夢に咲く花後編25
孝宏が目前で起きてる出来事を理解するのに、相当の時間を要した。
普段火を操る孝宏の目には、始め、それが自身の操る火に見えたのだが、そうでないと瞬時に見分けるには、あまりにも酷似しすぎていた。
孝宏は自分を特別だとは思っていなかったが、自分以外の人間が炎を操るのを目の当たりして、驚きを隠せなかった。
混乱しつつも、孝宏は自分のやるべき事を抑えていた。指先がピクピクと跳ねる。
(何だ?……何だよ、これ………………なんで)
孝宏が凶鳥の兆しの火を通して見たのは、にわかには信じられない光景だった。
それは炎が建物ごと飲み込もうと、触手を伸ばしている光景だ。建物全体に触手が絡みつき、右も左も、上も下もすでに絡め捕られている。少なくとも、孝宏にはそう見えた。
窓ガラスを割って入ってきたのはその内の一本だ。
(あれの目標は俺かもしれん……)
例えだとしても、もうすでに逃げ場はどこにもない。
孝宏は唇を強く噛む。指先が円を描き握り込む仕草をする。
(煙をつっきって下へなら…………でき……る……)
「上へ!上の階へ行きましょう!」
エミンが恐怖を振り払うかのように、声を荒げ踵を返した。
エミンたちの背中を、瞬きを忘れた瞳が、ぎょろりと見つめる。
孝宏たちはエミンの先導で引き返し、元の場所へ戻った。上階へはあの階段を上へ行かなければならない。
黒煙の中を本当に進めるのかなど、誰も口にしなかった。エミンが孝宏たちを探して階段を上がってきたのなら、まだ、救いはあると思いたかったのだ。
防火戸の前にたどり着き、どうするのかと不安そうにする二人に対し、エミンは掌を上にして左腕を差し出した。
「良いですか?今からあなた方に魔法をかけます。煙の中でも楽に呼吸ができる魔法です。でも長くは持ちません。一気に上の階まで駆け上がってください」
それはおかしい。孝宏は心の中で咄嗟に反論していた。マリーも気が付いたようだ。ざわめく心が表情によく現れている。
マリーが
「魔法?使えるんですか?」
と言った。
エミンは二人の混乱を他所に、さも当然と頷いた。
「ええ、これは人魚の魔法ですから。だから、魔法妨害されてようと魔法が使えます」
どうやら下調べが不十分のようだ。エミンがニヤリと意地悪く笑う。
その時初めて孝宏とマリーはこの火事が作為的な意図を持って引き起こされたのだと知った。だか孝宏は、やはりそうだったのかと腑に落とす。そして、両手の指が手繰り寄せる様にバラバラ動く。
(なら、今俺がしたように、奪い返すかもしれない)
孝宏は何度か、手を開いては拳を握った。
「フゥ…」
エミンは腕を突き出したまま、浅く短く気を整えた。
焦点が合わず、どこかぼんやりとした印象を受ける瞳が、キラキラと光を放ち始めた。注意していないと気付けない小さいが、金色の鋭く強い光だ。
――大きな水を小さく、火にも負けない恵を与えろ、生かすために纏わせろ――
言い終わると同時に孝宏とマリーの足元から、水の膜がそれぞれの体を覆っていく。冷たくて気持ちがいい。不思議な感覚だった。
孝宏が興味深げに自身の体を見ていると、徐にエミンが孝宏の額に口付けた。
「へ?」
エミンは気だるげに肩を落とし、口の両端をクッと上げて微笑んだ。一瞬、僅かに目を眇め、震える息を吐き出す。長い髪が一房落ちたのを指で耳にかけ、マリーの額にもそっと口付けた。
「これをしないと、水の中で呼吸ができないんです。怒らないでくださいね」
顔が水に覆われていく。けれども、視界が歪むでも霞むでもない。孝宏が恐々と息を口から吸った。水を吸い込むのでなく、普段の呼吸と何ら変わらない。本当に水で覆われているのか疑わしいくらいだ。
(割とビビったけど……結構いいじゃん。水の中で息できるっていいなぁ)
「怒るなんて……少し驚きましたけど」
頬に熱を持ち、マリーは満更でもない様子だ。
孝宏の脳裏に浮気者という単語を思い浮かんだが、これだけ美しい人なら、仕方がないことかもしれないと思い直す。
しかもだ。美しいだけでなく、窮地に置いて危険に身を晒してまで助けにくるなど、完全にヒーローの類だ。
見目の良いヒーローは、昔から子供たちのみならず、保護者たちまで憂き身をやつすのだから、それを地でやってのけたエミンに、好感を抱くのは至極当然のことかもしれない。
そればかりに気を取られていた孝宏が、エミンの言葉を頭の中で反芻し、少し間を置いて重要な事に気が付いた。
「え?ちょっと待ってください、これ、煙大丈夫なんですか?」
孝宏は一回、全身を覆う水に視線を落とし、もう一度エミンを見た。
エミンは説明が足りていなかったのかと目を瞬き、口を開いたのを、孝宏が興奮気味に遮った。
「はい、もちろ……」
「俺が火を操って道を作ります。下に逃げましょう!」
「へ?」
「そうか!煙の心配がないなら一気に走れば、外に逃げられる!」
「はい?でも下には炎が……」
マリーも拳を握り打ち震えた。ただエミンだけが理解が及ばず、困惑気味にマリーと孝宏の顔を交互する。
エミンの魔法は煙は防げても、火を遮る程の効果は持ち合わせていない。このまま炎に突っ込めば、間違いなく命がないと知っているからこそ、エミンは、ではそうしようとは頷けなかった。
何とか暴走気味二人を抑えようと必死だ。
「炎を?操る?いやいや、駄目ですよ。これに炎を遮る効果はありません。」
「違います。火をどうにかするのはタカヒロですよ。大丈夫です!」
「これはタカヒロさんにどうにかできるような炎では……」
「説明している暇はないんです!魔法の効果が消える前に急ぎましょう!」
エミンへの説得は後回しだ。孝宏がチラリとマリーに視線をやれば、マリーは解っていると言わんばかりに頷き、エミンの手首を掴んだ。
孝宏は指先と繋がったままの火を操った。
(上の階はまだ支配出来ていないけど、下の火は全部支配できた……よし、俺の意思で動く!)
孝宏は三階から順に、火の道を作り始め、同時に行くぞと声をかけた。防火戸を開き降り始めた。




