冬に咲く花 62
その時ガレキの合間を駆け抜けて来る、白く大きな獣が見えた。その獣は数メートル手前で孝宏の見知った少年に変化し、兵士の肩に手をかけた。
「タカヒロから離れてください。ヘンタイが伝染ったらどうするんですか」
「カダン……」
(それは俺が、ヘンタイになるかも知れないって思ってるのか?それともこの世界ではヘンタイは伝染病か何か?)
言えなかったのは決して肯定されるのを恐れたからではない。
カダンの息は荒く、激しく胸が上下する。軽蔑がにじむ視線と、兵士の歓喜に満ちた視線が交差した。
「それは私への信頼の証しかい?」
兵士が後ろを振り返ったところで、カダンが二人の間に体を滑り込ませた。孝宏が一歩後ろに下がると、合わせてカダンも一歩後ろに下がった。
「私たちは軽口を叩き合える関係になったんだね。嬉しいよ」
「別に他意はありません。俺の本心ですよ。ボウクウさん」
「ノンノン、ちゃんと名前で呼んで。ナルミーだよ、美しいカダン」
「よくもそんなことが言えますね。口先だけの人を、俺は信用しないと決めているんです」
「信用して良いさ。人魚は皆美しいと決まっている。君は美しくない人魚に出会ったことがあるのかい?」
「では、聞きますが、ボウクウさんは人魚に会ったことあるんですか?」
「ああ、もちろんだよ。私は美しいモノが好きだよ。美しいと聞いた者は全て見た。残念ながら、そうでないモノも中にはあったけどね。でも私が出会った人魚は皆美しかった」
捻くれた見方をすれば仲が良くも思える彼らのやり取りを、孝宏は牛を挟んで眺めていた。
身を屈めて牛の影に隠れると、牛が嫌がって離れた。
(前からの知り合いなのかな。わりと仲良さそうだ)
「貴方と言い合ってる時間はないんです」
「白い人魚は初めてだ。君は美しく輝いている。私が保証する」
「急ぐので、俺たちはこれで失礼します」
「観念して私のものになりたまえ」
「さあ、タカヒロ行こう。車を止める場所まで案内するよ」
カダンが牛の影に隠れた、孝宏を見つけて言った。
カダンを称賛する台詞を語り続ける彼など、既に眼中にないようだが、カダンはいつになく眩い笑顔を浮かべている。彼のこんな笑みを見るのは、台所での自己紹介以来だ。
「あの人はほっといていいのか?」
「タカヒロが気にする事じゃあないよ。さあ、行こう」
「ま、確かに俺は関係ないな」
二人の事情を第三者が気にするなんて野暮なだけだ。
カウルがいないので、カダンが綱を引いた。初めは嫌がっていた牛たちも、何度も言い聞かせるうちに観念したのか、付いて歩き始めた。
あのナルミーという兵士も、ずっとカダンに喋りかけていたが、無視を決め込むカダンに肩をすくめ、先に戻って行った。
現在村の中に車が通れるだけの道幅はない。そのためぐるっと回り道をしなければならず、二人は来た道を戻り始めた。
荒れた林の中、牛を引いて歩くカダンの斜め後ろを、孝宏は遅れないように早足でついて歩いた。ここも以前は緑生い茂る場所だったに違いないが、今は無残にもなぎ倒された木々が散乱している。
緑の天井にポッカリと大きな穴が空き、赤く染まり始めた夕空が覗いていた。右手には木々の合間から、ソコトラ村が見える。
(こんな所来なければ良かった。鈴木さんと町に残ってた方が良かったかも)
お腹を抑えるのはすっかり癖になっていた。感情の揺らぎは、腹の底の熱を刺激する。