冬に咲く花 55
「よ、よし!ならもう一本打ち込んでやる」
孝宏がもう一本槍を作り出し構えた時だった。獣が後ろ足で地面を蹴った。勢いよく前に飛び出し一気にルイを通り越す。
獣はルイはもちろん、牛や、カウルも見てはいなかった。まっすぐ孝宏目がけて襲いかかってくる。
「なななななな!なんだよ!?」
遠くにいたときは白い毛玉に見えていた姿も、目前に襲いかかってくれば、鋭い牙も爪も、嫌でも目に入る。
「わっわっわっわっわっわっわ!ダァ……ヒャイ!!」
あまりにも恐ろしくて、孝宏は奇声を上げながら後ずさった。獣の爪を避けようとしゃがんだ拍子に、転けて頭を地面に打ち付けた。
獣は前足で孝宏を押さえつけた。獣の爪が軟らかな皮膚に食い込み、血が流れる。あんぐり開いた口から、白い牙と真っ赤な舌を覗かせた。獣の臭い息が顔にかかる。
(こうなったら、全部燃やしてやる……)
制御だなんだと、考えている内に食べられるのなら、考えなければ良い。孝宏がそう思った時だった。
「情けない声、出してるんじゃないの」
マリーだった。
まさに獣が牙を剥いたその時、孝宏が良くて相打ちを覚悟した瞬間、間一髪でマリーが獣の肩を縦に切り裂いた。剣を深く突き刺し、抉りながら引き抜いた。獣の足が浮いたところを、孝宏は這ったまま逃げ出した。
続けてマリーは獣の胴を横方向に切りつけた。次に垂直に剣を振り下ろしたが、獣は身をよじって太刀筋から身を逃かわし、足でマリーを踏み潰さんと上体を起こした。足を振りかざす。
「危ない!」
カウルが髪の色と同じ、真っ赤な狼に変身した。カダンと同じ大きさの狼だが、体毛の色が違うだけで、随分と印象が変わる。
カウルは倒れ込む巨体を、背後から噛み付いて引き倒した。カウルと同時に長いひも状のものが獣に絡みついて、一緒に獣を引き倒したのだが、それはルイの放った魔術だった。
兵士や魔術師たちから響めきが起こる。国の兵士が細かく、浅い傷しか与えられずにいたというのに、マリーの一太刀は獣に深い傷を負わせた。それどころか、孝宏とルイは全く魔術が通用しなかった相手に、魔術で対抗して見せたのだ。
孝宏の時はただ信じられずに、状況を見守った人々も、二回目には目を見張り声を上げた。誰もが驚きを隠せなかった。
「マリー大丈夫?助かったよ。ありがとう」
孝宏は地面に手を付いたまま、自身も獣の血を浴びてしまったマリーを見上げた。
「立ちなさい。アイツまたこっち来る!」
「それが、膝が笑って立てない。マリーは怖くないのか?」
「怖いに決まっているじゃない!あんたが情けない声で泣き喚くから、涙も引っ込んだの!」
「泣いてはいない」
獣に向け、構えたマリーの剣先が震えていた。顔も強張り、息も荒い。二・三度柄を握り直し、剣を構え直す。刃を伝って血が、鍔と柄を濡らしていた。
「せめて後ろ下がってて。アイツ諦めてくれないみたい。せめて、さっきの槍持ってたほうがいいんじゃない?」
「え?槍?」
その時初めて、孝宏は自分が槍を持っていない事に気がついた。三本目の槍は投げる前に獣に襲われ、投げた記憶がない。ずっと手に持っているものだとばかり思っていた。
「あれ?どこいったんだろう?」
もしかしたら、消えたのかもしれない。
孝宏はそう思って辺りを見回した。すると果敢に獣に立ち向かう兵士の声に混じり、別の方向からザワめきが聞こえて来た。
二人の脳裏に嫌な光景が浮かぶ。
「まさか……よね?」
「まさか…………」
街道の検問所。すぐ脇には森が広がり、しかも今は冬。燃やす燃料なら豊富に用意されている場所だ。見ると、やはりというべきか。獣の追突を耐えた検問所の壁の一部が崩れ、赤々と燃え上がっていた。




