いた守屋が、カップを持ったままその手を止めると、雪子は続きを喋った。

「私はあの日・・・勝手に・・・幸せでした」

店内のBGMに紛れてしまいそうな程の雪子の声が、辛うじて守屋の耳に届く。そして守屋が悲し気ににっこり笑った。

「なら・・・良かった」

さっき吸い込んだ息が、安心の吐息に変わる。

アイスティーをストローで一口飲んで、雪子が聞いた。

「佐々木さん、お元気ですか?」

守屋の顔が再び真顔に戻る。

「うん」

「佐々木さんの息子さん・・・名前なんだったっけ?あの子も・・・元気ですか?」

「玲次君ね。最近は来てないよ。・・・あ、でも そういえば、小学校卒業だって言ってたな、この間」

「・・・キャッチボールしたり・・・もうしないんですか?」

守屋は雪子をじっと見て、言った。

「佐々木さんとは、個人的な付き合いにはならないよ」

「・・・」

雪子はバツが悪そうに顔を下に向けた。妙な空気が流れそうになったところで、守屋が話題を変えた。

「元職場の者として聞くけど・・・今の彼には、何でも相談出来てる?」

雪子は暫く考えてから、ふと顔を上げた。

「守屋さんが言ってた通り、犬飼さんにとても助けられてます」

複雑な表情でにっこりする守屋から目を逸らして、雪子は窓の外に視線を飛ばした。

「もうすぐ桜の季節ですね」

ほんの少しだけ雪子の頬が和らいだのを感じて、守屋はふっと心が軽くなる。

「高尾山行った時・・・桜・・・咲いてましたね」

「そうだね」

「あの時話してくれた遠足のお弁当の話、良く覚えてます」

はははと守屋が軽く笑うと、それにつられる様に、雪子も頬を緩めた。そして、少しだけ雪子がお喋りになる。

「あの時まだ守屋さんの事、何にも知らなくて・・・本当は結婚してたらどうしようとか、そんな事いっぱい不安に思ってました」

懐かしい思い出話に、二人はクスッと笑った。

「今後も・・・俺みたいなの、選んじゃ駄目だよ」

雪子の顔が再び真顔に戻る。

「・・・どうしてですか?」

守屋がはははと笑った。

「そりゃそうだよ。余計な心配しなくちゃいけないし、親にも心配掛ける。職場ではあれこれ言われるし、将来の希望もない。・・・良い事ないよ」

雪子は目の奥に熱いものが込み上げるのを感じて、すぐに俯いて首を横に振った。


 喫茶店を出て、守屋の背中に、雪子が声を掛けた。

「ほんとはさっき、そこのカレー屋さんの求人見てて・・・」

「仕事・・・辞めるの?」

「・・・かな?って」

「・・・やっぱり、職場が辛いんだね。まぁそれも、俺のせいだけど・・・」

何も語らないが首だけ横に振る雪子に、守屋が薄っすらと作り笑いを浮かべた。

「他の場所なら、頑張れそう?」

「前と同じになっちゃ、進歩がないと思って・・・」

「相変わらず、健気だね」

そこで雪子が顔を上げた。

「桜が咲いたら、守屋さんと行きたい所があります。仕事サボらないで頑張ったら、ご褒美に連れて行ってもらえますか?」

「・・・・・・」

本当は間髪入れず頷いてしまいそうなところを、守屋はぐっと堪えた。その複雑な表情をじっと見て、雪子は言葉を続けた。

「違います。元職場の職員としてお願いしてるんです」

少し納得した様子の守屋だ。

「その頃、また連絡します」

雪子はそう言って、ぎこちない笑顔で笑ってみせた。


雪子の言った『その頃、また連絡します』に心が華やぐのを必死で押し込める守屋だ。職場の近くの桜の蕾が膨らんできて、通勤途中に見える数本の桜も、薄っすらと桃色に色づき始めていた。一体雪子はどこに行きたいと言うのだろう・・・そんな事ばかり考えてしまう今日この頃を反省する守屋に、一本の電話が入る。

「星野さん、辞表出してったよ」

桐谷から報告の電話だ。聞けば、4月半ばまでだと言う。

「調べたら、星野さんにヘルプに行ってもらった立川には、以前彼女をからかって異動になった職員が居たんだ。うかつだったと思う。本当、申し訳ない」

「やめてよ。俺に謝る事じゃない」

「・・・星野さんに会ったら、慰めてやってよ」

守屋の返事が喉の奥で止まってしまった事は言うまでもない。


 守屋が密かに心待ちにしていた日がやって来る。

「約束通り、ちゃんと頑張って仕事行ってますよ、私」

助手席でそう話す雪子のいる景色が、妙に懐かしくしっくりくる。コインパーキングに停めて、雪子の導くままに 守屋は隣を歩く。春の麗らかな日差しを受けて、雪子がご機嫌に歩く。そこは去年の夏二人で訪れる事のなかった調布飛行場のすぐそばにある公園だ。青々と茂った芝生が目に優しい。すぐ近くで定期的に飛行機が飛び立つから、沈黙も怖くなかった。園内の桜の木が、遠目にほんのりとしたピンクの綿帽子の様に見える。横顔からも 雪子が終始笑顔なのが分かる。しかし守屋には胸の痛い場所だった。雪子が楽しみにしていた旅行をキャンセルした 当時の罪悪感がそのままに蘇ってくる。展望台に昇って空に向かって胸を広げる雪子が思い出した様に、口を開いた。

「あ、そうだ。夏子ちゃん達、伊豆に引っ越すんだそうです」

「伊豆に?転勤?」

「いいえ。転職だそうです」

「二人で?」

「そうです。二人一緒に伊豆のダイビングショップに移るんだって言ってました」

「そうかぁ。じゃ、寂しくなるね」

「こっち発つ日、一緒にお見送りに行きません?」

「・・・・・・」

答えに慎重になる守屋に、雪子の一言が背中を押す。

「もう、暫く会えなくなっちゃう前に・・・。きっと二人も喜びます」

明確な返事を聞かないまま、雪子は展望台を下りた。

 桜並木の長い道を歩きながら、不思議な気持ちになる守屋だ。去年の年末、まだ何ヶ月か前、ここを通った時に、桜の季節にここを一緒に歩きたいのは雪子だと思ったその思いが、今叶っている現実。あの時思い描いた形とは少し違うけれど、手を伸ばせば届く距離にいる雪子の少し後ろを歩きながら、ぼんやりそんな事を考えるのだった。

「ね、見て。守屋さん」

そう言って笑顔で振り返る雪子が指を差している先には、太い幹にぽっと咲いた桜の花があった。

「こうやって一輪だけ咲いてるのも、可愛いですね」

そしてそれを写真に収める雪子に、守屋が質問を投げた。

「今年は・・・どっか他の桜も見に行った?」

一瞬真顔に戻った雪子が、再び頬を引き上げた。

「駅から職場まで、桜の木いっぱいあるんです。だから、毎日見てます」

雪子のその言葉に、甲斐甲斐しく送り迎えをする一平の姿が、守屋の脳裏に思い出される。

「・・・そうか。そういえばそうだね」

桜の木を見上げながら 一歩前を歩く雪子に、守屋が思い切って聞いた。

「なんで・・・ここに?」

「・・・・・・」

「やっぱり、ちゃんと謝らなきゃいけないよね」

そこまで聞いて、雪子は慌てた。

「違います。ただ・・・ここの桜並木、満開の時に来たら綺麗だろうなって思って」

去年の年末、奇しくも同じ事を考えていた自分が蘇ってくる守屋だ。

「じゃ・・・なんで俺と?」

雪子の足が止まる。当然、それに合わせる様に守屋も足を止めた。

「・・・ダメですか?」

「ダメじゃないけど・・・誘うなら、他にいるでしょ?ちゃんとした人が」

「この前守屋さんと話してたら、何故か桜見たくなっちゃって・・・。ほんと、ただ、それだけです」

さっきまで無邪気に桜を眺めていた雪子は影をひそめてしまったから、守屋が自分のした質問に後悔し始めた頃、雪子が顔を上げた。

「仕事サボらないで行けたらご褒美にって・・・。前にそう、お願いした筈です」

「ははは・・・そうだった」

作り笑いを浮かべる守屋だ。

満開の桜の間をすり抜けてきた風が、雪子の肩程までの髪を揺らした。それに背中を押される様に、雪子が少し勇気を出した。

「私との昔の思い出も・・・全部汚れちゃいましたか?」

隣にしては少し距離を空けて歩いていた雪子の歩調がペースダウンした。

「ユキは時々、凄く悲しい事言うね」

「・・・・・・」

桜の花の隙間から差す花見日和な柔らかな日の光に目を細めて、守屋は大きく息を吸い込んだ。

「前の彼女と別れたのは・・・まぁ簡単に言ってしまえば・・・彼女の浮気。俺の親父が不倫相手と駆け落ちしたって話、前にしたよね?だから、人よりそういう事に嫌悪感を持つのかもしれないね、俺は。だから、自分が寂しい思いさせた事を棚に上げて、当時は彼女の事許せなかった。彼女に冷たく当たってしまったのは、そういう理由が半分。あとの半分は・・・結局親父を許せてない幼稚な自分に腹を立ててたのかもしれない。でもね、この間、俺自身がユキの浮気相手になって・・・当然自己嫌悪とか戸惑いみたいな気持ちもあったけど、それまで理解できなかった親父の・・・お袋の事も俺ら子供達捨ててでも貫きたい思い、みたいなのが、少し分かった様な気がした」

不意に通る麗らかな風に、たわわに咲いた八重桜の枝が揺れる。

「私・・・何も知らないで・・・」

「ユキの彼氏には本当に申し訳ないって思ったけど・・・だけど・・・」

守屋はその後の言葉を濁した。

「ユキに、あの時幸せだったって言ってもらって・・・お世辞でも 正直救われた思いがしたよ」

「お世辞じゃありません」

いつになく、雪子の口調が強い。しかし守屋は、複雑な表情を浮かべた。

「そんな事、もう今後は言っちゃ駄目だよ」

悲しい瞳で見つめる雪子に、守屋が説明した。

「俺は嬉しいけど・・・彼が知ったら傷付く」

それを聞いて僅かに歩調を早めた雪子が、振り返らずに言った。

「私・・・浮気なんかしてません」

『え?』と聞き返した守屋の声は、数メートル先を歩く雪子には届かない。くるっと向きを変えた雪子が、続きを話した。

「私の事・・・誤解してます」

「・・・誤解?」

「私って・・・そういう事する様に思われてるんですね」

少し慌てて取り繕おうと口を開ける守屋。

「あ、いや・・・そういう風には・・・」

「でも、守屋さんさっき・・・」

守屋は悪あがきしようともがく自分の口を閉ざした。

「それと・・・」

もう一度守屋に背を向けて歩き出した雪子が、前を見たまま言った。

「守屋さんが彼氏だと思ってる人。あれは・・・ただの友達ですから」

聞き返したい事も、確認したい事も 何一つ聞けないまま立ち尽くす守屋をおいて、雪子はゆっくりと足を進めて行った。

ふわっと吹いた柔らかな風に、桜の花びらが一片、ひらひらと舞い落ちて、雪子の髪の毛に乗った。以前にもこんな事があったのを 守屋がふと記憶の片隅に思い出し、そっと手を伸ばして取った花びらを雪子に見せた。すると雪子は、嬉しそうに微笑んだ。

「前にも、こんな事 ありましたね」

二人がそれぞれの胸の内で、思い出をなぞる様な時間の重なりが、くすぐったい様な懐かしく切ない様な、淡い色で二人を滲ませた。

雪子がその花びらを手に乗せると、手帳を開いて大事に挟んだ。

「昔、言いませんでした?落ちてくる花びら取っておくと、幸せになれるって」

「うん。聞いた事ある」

「意外と取れないんですよね~」

手帳を鞄にしまいかけたところで、雪子がはっとする。

「あ!でもこれ、守屋さんが取った花びらだから、守屋さん持って帰ります?」

「いや、いいよ。あげる」

「じゃ・・・」

そして雪子は桜の木を見上げた。

「守屋さんの分、私がキャッチします」

桜吹雪になるにはまだ時期が早い。穏やかな春の風も、そうそう花びらを剥がしたりはしない。たまに一片舞い落ちるが、それも遠くの景色の中だ。

「今度までの宿題にしといて下さい。絶対キャッチしておくんで」

そんな風に並木道を歩き切った頃、守屋が言った。

「もし時間平気だったら・・・どっかでご飯食べてかない?」

雪子は横を歩く守屋の顔を振り向いて、にこっと頷いた。


 近くのオープンカフェのテラス席でオーダーを待つ間、雪子はさっき桜をバックに自撮りした写真を眺めてクスッと一人笑う。

「何?」

守屋の問いに、雪子がその画像を見せた。

「後ろの守屋さんの顔・・・」

「俺、映ってたの?」

写真のアングルに収まっていないと思っていた守屋の顔は無防備で、雪子とこうして花見をしながら散歩している事実に複雑な表情を浮かべていた。

「映ってるなら、そう言ってよ」

「所長さんと元職員は、ツーショット写真撮らないですよね?」

「・・・それも、そうだね」


 帰りの車の中で、守屋が聞いた。

「最近は、お母さんと上手くいってる?」

「はい」

「あんまり、心配掛けちゃ駄目だよ」

「・・・はい」

「・・・俺と会ってるなんて知ったら、又お母さん心配するよ」

「・・・・・・」

「とにかく、また仕事頑張って行くんだよ。辛い事があれば、いつでも話聞くから」

車から下りる寸前に、雪子が一つだけ守屋に聞いた。

「この前外した高尾山のストラップ・・・どうしました?」

守屋がその質問の真意を探る様に、雪子の方へ顔を向けた。

「この前外して・・・そのまま」

「・・・捨てました?」

「・・・捨ててはいない」

「・・・・・・」

「捨てた方がいい?」

雪子は暫く黙っていたが、ドアに手を掛けた。

「いえ。ごめんなさい。余計な事言いました」

 少し離れた所で降りた雪子は、その後家の前に着き、お揃いだったストラップの未だ付いた鍵を玄関に差し込んだ。


いよいよ次回、最終話です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ