冬に咲く花 39
「ああ、そう言うの」
青い小人が、左足を引き、両手で体重を支え、上半身を前にかがめた。ちょうど、陸上のクラウチングスタートの格好になる。
続いて、緑の小人も同じに身を屈めた。後悔先に立たず。
「あっ、ちょっとまっ……」
孝宏が言い切る前に、小人たちが動いた。1メートルもの距離を目にも止まらぬ速さで詰め、彼らの爪が孝宏のふくらはぎを服ごと切り裂く。
孝宏が痛みを感じたのは、血に染まる自身の服の裾を見てからだった。両足のふくらはぎから側面にかけて、四本の赤い筋から鮮血が広がっていた。傷口がジンジンと熱く、痛みが増していく。
ドックンドックンドックン、耳の奥から聞こえる心音が脳を揺らし、小人たちが孝宏に何か言っているが、耳の奥がうるさくて雑音にかき消されしまう。
目を向けると青と緑の小人は孝宏から離れ、先ほどと同じ前かがみの格好でいた。小人同士も互いの距離をとってタイミングを図っている。
小人たちが初めに立っていた隙間を見ると、本を読んでいた三人の内、藍と黄の二人が、爪を剥きだして、今にも駆け出さんとしていた。
「さあ!盗んだものを返せ!」
藍の小人が地面を蹴って、飛びかかってきた。孝宏の目には、小人の残像しか写らない。
血を見て興奮したのか、先ほどよりも気分が悪い。
孝宏は二・三歩後ろによろめいた。おかげで藍色と黄色の小人の爪をタイミングよく交わしたが、ここは狭い路地だ。
孝宏は煉瓦造りの壁に、すぐに突き当たった。耳を付けて、壁にもたれかかると、冬の冷気に冷えた煉瓦が痛くてむしろ心地良い。多少の痛みと冷たさは、混乱した頭をわずかながらも、孝宏を冷静にさせた。
「さっきはあんな事言ってごめん。でも俺は本当に何も盗んでいない。ただ鳥とやらには心あたりがある」
「持っているなら、やっぱり盗人ではないの?でも今ならこれ以上の事はしないであげるわ。さあ、出しなさい」
小人たちは納得していない。小さいながらも高圧的に上から物を言う。
「だから、俺は盗んだんじゃないって!」
取り囲む小人は、青、緑、藍、黄の四人。どれも爪を突き出し、少しずつ間合いを詰めてくる。気がつけば最後の一人、赤い小人も建物の隙間から出てきて、こちらの様子を伺っていた。
「鳥って言うのは凶鳥の兆しのことだろう!?俺のお腹にアザがある。でも知らない間にできてたんだ!俺が盗んだんじゃない。」
これで開放されると期待していた孝宏の意に反して、小人たちは首を横に振った。
「何を言っているんだ?」
ターが言った。
「トリはアザなんかじゃない。れっきとした鳥だ。決して死なぬ鳥。嘘で欺こうとしても、私たちには通用しない」
「嘘ならもっとちゃんとした嘘をつきなよ」
小人たちは孝宏の言い分を一蹴して、嘲笑った。苦し紛れの戯言と捉え、まるで本気にしていない。
彼らはその場で軽く跳ね、そしてタイミングをずらし、次々と孝宏に飛びかかってきた。孝宏はとっさに背中を丸め、頭の前で両腕を交差させた。
彼らは足と限らず、全身の至る箇所を爪で削っていった。実に器用に、深すぎず、しかし浅すぎず、確実に血が流れる程度の傷を残していく。
小さな羽虫を、素手で叩き落とすのが難しいように、彼らもまた、素早い動きで孝宏を翻弄した。人間では考えきれない脚力と、跳躍力がそれを可能とする。
人間から見れば一歩で届く距離が、小人の彼らからすれば何十倍にもなる。しかし彼らはその距離を、目にも止まらぬ素早さで、駆け抜けるのだ。孝宏になすすべなどなかった。