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恋愛もの短編

だから俺は漫画を描きたい


「センスがない!」


 一人っ子ゆえ、大きくはないが小さくもない俺のへやに悲痛な叫び声が響く。鼓膜が揺れてうるさ痛い。まあ、何を隠そう俺自身の悲鳴なのだが。

 自分の声に自分でダメージを受ける間抜けを晒していると、後ろから呆れた声がかかった。

「何やってんだよ、ばかだなあ」

「馬鹿ってなんだよ……」

 文句を言いたいが、何も言えない。俺は馬鹿だ。そこに間違いはなかった。

 俺は頭を掻きながら、我が城が誇る究極の睡眠誘導所、もといベッド、を占領する幼なじみを振り返る。

 ヤツはぼりぼりとせんべいを食べつつ、横になって漫画を読みふけっていた。俺がずぼらな性格で命拾いしている自覚を持つべきだ。俺が潔癖症だったらお前は即刻断頭台行きだぞ。

 その他様々な文句が頭を過るが、結局口に出さず俺は机に向き直った。別に文句を言うのにためらいはないが、面倒になったのだ。こういうところがずぼらなんだろうなと思いつつ、そのお陰で幼なじみとお互いに上手くいっているので直す気も起きない。

 ペンを持ち直し、再び思考にふける。カツカツと響くペンの音と、微かに頁をめくる音だけが部屋に落ちていく。ペンの音がカリカリではない理由はお察しの通りである。


「なぁ、どうしてそんなにセンスに拘るんだ?漫画家目指してないんだろ?」

 不意にかけられた声に、俺はノートに点描するのをやめた。幼なじみの声にはどこか不満げなものが混じっていて、思わず苦笑する。度々言われているので、その先に『もったいない』と続くことは分かりきっていた。

「まぁな、漫画家やるような気力が俺にあると思えないし、やってるうちに心折れて絵描きたくなくなったら嫌だし。まあ、趣味として極めたいんだよなぁ」

「消極的なやつだなぁ」

 振り返らずとも分かる。間違いなく唇を尖らせている。その表情が容易に想像できて俺はついに吹き出した。

「む、なんだよ。オレなんか変なこと言った?」

「いや、なんでも」

 何となく創作意欲が湧いて、浮かんだイメージを逃がさないうちに紙へと描きだす。やいやい文句を言う声をスルーして、ヒロインと主人公が笑い合う一場面を描いた。そこから、ヒロインの容姿を細かく、思いつくだけの表情を描きながら決定していく。


 すっかり集中していた俺は、背後から近づくもう一人の存在に気付かなかった。


「ていっ」

「……」


 驚き過ぎると声が出ない。使い古されたその表現がいかに的確かを実感した。


「……思ったより反応薄い。つまんねえー」

「驚きました。驚いてます驚いてるから!」

 離れろ!目が覚めて体が縮むどころか心臓が縮んで我に返った途端に色々あれがあれだから!


 えー、と不満そうに首元に抱き着いた腕に力を入れる彼女・・は、全く自覚がない。俺がずぼらな上にきちんとした倫理観と固い理性を持っているからお前は今救われているんだ。いくら幼なじみで、言動や思考が小学生男子だからといって、お前の性別は変わらんのだ。自覚しろ、この際俺の個人的事情には鈍感でいて良いから、せめて自分の体のそこかしこが柔らかいことくらいは自覚しろ!


 少し冷たい白い腕が、柔らかく首に巻き付いている。頭の上で話しているため、つむじに吐息が触れる。見た目では分からなささやかな膨らみ。しかし後頭部に触れる柔らかさが確実にその存在を主張している。あたたかさと柔らかさで言えば肉まんも似たようなものなのに、なぜこうも緊張するのか。そのうち肉まんに興奮するようになったらどうしよう。残念ながら膝を立てて前のめりになっているため、魅惑の太ももは俺の体からは離れている……ん?なんだ残念って。俺は何を考えている?あ、駄目ださっき思いついた設定全部消えたわ。というかなんも考えらんないわ。もう色々と駄目だわ。


 俺の頭が半分馬鹿になっている間に、幼なじみは設定資料に目を通していたらしい。ぽつりと呟く。


「……センス、あると思うけどなあ」


 その一言で、煩悩よりも創作意欲が勝った。我ながら単純である。



―――


 夢を見ているらしい。明晰夢か。どこか懐かしい教室と、机と、自由帳。

 友達と遊ぶわけでもなく、俺がひたすら絵ばかり描いていた頃だ、と誰に教えられずとも分かった。


「あいつまた来たぜ!」

「やーいオカマ!男女!」

「オカマ菌がうつるぞ!逃げろ!」


 耳障りな言葉が響く。

 うるさい。

 だまれ、だまれ。

 自分は言葉を発しているのだろうか。それとも心の中の声か。

 絵を描く手は止まらないまま、周りの雑音に悪態をつく。

 涙が、止まらない。止まってくれない。

 それが酷く不快で、筆圧は自然と濃くなる。

 そのままばきりと机を割ってしまう。

 勿論これはただの夢だ。実際の自分は、ただひたすら静かに絵を描いていたと思う。


 割った勢いのままに落ちていく感覚の中、雑音の切れ間から遠い会話が聞こえてくる。


「おい、この漫画読め。面白いぞ」

「……え?」


 その時のあいつは、どんな顔をしていたっけ。


―――


「うーん、一応動いてるようには見えるけど、どうにも勢いがないなぁ」


 巨大な龍と主人公が戦うシーン。ファンタジーでは飽きるほど使いまわされているが、それだけ王道で心躍る場面だということでもある。だからこそ、構図と迫力で魅力を伝えなければならないのだが。

 そこら辺に転がっていた裏紙にさっと描くが、納得が行かず頭を掻く。


「ん?どうした?」

 今日も今日とて漫画を読みつつ自分の家かのようなくつろぎを見せる幼なじみが、ごろんと転がってこちらに顔を向けて来た。


 片方だけ長い前髪が首を傾げる動きに合わせて頬を流れ、白い肩にかかる。縞模様のちゃんちゃんこを着たどこぞの妖怪のような髪型は、前が見辛そうながら彼女の雰囲気によく似合っている。ぱっちりとしたアーモンド形の黒い瞳に、小さく桃色の唇。小学生男子かのような口調や仕草だが、彼女は有り体に言えば美少女だ。それが無地のノースリーブに短パンという小学生男子ファッションをしているのは流石にいただけない。華奢な肩や腰に反して肉付きの良い太もものアンバランスさが最も強調されてしまう服装だ。見慣れていて良かった。辛うじて。しかし何度注意してもやめないこいつは中身まで反抗期の小学生男子なのだろうか。

 と、それはこの際どうでもいい。


「いやな、俺の絵ってなんか特徴ないじゃん。こう……心揺さぶる絵柄ってあるじゃん。あっこれ好き!っての」

「あー北斗のほにゃららとか」

「お前ほんと劇画筋肉好きな」

 以前漫画を貸してやった際、この絵を描けとうるさく言われたのを思い出して少し呆れる。

「リアルはやだけど絵だとあれくらい肉ついてるとかっけーってなる」

 幼なじみは本職の方はお気に召さないらしい。俺にはその違いがさっぱり分からない。

「ま、とにかくそういう心を掴むようなトンがった部分がないんだよ俺の絵には」

「ふーん、そっか?オレは好きだぞ、お前の絵」

「……心掴まれた」

「まぁ確かに勢いは足りないな」

「心刺された」

 コイツは究極の小悪魔だ。上げて落とすとは上級な絵描きいじめをするな。

「うーん、多分だけど、正しさに拘りすぎなんじゃね?」

「正しさに?」

「ある程度の説得力は必要だと思うけどさ、結局絵は絵じゃん。絵の時点で既に現実世界じゃないんだし。どんなに現実感なくても綺麗だったら綺麗だし。最低限人間に見えたらあとは無理そうなポーズでも思い切って描いてみれば?……ほら、あるじゃんこういう……」


 ぐにゃぐにゃした生き物……人間?を描き始めた。なんだ……?盆踊り?


「こういうポーズ実際やるのは難しいけど、でも見たかんじかっこいーってなるじゃん。正しくなくてもいいから、とりあえずかっこいー絵を目指したら?」

「なぁ……これどういうポーズなの?」

「ん?ほらあの有名な漫画のさ。好み分かれがちだけどこれこそ独特の絵の人の」

「…………もしかして、数々の名言を生み出したあの漫画特有の立ち方?」

「そうそれ!」


 うれしそうな顔と謎のクネクネを見比べる。やはり盆踊りにしか見えない。馬鹿にしているわけでもなく、本人は至って真剣なようだ。

 この出来上がり具合はともかく、言いたいことは分かる。要するに、漫画的な誇張表現を使えと言いたいのだろう。確かに俺が好きな漫画を思い出していくと、どれも絵柄から言動まで、どこかしらには必ず漫画でしか表せない表現を使っている。魅力というのは、正しさにばかり備わっているものではないのかもしれない。まったく難しいことだ。


 とりあえずアドバイスはありがたく受け取って、謎の生き物の盆踊りはそっとゴミ箱にしまった。


―――


「ちょ、近いんですけども」

「そっかー?」

 机に向かう俺の腕の下を通って、性質タチの悪い幼なじみが膝の上に乗り上げて来た。両太ももが俺の太ももを挟んでいる。尻の感触と甘いような匂いと魅惑の太ももの輝きで頭の中が埋まる。どうやら機嫌が良いらしく、ふんふんと鼻歌を唄うのに合わせて女にしては短い襟足が揺れる。白い首筋がやたらと目について困る。昔から無自覚に無頓着に接してくるやつではあった。が、最近甘えたが増している気がする。ある意味では有難く、またある意味ではとんでもなく都合が悪い。

 こういうときは、あれだ。某天才モグリの医師の、鮮やかな手術シーンを思い出そう。今はなんでもないが、作者が医師免許を持っていたためか妙にリアルで子供の頃はかなり怖かった覚えがある。当時の恐怖心を思い出せ。思い出した。いや今はなんでもないから意味ない。落ち着け、そういえば同じ作者の体の一部を取り返すために妖怪倒すやつもなかなか怖かった。あの終わり方も余韻があって面白かった太もも。太もも柔らかすぎないか。駄目だ今じゃ怖さより面白さが勝ってるせいで全く意識を逸らしきれない。


 俺が無言になっていたのに気付いた幼なじみが、楽しげな顔のままちらっとこちらを振り向いた。


「ふふふーん。なんだ?もしやオレにもんもんしちゃってる?」

「なっ」

「んん?図星か?オレも案外捨てたもんじゃないな」

 

 ふふんと笑いながらくるりと回転して見上げてくる。そっと胸を押され、じりじりと詰め寄られた。

 悪戯っ子が獲物を見つけたような目で、俺の頬を撫でる。


「なんならキスでもしちゃうか……?」


 アーモンド形の目が猫のように細まる。

 まずい、やばい。これはまずすぎる。

 どう考えてもこいつは軽い気持ちでやってるのだが、このままだとこっちがうっかり本気になってしまいそうだ。

 近づいてくる柔そうな唇に視線が釘付けになる。

 だんだん、だんだん近く。

 もう少し、というところで。


「制裁チョオオオップ!!」

 俺の理性は勝利した。自分の偉大さに感動すら覚える。

「いってぇ……なんだよー!ちょっとからかっただけだろー!」

 額を押さえ、涙目で頬を膨らますその顔にもはや先程までの色気はない。案の定じゃないか危なかったぜ畜生。

「いけません。大体な、いつも言ってるだろ。からかうにしてもこういうのはやめろ。後々お前が困るんだぞ。薄着でうろつくにしても無闇にくっついてくるにしてもだな、俺以外にしたらどうなるかわかっててやってんのか」

「うー、うるさいなー!お前にしかやんねーもん」

「……制裁チョオオオップ!!!」

「!?」

 俺は自分の顔面に鉄槌を下した。

「な……なんだよ……?」

「なんでもない」

 精神年齢小学生の気まぐれ、恐ろしや。




―――


「おい、この漫画読め。面白いぞ」

 そう話しかけたその時、俺の人生で使うはずだった勇気の半分以上を使い果たした気がする。


 意地っ張りで負けん気が強く、無駄に敵ばかり増やしていたあいつ。女のくせに男のような喋り方をしていたのも、オカマ呼ばわりされては付け込まれるポイントだったのだろう。


 俺の言葉に振り返ったヤツは、キッと俺に鋭い視線を向けた。それに少したじろぐが、よく見れば思った通り。その唇は震えて、目の端に小さな雫が揺れていた。

 しばらく俺を睨んでいたそいつは、俺から俺の手元にあるノートに視線を移すと、訝しげな顔になった。

「漫画……?」

「そう、俺が描いた」

 ヤツはその目から鋭い光を消して、黙ってそのノートを開いて読み始めた。

 しばらく黙々と読んで、そのノートを閉じた後。


 あいつは、思いっきり笑った。


「ぷっ……あっははは!なんだこの漫画!意味わかんねー!何が面白いだよ!下手すぎだって!」


 あまりの言い草に俺は少しカチンときて。

 同時に、その笑顔にほっとした。

 嬉しかった。意図するところとは違うが、それでも、俺の漫画は彼女を笑顔にすることが出来たのだ。


 それから俺は、あの笑顔を見たいがために。

 彼女の笑顔も泣き顔も怒り顔も困り顔も全て見たいがために、その感情を引き出すために漫画を描き続けている。

 率直で感受性豊かな彼女は、俺の漫画の一番の、唯一の読者となった。思った通りのところで泣きそうになる彼女が楽しくて、思ってもみないところで首を傾げられるのが悔しくて、漫画の腕はプロ級には及ばないにしても全くの素人よりは大分上がったと思う。


 いつの間にか長い付き合いになっていた彼女から、その乱暴な言動の理由は途切れ途切れに聞いた。母を早くに亡くし、代わりに父と二人の兄、そして弟に囲まれて暮らしていた影響が強いらしい。今更女っぽい言葉を使うのがむずがゆいと眉をしかめた彼女はとことん不器用だ。そしてそんな彼女を思い出してらしいなと笑ってしまう俺も俺だ。


 多分、彼女がいる限りずっと漫画は描き続けるだろう。お互い成長して、疎遠になったとしても、描くとしたらそれは彼女のための物語だ。


 だから、漫画家になどならない。なれない。

 だから、俺は漫画を描きたい。


―――


「なんかお前の絵ってさー、女の子の太もも凄いよな」

「え?」

「基本華奢なのに、太ももだけむちむちしてる。指沈みそうなぐらい」

 細い指が紙の上をなぞる。俺は慌てて彼女から漫画を奪い取って見た。確かに、どれも太もも。


「そ、そんな……ふともも……俺、ふともも……?」


 性癖全開にしていたつもりはなかった。完全に無意識だ。好きなポーズを描いていたが、よく見ればどれもふとももの強調がすごい。確かに漫画的表現を覚えようとデフォルメの練習はしていたが、最近安定してきたと思ったらこれか。安定した形がこれなのか。誇張したいところは本当にそこで良いのか俺?


「太もも好きなー……ん?てか、良く考えると今までのヒロイン皆乱暴っつーか……男っぽいな。……っ、お前、まさか……」


 ぎく。

 気づかれたか。

 ボーイッシュな太もも。そんなやつは俺の周りには一人しかいない。


「男が好……」

「断固として否定する」


 断じて違う。それだけは違う。ボーイッシュボーイッシュ言ってるともう男でいいじゃんとか言う輩がいるが、野郎とボーイッシュは全く全然完全に違う。ボーイッシュは女の癖に男っぽい振る舞いをするところがイイしかつ女の子らしい面もごくたまにチラ見せされるから最高だし一見乱暴だけど男の乱暴とはまた違う。個人的には暴力系ヒロインや男装女子や男の娘などの類ともまた違う。興味のない人間から見れば誤差の範囲内だろうが、自分の中には厳然たる違いがあるのだ。そこだけは理解して欲しい。


 語ると、少し引かれた。辛い。というか何故本人に語ってしまったのか。墓穴か。そのまま埋まりたい。


 てか、今描いてるコレとかまんまお前じゃん!髪型とか!遠慮ないところとか!不器用で感情豊かなところとか!時々無自覚小悪魔なところとか!気づけよお前!気づけよ俺!


「……ま、まあ、なんかわからんが、人の好みは自由だからな……?」


 何故か特殊な趣味をフォローしている風の幼なじみだが、いや待て。お前が言うことでは決してない。

 そのうちきっと彼女もできるさと慰められて、心の色々なところが痛い。


 彼女が小学生男子を脱さない限り、俺の受難はしばらく続きそうである。




人によって定義するラインが違うのでボーイッシュは奥深いです。

有名漫画をほのめかす描写が複数出てきますが、一つだけ一話も読んでいない作品があります。いつか一気に読みたい。

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