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夢に咲く花後編40

タツマの言う通りミツハクはすぐに来た。

 緑の髪が印象的な小柄な花人の女性だ。髪を伸ばしている花人は多いが、ミツハクは男と見間違う程短く切っていた。特に頭部に生える蔦は根本から丁寧に切り落とされ、一見するだけでは分からない。後頭部から襟足にかけて中央部分の髪が長く、タツマを彷彿とさせる。

 最もタツマのそれはあえてモヒカンにしているのではなく、タテガミであるので全く同じではないのだが。

 


「お待たせしました。ではこちらにどうぞ」



 ミツハクは二コリともせず、白衣をひるがえし、通路を歩き出す。カダンが後に続いた。

 背中しか見えないが、ミツハクの緊張か手に取るようにわかる。無理もない。本当に未知の虫が逃げ出しかもしれないと思えば恐怖もあろう。あれがどのような虫か知っていればなおさらだ。



「現在この魔術研究所は外界とは隔離された状態にあります。所長からも説明があったと思いますが、重要な研究が紛失した可能性がありまして、現在はそれの捜索中の為、厳戒態勢を強いております。ですので、建物の外に出る事はできません。それから、魔法陣を使って建物を移動する分には制限がありませんが、魔法陣を使う以上、必ず手続きを必要としますので、そこはご了承ください。事態収拾の為、職員が対処に当たっておりますが、現在のところ、制限解除の目処は立っておりません。研究所を出られるのは解除後になります。外へ出られる際、特別な検査を受けていただきます。最後に、シンドウさんとソコロワさんについては明後日、都内の病院に移送される予定になっておりますが、どなたの立ち合いもできません。ですが彼らの安全は我々が責任をもって預かるのでご安心ください。他に質問はありますか?」



階段の手前でミツハクが止まる。くるりとカダンを振り返り、向かい立った。



「この事は所員に周知されているのでしょうか」



「移動に関する制限や、移送については通知されてますが、紛失した研究対象に関しては、極一部の人間にしか知らされておりません。なのでバニールさんも他言しないようお願いいたします。他には何かございますか?」



「どうして二人だけ移送されるんですか?」



「申し訳ございません。それについては上の決定、とのみ聞かされておりますので、お答えできません。ですが、所長はあの二人を希望だとおっしゃってました。だからではないでしょうか」



「研究所ごと封鎖する怖ろしい事態の中、わざわざ動かないといけない理由は何でしょう?」



「彼らの身の安全の為に必要な事とだけ、としか聞いておりません。結界と言っても相手はまだ未知の生物ですので、万が一にも結界を破らないとも限りません。ですから彼らを隈なく検査した後、無垢の状態で移送される必要があると考えております」



「希望……だからですか?」



「はい」



「マリーが火事を起こしたって噂はご存じですか?」



 ミツハクがぎくりと顔をこわばらせた。



「……はい。皆が噂しているのは私も知ってます」



 本当にここに二人を預けて大丈夫なのだろうか。カダンの冷えた目が彼女を捉え、ミツハクは強張り、唾を飲み込んだ。



 ミツハクの祖父は三代前の王の兄であった。彼女自身も貴族という身分に属する。

 百年程前ならば、貴族といえば平民に対して絶対的な権力を持ち、決して逆らってはいけない階級の人たちであったが、昨今では時代と共に法が整備され形骸化しつつある。

 とはいえ、貴族が特権階級であるという意識は未だ根強く、王族に連なるミツハクに対し、邪険に扱う者はほぼいなかった。

 ミツハクは幼い頃から優秀で、十八という若さで魔術研究所の所員として選ばれ、彼女自身は自分の実力が評価されたと信じて疑ないのだが、そう思わない人もまたいるのだ。

 それでも、彼女の他人をあまり気にしない本来の性格と、やはり身分の為に周囲が巧みに感情を隠したのもあり、自分に向けられた妬み嫉みには殆ど気付かなかった。

 しかしこうもまっすぐ目を見て敵意を向けられれば、鈍感な彼女でも気が付くというものだが、それに対して貴族なのにと腹を立てる真似はしなかった。ミツハクはカダンの怒りを当然と受け止めた。



「本当に申し訳ない事だと思っております。ですが所長はきっぱり否定されました。私は所長を信じております」



 ミツハクは貴族であるが故に、そしてなまじ優秀であるが故に、厳しい態度を取られる事がほぼない。少ない例外が両親と、それからタツマだ。


 それ故に、髪型からも分かるように、ミツハクはタツマに心酔しきっていた。そんなタツマが言うのだからと、ミツハクは答える。


 ミツハクの言葉に含まれる嘘を敏感に嗅ぎ取ったカダンは、皮肉げに笑みを浮かべた。



「ありがとうございます」



 もう用はないと、カダンは入口の魔法陣に入った。行先を告げると、魔法陣が作動し淡く光り出す。その時になりミツハクが慌てて早口で付け足した。焦って澄ました表情が崩れる。



「何か異変があればどんな些細な事でもご連絡くださいっ」



 カダンは澄まし顔のミツハクを思い浮かべ、仕事をしている時のタツマが丁度あのような雰囲気だったことを思い出した。

 彼女の可愛らしさに、カダンは笑いそうになるのを堪えて返した。



「はい、ありがとうございます」



 ミツハクがサッと頬を染めた。消える刹那、複雑に揺れる眼差しが潤んだ気がして、カダンは手を伸ばした。

 しかしその時には、カダンはすでに宿舎の玄関ホールに戻って来ていた。



「失敗を笑ったと思われたかな。そうじゃないんだけどな」



 年の頃はまだ二十歳そこそこ。中々優秀だ。タツマに憧れ、無理してタツマの真似をしているのだろう。カダンから見れば、とても愛らしい女の子だ。

 カダンは与えられている自室に戻って来てまずベッドに腰かけた。



「さっきの……整理しなきゃ」



 電気が消えたままの部屋の、開け放たれたカーテンから差し込む日差しが眩しくて、カダンは窓に背を向けた。一人の部屋で、誰に気を遣う必要などないというのに、外の光が見えるようカーテンは開けっぱなしだ。


 考え事をするには少々明るすぎる。カダンはカーテンを閉めると、窓際の椅子に腰かけ、テーブルの上に、靴を履いたまま足を投げ出した。



「…………何だったかな……」



 タツマの話と違い、ミツハクの説明には嘘がなかった。


 タツマからは、ゾンビ虫が逃げたのは嘘で、孝宏たちの安全の為外の病院に移すのは真実と聞き取れた。しかし、ミツハクはゾンビ虫の件を真実として話す。


 少々引っかかる所もあるが、そうであるならば、タツマが諸々の説明を他人に一任せず、まず自分がカダンに直接話したのは、嘘を嘘とはっきり分からせ、かつそれが公然の秘密などでなく、極一部にのみ知らされた秘匿性の高い事実であることを知らせるためだ。


 そこで気になるのは《不測の事態が起きた》というタツマの嘘だ。予想された事態であるという事だろうが、それが何を示すのか。

 孝宏たちの安全の為外の病院に移すというのが真実であるなら、この大掛かりな嘘は、そもそも危険が迫っている孝宏たちの身の安全を守るため、研究所から出す口実として、でっち上げられた可能性がある。狙われているのが、ゾンビ虫や研究データであれば、わざわざ孝宏たちの安全を考える必要などない。


 孝宏たちに迫る危険が何かは正確な所を特定するのは、現段階ではまず無理だろう。

 タツマなら孝宏たちの未知の力が彼らの及ぼす影響について、ある程度の予測を立てるなども可能だろうし、森の中で何者かに襲われたと、カダンから受けた報告により、初めから彼らが何者かに狙われていると考えていたしてもおかしくない。

 それらに加え、数日前の火事の件だ。

 あれは自然に発生した事故とは言い難く、火事を起こした犯人の狙いがあの二人であったとするなら孝宏たちから得られている証言の矛盾も説明が付く。



(あの火事だって、ずっと孝宏たちに付いていたタツマさんが、宿舎の自室に戻った十分の間起きたって話だし)


(カウルとルイには話さない方が良いかな。だから自分だけが呼ばれたんだろう。けど何であの二人だけなんだろう?まさかスズキも狙われて?)


(孝宏が目立っているのはわかるけど、マリーは傍から見ただけなら、俺たちとやっている事は変わらないのに……それとも今回のは孝宏だけを狙って……なら森で襲われたのはたまたま……?)


(何にせよ、今はタツマさんを信じるしかないか)



 カダンはギリリと歯を食いしばった。




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