夢に咲く花後編22
研究棟四階の仮眠室では孝宏が、その隣の部屋ではマリーが休んでいた。
孝宏は取引を理由に、マリーは検査の為と言われ、それぞれがタツマに引き留められるまま研究棟に残っていた。
深夜過ぎ、深い眠りの中にいた孝宏は、息苦しさで目を覚ました。
「ゴッホッゴホッゴホッ……」
激しく咽ながら、部屋を見渡す。
何が起きたのか、見ただけで判断付かないのは、決して寝ぼけているからではない。 部屋は暗く、窓の外にはいっぺんの明かりすらない。見渡す限りの闇に、体の芯が震えた。
「誰か!ゲホッゲホッ……誰か!」
皮肉なことに、この息苦しさが孝宏にただの暗闇でない事を教え、僅かな思考力を残させた。
寝る前は確かに明かりが付いていた。カダンがいたずらに笑みを浮かべつつも、結局は明かりを絞って薄暗くしてくれたのだ。
(俺が寝た後に消したとか?そんな嫌がらせするはずが…………いや、するかも。カダンなら、後、ルイとカウルも……)
孝宏は関係ない双子に在らぬレッテルを張り、八つ当たりをすることで、暗闇から意識を逸らそうする。
隣の部屋にはマリーが寝ているはずだ。この明らかな異常事態に気が付いていないとは思えず、魔術を扱える彼女だけが、この状況下において、孝宏の唯一の希望といっても良いだろう。
しかしだ。部屋を出るには、まずベッドから降りなければならないというのに、孝宏はシーツを握り絞めたまま、ベッドの上で悶えていた。
前が見えなくとも床を這って移動すれば、比較的息もしやすいし、広い部屋でもあるまいに、ドアまでたどり着けるだろう。
理性の上では、ここは研究棟の部屋の中と分かっているのにも関わらず、孝宏は手を離せば闇に落ちてしまいそうで怖ろしかった。暗闇がぽっかり口を開けているようで、足がすくんだ。
(動け、ここは部屋の中だ。動け、足をべっどから下ろすんだ)
孝宏はベッドの上をずりずりと移動し、頭をベッドの端に置き床に手を伸ばした。指先が空を掻き、腕を下へ伸ばしたが、まだ床へは届かない。
(もっと……多分もう少し)
孝宏はベッドの端ギリギリまで体を寄せ、ようやく床に手を付けた。たったそれだけのでいくらか、体の震えもおさまる。
ようやくベッドから降りると、孝宏は息を吐いて、額の汗を拭った。
ベッドから降りるだけでこのていたらくだ。外に出るまで途方もない勇気を、多分に振り絞らなけれなならないだろう。
孝宏はドアっがあると思しき方向へ、床を這い始めた。
――ガチャッ――
ドアが開く音が聞こえ、次にマリーの声が聞こえた。
「生き、ゲホッ……てる!?」
「なんとかっ」
ドアが空いているはずなのに、やはり暗く何も見えない。しかし、マリーが来た事で、孝宏にはまた少し余裕が生まれた。
(兆しの鳥、明かりが欲しい……)
実際に声に出す必要がないのは大きな利点だ。まともに喋る事もままならない状況で、特に真価を発揮する。
それでも、ただ祈るだけ時はもっと不安定だった。一瞬でも気を逸らせば、火は孝宏の手から逃げたし、命令通りに動かない事もざらにあった。
しかし、今はどうだ。凶鳥の兆しの名を呼ぶ度、凶鳥の兆しとの間に、しっかりとした繋がりを感じる。いうなれば、ぼんやりとして得体のしれない何かだったものが、形を捉え実感を得た感覚に近い。繋がり、形がある分、逃げる事も反抗もしなくなった。
もっと早く、精霊について知っておくべきだったと、今なら孝宏にもわかる。
ボヤっと明かりが灯るのと、マリーが叫ぶのはほぼ同時だった。
「魔法が使えないの!」
「は?」
「え?」
ぼんやりと照らされた室内の、煙が充満する中で、孝宏と開いたドアにしがみ付いたままのマリーが、共に光源に視線を奪われた。
魔法が使えているじゃないか。二人の顔が同じ事を言う。
マリーは訝し気にしながら、すぐさま呪文を唱えた。術式を間違えているのか、またはイメージが弱いのか、マリーの魔術は先ほどの彼女の言葉通り、発動しなかった。
その間も、開いたドアから、どんどん煙が流れ込んでくる。煙る視界が悪化していく中で、孝宏は火事が起きている事を悟った。というよりも、ようやく冷静に考えられるようになったのだ。
とにかく逃げなければ。手元に手ごろな布もなく、孝宏は服を脱ぎ上半身裸になると、脱いだ服を口で噛んで二つに裂いた。
一つをマリーに渡す。
「俺の服だけど……ゴホッ」
「……ないよりはっマシね。ありがとっゲホッゲホ……」
「さすがにっ言いかゲホゲホ……飲み込めよ……ケホッ」
孝宏は自分も口を覆い、無意識に左胸に手を当てた。自分の心臓がやけに大きく打ち付け、頭に響く。
「とにかく逃げよう」
マリーが無言で頷いた。