引き籠り期間の出来事3-2
孝宏とタツマが交わした契約は、タカヒロに有利になっている。
タツマが孝宏を保護するのは義務だが、孝宏が研究に協力するのはあくまでも努力義務であり、決定権は孝宏が持ち、且つ彼の自由は保障されている。
仮に孝宏が研究に協力しないと言っても、タツマは最低限の生活の保障をしなければならない。
彼らが結んだ契約は大まかにいうと、この様な物だった。
カウルとルイが目を丸くして、互いに顔を見合わせた。
「なんだその旨味しかない契約は。カダンがしたのか?」
タツマに引き渡すといっても、ただ売り渡すだけではなかったのか。二人ともそんな風に思った。
孝宏たちが不利にならない様に初めから考えていたのか。自分たちはカダンを誤解していたのか。謝るべきだろうか。
そこまで考えた時、カダンが首を横に振った。
「俺じゃない。タカヒロが自分で交渉したんだ。タツさんを凶兆の兆しで脅して」
孝宏との契約自体は当初の予定通りだった。ただカダンは孝宏に自由がないよう縛り、タツマが強制力を持つような契約になるとばかり思っていた。もちろんタツマも当初はそうするつもりだった。
しかし、追い詰められた孝宏が何をするのか分からないと、あえて、彼の自由を保証し、後は彼の良心に掛けたのだ。
事実、今の所タツマの研究は順調だ。
「へぇ……タカヒロも結構良い性格してんだね。ちょっと意外だったかな」
ルイが感心して頷く。カウルの方はというと、ほんの少し表情を歪めただけだった。
カウルの孝宏に対する評価は決して低くない。
巨大蜘蛛に襲われ昏睡状態から目を覚ました直後、朦朧とする頭でカウルとルイを見分けたのもさることながら、蜘蛛の巣に関しても異変を見抜く力を持っているのだと感心したものだ。
聞けば、壁から蜘蛛が出てくるより前に、壁の中の魔法陣に気が付いたのも、孝宏だけだったという。
そこでカウルの中にとある疑惑が芽生え始めていた。
そこまで敏い孝宏が腹に表れた凶兆の兆しの痣を皆に黙っていた、というのがどうにも腑に落ちない。
カウルの目に映る孝宏なら、自身に起きた異変をそのままにしておくはずないのだ。だからといって、気付いていなかったとするには難しい程痣の存在感は大きい。
もしかすると、気が付く少し前に発現したのではないかとすら思えてくる。
この会話の後に続くカダンの発言も、カウルの考えを肯定しているかのようだった。
「多分だけど、少し前から俺が怪しいって睨んでいたみたいだから、どうやって事を有利に進めるかずっと考えていたのかも。同席していた俺も無関係を装っていたけど、タツマさんとの関係、そこで言質取られたし」
「言質って……タカヒロはどのへんで気が付いたんだろうな。ちなみに俺は、村で、カダンとタツマさんが話しているのを聞いたんだけどな」
「なるほど、それであんなに研究所に行くのを嫌がってたのか」
知っていてなお黙っていた後ろめたさがあるのか、カウルは反応は鈍い。黙っていた理由の正確な所はカダンにも分からなかったが、理由の一旦に自分がいるのだろうと思うと、カダンはとても追及する気になれなかった。
カダンが黙っていた理由を聞かなかった事で、カウルもいくらか安堵した。
「そういうことだ」
「俺がタカヒロの態度がおかしいなって初めに思ったのはほら、あれだよ、蜘蛛が出た町あの辺り。あの時は軍に取られちゃ駄目だってかまい過ぎたから。そこで怪しいって思ったみたい。カノ国で言われたよ」
「カノ国……」
ルイがポツリと呟いた。どうやら何か記憶に引っかかったらしい。懸命に思い出そうとしている。
「一応記憶は消したけど、感情までは操作できないからね。タカヒロはあれからずっと俺をマークしてた。睨んでくるし、俺もつい避けたりして……ルイは気付いていただろ?」
カダンに言われ、ルイはようやく合点がいったと頷いた。
「あ、あぁ。僕、カダンとタカヒロに何かあったってのは気付いてたんだけど、でも……てっきり二人が恋仲になったんだとばかり。タカヒロがカダンを好きになって、カダンは戸惑って避けているんだなって思ってた。ほら、カダンって意外と本命には弱いのかなって…………でも違ったのか」
孝宏が俺を好き!?
想像してカダンは、顔に熱を持つ。
「はぁ!? ッゲホッゴホッゲホッゲホッゲホ! ……ゴホッゴホ……」
カダンがルイの台詞に被せて大きな声を出し、直後に激しく咳き込んだ。カウルがカダンの背中を叩く。
「落ち着けって」
「いや、僕もね、カダンが避けるのは珍しいなって思ってたんだよ?逆なら解るんだけど。でもさ、タカヒロがカダンを怪しんでいるなんて思わないじゃない?僕はその時、タツマさんとの事全く知らないわけだし」
「な、なるほど……でも、タカヒロが俺を好きになるのは……ちょっとあり得ないかな。怪しまれて以来、タカヒロには敵意しか向けられてないよ」
本人ははっきりと明言しないが、カダンが孝宏を憎からず思っているのは見ていれば分かる。
そうでなければ、カダンの性格から見て、己の許容を無視してまで孝宏に回復魔術を施さないし、孝宏が苦しまない様に優しく魔力を誘導するはずがないのだ。
孝宏たちがこの世界にやって来た時、カダンは双子の前でこそカンギリに導かれた孝宏こそが勇者だと嬉々としていた。しかし、いざ孝宏本人を目の前にした時、カダンは口を噤み感情の起伏を隠した。
もしかすると恋心とは違うのかもしれないと思いつつも、予想だにしなかったカダンの反応を、双子は戸惑いと共に喜び、大いに揶揄ったものだ。
「それは……何か、ゴメン」
余計な事を言わせてしまった。カウルとルイからの同情的な目が、カダンの胸に刺さる。
「良いよ、別に」
ぶっきらぼうに答えて、でもそう言えばと、カダンはタツマ宅での出来事を思い出した。
孝宏は蹲る自分を心配して声を掛けて来てくれた。もしかすると自分で思っているよりは、彼の態度は軟化しているのかもしれない。
そうなら良いなとは思うものの、期待はしない方が良いだろうと予防線を張る。
カダンは肩を竦めた。