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夢に咲く花後編34

 二人が二階への階段を降りる。立ち昇ってくる煙の臭いが鼻に付く。マリーが手首をクッと曲げ剣を出した。



「ちょっとま、っ……水は少しだけ……って……できない?」



 そうは言っても、芽生えたばかりの能力を上手く扱うのは、いくらマリーが器用でも困難だろう。

 孝宏は下の階にエミンはいないと考えていた。もう歩けないとマリーを突き放した人物が、あの場所から移動できたとは、とても思えなかったのだ。


それでも、もしも下の階に息も絶え絶えのエミンがいたとしたら、あるいは、他の誰かが助けを求めていたとしたら。

 マリーの出す暴力的な水に呑まれれば、残された僅かな生命力は簡単に掻き消えてしまうかもしれない。

 マリーは少し考えた後、一回だけ、深く頷いた。



「やってみる」



 マリーは剣を振るった。極々小さくだ。


 そもそも、孝宏を背負いながらでは大きく振りかぶれないし、孝宏が止めなくとも、小さくしか振れなかっただろう。

しかし、それでも剣先から溢れ出た水は、十分過ぎる程だった。勢いよく階段を駆け下り、それまでと同じように炎を丸ごと飲み込んでいった。



「わっ」

――ガゥルルルル――



 階下で誰かが叫んだ。かと思えば、次の瞬間には獣の唸り声が聞こえた。マリーは剣の柄を握り直し刀身を持ち上げ、それとほぼ同時に孝宏が呟いた。



「カダン?」



「え?」



 階下からの明かりがなくなり闇が深まれば、足元を照らす火の玉の光が一層強く感じられた。

 そんな中、マリーの握る剣の刃が火の明かりに反射し滑るように光り、刀身から水がしたたり落ちた。水滴が落ちてに届く前に霧散して消え、また落ちる。

 マリーがゆっくり剣を下した。



「今の、声……カダンだよな?」



「言われても、解んない。寧ろ今のでどうして解ったの?」



「わ、からずにっ……殺ろうとした、のかよ。こえぇよ」



「だって、緊張してて……つい……」



「気持、ちは……わかる……けど……」



 孝宏はあれはカダンだと言いながら。マリーもそうなのかと頷きながら。マリーは剣を顕現させたままだし、孝宏も感覚を研ぎ澄ませるかのように火の玉を揺らしている。

 階下から聞こえる水の流れる音が次第に小さくなり、やがて、2階へと繋がる階段は静寂に包まれた。



――ピチャッ……ピチャリ……――



 水を踏む音が聞こえ、マリーはもちろん、孝宏も足音に固唾を呑んだ。

 一人分の足音は確実に大きくなって聞こえてくる。一歩一歩の感覚が広く、音の主は慎重に歩いているようだった。



(マリーの水はすぐに消えるはず……)



 仮にカダンが孝宏に良い感情を持っていなかったとしても、今は協力関係にあるのだから、潜む必要などない。それに彼は狼なのだから、鼻は良いし耳も良く聞ける。廊下に響く二人の話し声が、階下まで届いていないはずはないのだ。

 それならば、なぜ、足音の主は孝宏たちに声を掛けてこないのか。孝宏は腕から背中にかけゾワリとした感覚が走り、無意識に力が入る。



(あの声はカダンだった……聞き違えじゃないはず)



 脳裏にこびりついてしまった、一抹の不安が消えず、孝宏は意識して息を深く吸い込んだ。もしも偽物だったら。他人に化けて襲ってきたら。どれだけ精巧に化けるかにもよるが、魔術で変身されれば、不慣れな孝宏とマリーに見破る術などなく、簡単に騙されてしまうだろう。



 まさか、あるはずがない。あれは本物のカダンだ。孝宏は何度も自分に言い聞かせた。



 しかし、何度強く自分に言い聞かせても、騙される事への不安(・・・・・・・・・)はどうしても拭えない。



(凶鳥の兆しはどれだけ動かせるかな。少しは回復した気もするけど…………たかが知れてるし)



 不意に足音が消え、ハァッハァッハァッと短く切る荒い息遣いが聞こえてきた。



 嫌でも四肢に力が入る。孝宏が身を捩り、床に足を伸ばすと、マリーもすんなり力を抜き、壁に預けつつ孝宏を下した。


 床に降りると、釘が貫通した足の、ジリジリとした熱っぽい痛みを否応なしに意識する。



(どんどん痛くなってるし、動けないかも……)



 孝宏は両手で壁にかじりつき、体を支え、マリーも両手で剣を構えた。

 突然だった。それはもの凄い勢いで、こちらに駆けて来た。


 下の方で黒い影が動いた、と思った次の瞬間には、大きな塊が二人の目前まで迫って来た。襲われる。咄嗟に彼らがそう思うのも無理からぬことだった。



「……っ」



 火の玉が飛び出し、大きく膨らんだ。

 孝宏はほんの目くらましのつもりだった。相手が躊躇すれば、隙ができれば、後はマリーが何とかしてくれるだろうという、希望的観測に基づいたものであるが、そこにはこの短期間で築いた信頼があった。そしてマリーもまた、ほぼ同時かやや早いくらいに右足を一歩引き、柄を握る手に一層力を込めた。



「あっ」



 膨れ上がった火の玉に照らされ、影でしかなかったそれが、闇の中に浮かび上がった。


 それは大きな白い獣だった。しまったと思った時には、火の玉は獣に届きそうだったし、マリーもまた、剣を振るうところだった。しかし白い獣は器用にも、体を小さくすることで火の玉を避け、更には、手前で踏み留まり後ろへ弧を描きながら飛び退いた。



「カ、カダン……よね?」



 マリーが恐々尋ねた。尋ねながら火の玉の明かりに刀身をかざし見る。刃には汚れも刃こぼれもない、綺麗なままだ。マリーはほっと胸を撫でおろした。



「そう、俺。いきなり飛びついたのは悪かった。ゴメン。だからそう警戒しないで」



 火の玉がフヨフヨとカダンに近づき、顔を照らした。カダンが眩しそうに眼を眇め、手をかざしたのだが、その時、赤く充血した目から、光る物が一筋零れ落ち頬を濡らした。

 気付いた瞬間、孝宏は寒くもないのに体が震えた。息を吸うのも忘れ、苦しさに顔を歪める。



「二人とも無事で……ほんとに、生きていてくれて……良かった」



(俺たちを心配してここまで来てくれたのか……泣くほど…………泣くほど……)



 泣くほど俺たち勇者に死なれては困るのか。火事の中に飛び込んでまで、俺たち勇者が必要だと思うのか。


 目的もはっきりせず油断ならない相手だと思うのに、孝宏は、カダンが見せる、まるで思いやっているかのような言動にいつも困惑した。警戒しなければと思えば思う程、苦しくなり、その度どうしてか泣きたくなった。



 あれは誰の為の涙だろう……ああ…………ああ、とても気分が悪い……とても……











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