夢に咲く花 後編 54
目を閉じて、人形の周囲の光景が鮮明に見えてくる。いつもは誰もいない事の方が多い室内に、今日は大勢の人がいる。
(これは裏のほうか)
珍しく室内にアベルがいた。孝宏たちの脈を測ったり、目に光を当てたり、医者の真似事をしている。彼女は宮廷魔術師というが手付きはなれており、実は医者だと言っても、孝宏は信じただろう。
(眩しいな)
孝宏は反射的に本体の目を細めた。顔を覗き込むアベルがふっと表情を和らげ、ライトをしまう。
「やっぱり、意識はないわね。数値の悪化も微々たるものだし、早急に対処が必要な状態とは思えない」
アベルがきっぱりと言い切った。その表情に、この程度の事でいちいち私の手を煩わせるなと、はっきり書いてある。
アベルの視線はワットに向けられているのに、ミツハクがキュッと結んだ口元を引きつらせ、ごくりと喉を鳴らした。
症状の悪化を初めに指摘したのはミツハクだった。
確かにアベルの言う通り、誤差の範囲といえばそうなのだが、微々たるものでも悪化し続けているのなら報告し対処を求めるのは当然だった。
自分たちはタツマに選ばれ、二人の世話をしているのだという自負が――アベルからすれば過剰と感じる程――使命感を強めていた。
ワットは真面目な顔を崩さず、ミツハクを庇う様に一歩前へ出た。
「微々たるものだとしても、ここ数日連続して下がっています。恐れながら、今対処した方が良いと思われます」
「……私も暇じゃないのよ。とは言っても、確かにこれを失う方が損失が大きいといえるわね」
感情の籠らない冷たい目が”これ”と言いながら、孝宏を見下ろした。
「分かった。すぐにでもタツマと相談して、どうするか決める。留守の間よろしく頼むわね」
「研究所に直接出向かれるのですか?」
「最近敵方の動きが激しいの。内容を傍受される恐れがある以上、通信はあまり使いたくない。まだこの場所は知られていないと思うけど、何かあれば、すぐに二人を連れてこの場から離脱しなさい。後の手はずは整えてあるから」
そう言い残すと、アベルは部屋を出て行った。
残された三人はアベルの発言を受けて、互いに顔を見合わせた。
アベルが戻るまでどのくらいかかるか解らないが、警戒はすべきだろう。その場で話し合った結果、三人が交代でこの部屋で警護する事になった。
「私、怖いです」
初めに警護を担当するワットを残して、監視室に戻ろうという前、ミツハクがポツリと零した。「敵が怖いの?」と尋ねたロウクに対し、ミツハクは黙って首を横に振る。
「私はこの二人を敵に奪われる事が怖いんです。だってそうでしょう?これまで何もなかったのに、アベル様はわざわざ離脱するように念を押して行かれたんですよ?万が一、この二人が敵の手に落ちてしまったらって」
唇をキュッと噛むミツハクの肩を、ワットは軽く叩いた。
「大丈夫、所長は私たちを信用して任せてくれたのよ。つまり、私たちにはそれだけの力があるという事、ね?」
「でもやっぱり三人一緒にいた方が……一人は危ないですよ」
「それはさっきも話したでしょう?外の見張りも必要だし、この部屋の守りはこの建物のどこよりも厚いから一人で十分よ。寧ろ、外の二人の方が危険度は高い……それとも、交代する?」
不安に彩られた目を伏せ、ミツハクは一度空気で肺を満たした。胸に広がる鈍い痛みが今一度冷静さを取り戻してくれる。
ミツハクが己の使命を心の中で唱え、再びワットを見た時、ミツハクはまだ恐れを抱いている様だったが、それでも先程でよりいくらかマシになっていた。
「……いいえ。ごめんなさい。弱気になってたら駄目ですよね。私だって研究所の所員です。大丈夫です」
大事な役目を任される程優秀なミツハクだが、まだ二十歳そこそこの若者なのだ。
久しぶりに年相応な反応を見たなと、ワットは心の中で思った。同僚としてはいささか頼りなく感じるが、これまで積み重ねてきた彼女の功績がそれを払拭する。
ロウクがミツハクの手を取った。
ミツハクと歳の近いロウクも不安を感じているのだろうか。ワットはふとそんな風に考えたが、ロウクに限ってあり得ないと思い直す。
彼女は今、不謹慎にもウキウキしているはずだ。
「その意気ですよ、ミツハク。伊達に所長の下でこき使われてないですって。もしもの時は私が守りますから、任せてください」
小首を傾げ微笑む様は、確かに、美しい友情にも見える。ミツハクはいくらか表情を和らげた。
「ロウクさん……ありがとうございます。なら、ワットさんは私が守りますね!手始めに、戻りながら
変な奴がいないか、見て回りながら戻ります!」
普段のミツハクならこうは言わないであろう、元気良すぎる返事は、やはり緊張している為だろう。
ワットは、私がロウクを守ると言うべきだろうかと思ったが、複雑そうに口元を歪めるロウクを見て止めた。