冬に咲く花 77
凶鳥の兆しは何者かによって作られた魔法で、単純に言ってしまえば意志を持った魔力の塊と言えるわね。
精霊と呼ばれる存在にとてもよく似ているわ。これは術式を骨に魔力を肉として、人工的に作られた精霊と言えばわかりやすいかしら。
ある程度の実力を持った魔術師なら、誰でも人工的精霊を作り出して使役する。だから、存在自体は珍しくないの。
通常、自然界に存在する、どれだけ強力な精霊でも、自身を構成するのが魔力のみでは、魔力が離散してしまい自身を保てないの。人だって、肉体と言う器を持っているでしょう?だから精霊たちは何かに寄生し、自身を保つ必要があるのよ。
それは人工物だって同じ。術式だけではもろくて保っていられないの。凶鳥の兆しはあなたを依り代としたのね。
普通人工物は製作者が手放してしまえば消滅するのが常なのに、これは消滅するどころか、自分で新たな依り代を見つけ出した。
信じられないけど……これを作った人は天才ね。
でも術式が古過ぎて、かけている部分も多いの。あなたと同化し欠落部分を補っているようだけど、おかげでよくわからない部分が多いのよね。
後読み解けるのは、依り代とされたあなたが、凶鳥の兆しを構成する火に支配さているという点。おそらく火の魔法以外は使えないでしょう。
それから外部からの魔法を受け付けないみたい。これは推測だけれども、依り代であるあなたを守る為じゃないかしら。
さっきもすごかったわ。腹を殴ったらあなたから炎が噴き出して私を攻撃し始めるし、焼かれそうになるしで、少しも触れなかったのよ。あなたに手出ししないって何度も言ってようやく大人しくなったの。おかげでここにあなたを連れてくるだけなのに、ハラハラしたわ。
私の手当てが有効だったようだし今は多少魔法が効くようだけど、同化が進めばどんな魔法もあなたには効かなくなるでしょうね。
でもそう悲観しなくても大丈夫。凶鳥の兆しには、火の属性魔法には通常ないはずの、再生の力があるの。
たぶん大丈夫でしょうけど、でも、極力危険は避けるのね。大怪我をしても、治癒魔法が効かないって事態も考えられるわ。
その時凶鳥の兆しがあなたを見捨てず、助けてくれれば良いのでしょうけど、そんな確証はないのでね。
これらの情報がすべて、一つの術式の中に納まっている情報らしい。
素人の孝宏には見ただけで、さっぱりなのだが、それを生業としている彼女には読み解くなど造作もないのだろう。
「これほど強力な力は、普通の人間だと耐えきれず、死んでしまいそうなものよ。だけど今の所あなたには何の影響もないみたい。よほど相性が良いのね」
孝宏は体を起こした。
ストーブには火が焚かれ、部屋は十分に暖められている。裸でいても寒くはないが、毛布を前から肩に掛けた。服は枕元に畳んで置いてあり、右手で掴んで、乱暴に毛布の中に引きいれた。
――カシャンー……――
孝宏の壊れた携帯電話が、服を引き込んだ勢いで床に飛ばされた。携帯はクルクル回りながら、都合よく魔術師の足元へ滑っていく。
魔術師は携帯電話を拾った。二つ折りの携帯電話を開いて、閉じた。
「そういえば助けて欲しいのよね?」
どうしてほしいのか、魔術師が尋ねてきた。
「あ……」
孝宏は一度言いかけた言葉を飲み込んだ。口に手を当て、指で頬をさすり、視線を毛布の上に落とした。
「化け物を倒せる、すごい力が欲しい」
視線は毛布に注がれたまま、孝宏はピクリとも動かない。魔術師に向いているのは右耳だけ。のど仏が上下する。
「そうじゃなきゃ、村を元に戻したい。前の姿のままに戻したい」
孝宏の右耳以外の全神経は、毛布に注がれていた。視界もじわじわ狭くなり、自身のプレッシャーに左右から押しつぶされそうだ。
「どちらも無理よ。出来るのなら、事態はもっと簡単に済んでる」
なんでも願いを聞いてくれると言ったのに、孝宏は裏切られた気分になった。正確には私に出来ることなら何でもと言ったのだが、人の記憶が都合よく改ざんされるのは良くあることだ。
「何でだよ!?あんた達すごいんだろう?宮廷魔術師なんだろう?だったら何とかしてくれよ!?」
孝宏は魔術師を睨んだ。魔術師は椅子から立ち上がり、手に持ってた携帯電話をテーブルの上に置いた。
「皆が化け物を何とかしようと、村の人を助けようと必死になっているの。あなたもそうでしょう?だからここにいる。それで十分じゃない」
「……俺は何もできない。燃やすしかできない、役に立たない……ただの子供だ」
「何もできないと言うのは、無知な人かやる気のない愚かな人の言うことよ。あれだけの力があるのにできないというのは、ただの臆病者と言うのよ」
魔術師の怒気を孕んだ言葉に、孝宏は顔がさっと熱くなった。
「あなたは誰を、何の為に助けて欲しいの?自分が苦しいだけなら、さっさと家に帰りなさい。迷いがあるやつは、いくら力があろうと足手まといでしかないわ。」
「俺が臆病者だって?……知ってるよ。だから頼んでるじゃないか」
魔術師を睨む孝宏の目に涙が溢れていた。零すまいと開かれた瞳に力がこもる。
「怖くてたまらない。検問所での出来事を思い出すだけで、体が震えて止まらない。安全だった家に帰りたいし、大切な人達に会いたい……それはそんなに悪いことか?」
検問所で獣に押し倒され、胸にやつの鋭い爪が食い込み血が流れた。息を感じるほどの至近距離でむき出した牙と、自分など丸のみできる大きな口。それらは死を覚悟するには十分だった。
「いいえ、悪い事ではないわよ。生き物である以上自分を守ろうとするのは当然だわ。でも怖いだけなら邪魔よ。この場にはふさわしくない。言ったでしょう?取り返しがつかなくなる前に帰るのね」
「怖いよ!帰れるのなら帰りたい!それでも!あんな思いをするのは嫌だ!何もしなかったことを後悔するのは、もう二度と嫌なんだ。だから力が欲しい。何がいけないんだよ!?」
「無いものねだりは見苦しいわ。誰もが自分のできることを、できる範囲でするのよ」
「やったけど、化け物だって言われた。きっと今のままじゃあ、駄目なんだ」
「なら諦めなさい。他人に何かを求めるには、あなたは幼すぎるわ」