女癖
嘉瀬は顔をしかめた。思ったとおりの反応だ。会話の雲行きが怪しくなってきた。
「どの程度やねん。その、暁の女癖いうのは」
橘も同じく、顔をしかめた。気にくわない表情で嘉瀬は問う。
嘉瀬が女嫌いであることを橘は知っている。女そのものを嘉瀬は見下しているのでそんなものとつるんでいる男はろくな男ではないという認識を持っているのだ。
「ありゃ相当や。すぐどこらの風俗嬢にとっついてヤるまで詰め寄る。そんで奥さんはほったらかしや。腐れ外道にも程があるっちゅうもんやで。」
嘉瀬はふーんと言うだけで、急に静かになり、ただただ、黙っている。暁の印象はこれで一気にだだ下がりだ。言わなければよかったのかもしれない。まあ、情報を出来るだけ伝達しておかなければ、後々、嘉瀬に文句を謂われるから、これでいいのかもしれないが。
「んな奴、仲間に入れてええんか。なかなかケツを割らねえ奴でも腹を割らねえかはわからへんで。案外、そういう奴ほど簡単に、うとうてまう(警察に全部謂う)奴と違うか?」
橘は考えた。暁はシゴトに関しては裏切ったことはない。へまをすることは多々あるが。
「大丈夫や。デコ(警察)にさす(密告する)ようなこと、繰り返しとったら影の社会で生きていけへんやろ。」
胸を張って、橘は謂うのだがどうも説得力がない。
「いや、わからへんで。これが暁の最初の裏切りなるかもしれん。とにかく、俺は暁が仲間に入るのはどうも賛成でけへんな」
嘉瀬は鋭い目で謂った。
橘は納得したような目付きをしながらも、
「お前、んなことぬかしてたら、きりがないやろ。なんなら夜警はお前が殺るか。罪のおんぶとだっこも大概にしとき」
嘉瀬は声を上げて笑った。急にその精緻な面が歪んだ。橘は幽霊でも見たかのように退いた。
「おんぶすんのは慣れっこや。どうなろうとかまへん。失敗してからそのボンクラにおとしまえつけるように謂うようじゃすまへんっちゅうねん。ボケ。どこらのチンピラにシゴト譲る気持ちは微塵もないいうこと、しっかりその若造に伝えとくこっちゃな」
それから、嘉瀬はゆっくりと橘の面を睥睨した。血走った目は橘の心を見透かすような眼光を放っていた。讞讞とものを言う嘉瀬に橘は暫し、圧倒された。
「そ、そない謂うてもやな。そら、お前の分け前は減らへんし、なんぼかシゴトが楽になるんやから、合理的に考えたらおいしいんやないか。お前にとっちゃ」
普通そうだろうと橘は口先だけで物事を判断しながら言った。この判断が間違っていた。
当然の如く、嘉瀬は静かに否定した。
「楽に銭が入るのは勿論、ええ。実に都合のええこっちゃ。ボンクラのために取り分、鐚一文まける気も毛頭ない。やけどな。プライドが許せんねん」
プライドかあ。橘は口の中で、呟いた。後悔先に立たずとはこのことだ。
「下手なプライド持つんはもう、やめんかい。いつまでも餓鬼染みたこと言うとりゃいつかもめるど」
言動を幾らか、配慮しながら、橘は促した。皆さんには古くさいこてこての関西弁に聞こえるかもしれないが、これは橘の場合、このうえないほど優しい対応なのである
「上等や。モタレ(チンピラ)が。首根っこ掴んで早よ連れてこいや。チャカ(銃)で頭、はじいたらあ」
嘉瀬は鼻を鳴らした。橘は黙る。嘉瀬がキレることは想定内だが、ここまでとは。
「あぁっ。こら、何とか謂うてみぃ。口ついてへんのか。」
充分、嘉瀬は苛立っている。依然、嘉瀬の様子は憤慨そのものである。
「じゃあ聞くが何のプライドやねん。どないなもんや、そりゃ」
内心いらいらしながら、橘は言った。暫く、嘉瀬は俯いていた。橘は新しい煙草に火をつける。嘉瀬は過去の詮索でも行っているのだろうか。
「昔の裏切りや。小川組抗争って覚えてるか。五年前になるけど」