夢に咲く花 3
結局、孝宏の治療はそれから一時間もかかった。カダンの回復を待ったのも大きかった。だがそのおかげでみぞおちの痣はなくなり、痛みはもうすっかりない。あれだけ苦しんだのが嘘のようだ。
「じゃあ、俺は先に帰ってるから」
孝宏はカダンより先に岩陰で着替えを済ませていた。カダンは温泉に足を付け、地面に仰向けになっている。片手をあげて返事を返すが言葉に力はなく、空気が抜けたような声。
「本当に大丈夫か?やっぱり俺カウル呼んでくるよ」
「いいよ。しばらく休んでから行くから平気だよ」
何度も繰り返したやり取りに、カダンは片手をヒラヒラ振って孝宏を追い返した。それから孝宏が見えなくなると、カダンは自分もお湯から上がった。だがカダンは持ってきた着替えを手に取るのではなく、両手を左右に広げ、近くの茂みに向かう。
「ルイ、病み上がりで頼むのも悪いんだけど、俺の服乾かしてくれない?」
すると、暖かな風が沸き起こり、服があっという間に乾いてしまった。それからやや間があって、茂みからルイとマリーの二人が姿を現した。
ルイは頭部と首を、目以外の部分を布で覆っていた。ちょうど手元にあった黒い布をターバンにし巻き付けているのだ。即席の割にはしっかりと顔を隠している。
「いつから気が付いていたの?」
マリーはルイの後ろから顔だけ出して尋ねると、カダンはにやりと笑って首を傾げた。
「な?絶対気付かれるって言ったろ?」
ルイが布の下からくぐもった声で言う。マリーは小さな声でごめんと肩を竦めた。
「もう休んでなくていいの?」
林を抜けて村へ戻る途中、カダンがルイに尋ねた。
「ずっと寝てる方が逆に病気になってしまうよ。それよりさ、タカヒロはどうだった?確認したんだろう?」
ルイは自分が十分に回復しているつもりらしい。彼が目を覚ましてからまだ一日しか経っていないなのにも関わらず、困ったことに病人扱いをするなという。
思っていたより元気なのを喜ぶべきか。それとも無理をするなと、叱るべきなのか。カダンとしては悩みどころである。
「たぶん凶鳥の兆しと同化はかなり進んでると思う。でも完全じゃない。魔法も簡単にかかる時もあったし、逆に中々かからなかった時もあった」
「あら、そうなの?ルイの時はまったくだめだったって言ってなかったっけ?」
マリーの悪気のなき言葉に、ルイは眉間にしわ寄せ低く唸った。
「悔しいけど魔力は僕よりカダンの方が強いんだ。回復系の魔法も得意だし」
たんなる偶然か、もしかすると、ルイ程度の魔力では魔法をかけられない所まで、同化が進んでいるのかもしれない。
「悔しいって……俺はルイが羨ましいよ。魔力なんて訓練しだいでどうにでもなるじゃないか。話を戻すけど六眼、あれもたぶん兆しの影響だと思う。見えたり、見えなかったりしてるみたいだし」
「マリーは?体に変化はある?平気?」
「それが少しだけ水に敏感になったくらい。タカヒロのようにはなってないの」
二人は同じような条件に見えて、どうやら力の性質はまったく違っているらしいかった。孝宏に起きた異変は、マリーにはまったく見られなかったし、彼女は孝宏と違って自在に魔力操り、完全に魔法を使いこなしている。孝宏とはすべてが違っていた。
「どうなってるのかわからないけど、もっとしっかり調べてみないといけないね」
カダンの表情は厳しい。マリーは俯き自分の足元を見つめた。ルイはそんなマリーにそっと視線を向ける。
林を抜けようという所で、木々の間から車が見えた。孝宏とカウルの話声が聞こえて来る。
「私先に行ってるね」
マリーが走って先に行ってしまうと、カダンとルイは二人っきりになった。マリーの後ろ姿が茂みの向こうに消え、一瞬、木々が二人を周囲から隠した。
誰にも聞かれない状況で、ルイがカダンに尋ねた。
「なあ、カダンはタカヒロをどう思ってる?好きなのか?」
唐突な切り出しに、カダンは一度足を止め、無言で振り返った。一瞬だけルイと視線と合わせるが、何も言わず前を向いた。
「バカだなあ、ルイは」
カダンは普段通りにそれだけ言ってゆっくり歩き出した。ルイにはそれが本当に呆れているような、もしくはお道化ているようにも聞こえた。
景色が開け、林の終わりが見えた。腕をめくり、自慢げにカウルに見せる孝宏。そこにマリーが加わわる。
魔法で治ったのだと、みぞおちに手を当てマリーに話している。魔法だ何だと子供らしくはしゃぐ孝宏を見て、カダンは思わず笑みをこぼした。しかしすぐに表情は崩れ、カダンは唇をキュッと噛みしめた。
「バカだよ」
語尾は強く、しかし声は潜めて言った。
「タカヒロは地球に……帰るんだぞ………………想っていてもしょうがないじゃないか」
最後は押えて小さく震える声。視線はまっすぐ前を見て彼から離れない。
カダンは歩く速度を上げ、わざとらしく三人に向かって手を振った。
(そんなの関係ないよ……僕だって……)
ルイはカダンの背中に向かって、音にならない言葉を呟いた。