夢に咲く花後編17
「あの!」
ルイが勢いよく立ち上がった。大きな音を立てて椅子が倒れ、同時に視線が集まる。
気まずく思いながら、ルイは黙って椅子を起こした。
「あの、この後お時間ありますか?」
「もちろん良いけど、君は何か調べものをしていたんじゃないのか?」
ルイが大丈夫と返す。ナキイは机の上に積み上げられた本をのタイトルをなぞり、合点がいったと頷いた。
「神様について調べてるのか?」
「神の世界という物に、ちょっと興味がありまして……」
「神の世界……」
ナキイは腕を組み、机の上に積み上げられた本たちを見下ろし、小さく唸った。そうやって数秒間、考え込んでいるようだったが、やがて
「世界の珍しい料理という本は読んだかい?」
神の世界と何の関係があるのか解らないタイトルに、ルイは首を横に振った。
「おいで、面白い事が書いてあるんだ」
ナキイがその本がある棚まで案内する。
着いたそこは、他と比べると小さな区画だった。料理のレシピ本が並ぶコーナーを指でなぞる。
「確か前はここに………あった……はず…………これだ」
ナキイが本を一冊取り出した。
表紙には≪世界の珍しい料理集≫という単純で解りやすいタイトルが載っている。
ナキイがとあるページを開いてルイに渡した。
「ここを読んでごらん」
「はい」
ルイは料理と神の関係性が掴めず、困惑しながらもページを文字を目でなぞった。
≪豊穣の地神大陸≫北部に位置するナナシ村に伝わる料理のページだ。
ただこの本、料理の調理法だけを乗せた所謂料理本ではなく、著者が何故この地を訪れるに至ったのか、実際に料理した過程と、食べた感想までもが、事細かに書いていた。
その中の一節だった。
――北の地には摩訶不思議が多い。ナナシの村に残る昔語りだけを見ても、岩を投げて敵船を追い返した白毛の熊人なる人物の伝説や、虎人であるとされる人が指先で石に穴を開けた逸話など、現実には存在しない人種が、まるで現実に存在しているかのように語られている。郷土料理にしてもそうだ。聞いた事もない食材名が並ぶが、だが実際には熊や牛など、ごく一般的に知られている食材でしかない。その中で私は珍味とも呼べる逸品を見つけた。他所ではまずお目にかかれない≪羊魚の煮物≫だ。羊魚の煮物を初めて見た時、私は本当にこれを食べているのかと、戦慄したくらいである。羊魚を知らない人の為に説明すると、羊とは人の別名、両脚羊から来ており、これは一般的には≪ヒトサカナ≫と呼ばれている深海魚だ。名の通り人によく似た上半身も持ち、細く長い胸ビレは先が六つに分かれ、まるで人間の手の様に器用に動く。猿を食べた事もあるが、これはその時と同じくらい、抵抗感を覚えた。人よりも遥かに小さく、成体でも魔人の幼児程度にしかならない羊魚は、もっぱら稚魚の頃に食され、小ささ故にまだいくらかは食べやすい気もするが、あくまでも≪気がする≫程度だ。それでも、門番と名高いリリンに示してもらった逸品だ。世界の珍味を食べ歩く私が、食べないわけにもいかず、私は意を決して市場へ食材を調達しに出かけたのである――
「これ……ヒトサカナって人魚ですよね?」
ルイは嫌悪感を露わにした。顔を背け、心なし本を離す。
「深海に住む方のね。これは翻訳された奴で、原本は今から八百年くらい前に書かれたものらしいから、無理もない」
「そんなに昔の……」
「それよりも俺が見てほしいのはこの部分」
ナキイは≪門番と名高いリリン≫の部分を指でなぞった。
「見覚えないかい?」
「門番?門、番って……まさか」
先ほどまで読んでいた民話だ。
神の国らしき場所へ行くのに、途中、決まって門番が立ちはだかるのだ。
そしてリリンといえば、全世界に信者を持つリリン教のご神体で、およそ千年は生きていると言われる≪カンギリ≫が有名だ。リリン教と呼ばれているのも、リリンが迷える人々に道を示し、救われた者たちが崇めるようになったのが始まりと言われている。
この文中でも≪リリンに示してもらった≫と表現されている。
「いや、でも……リリンが門番と呼ばれているなんて、聞いた事がありません」
「俺もだ。実はな、昔この本を読んだ時に気になったから、この本に書かれている真偽を確かめてみた事があるんだ。現在明らかになっている歴史については、殆どが正確だったよ。食い違っていたとしても、所説ある中の一つだったり、多面的に見た場合、同じ捉え方できるものであったり、殆どが違うと、はっきり否定できない事柄ばかりだった」
「じゃあ、これもリリンは大昔、門番と呼ばれていたかもしれないと?」
「そうだ。リリンが今いる場所に居着いたのは約800年前で、門がある建物が建てられたのは500年程前だ。800年前はまだ森林が広がっており、建物があった記録はない。リリン教の聖典にもそうはっきりと書かれている」
「良く調べましたね」
ルイは心底感心した。
もっと正確にいうなら≪門番という単語一つで、よくここまで調べましたね≫である。
民話にも正通しているからこそ、門番という単語に反応できたのだろう。今ルイが引っ張ってきた本たちは殆ど読んだことがあるのかもしれない。
それだけではない。ナキイはルイが集めた本の≪神≫という単語から、リリンが昔門番と呼ばれていたという記憶を引っ張り出した。これもルイにとっては驚くべきことであった。
ルイにとってはまさに渡りに船であるが、都合が良すぎて気味が悪いくらいだ。
とはいえ、これはルイが求めていた答えに限りなく近い物であるのは間違いなかった。仮に違っていたとしても、リリンに道を示して貰えれば、正解にたどり着く事ができよう。
「王族の護衛には知識と教養が求められるんでね。良くここに来るんだ。料理はもちろん、裁縫や……何ならダンスの女性パートだって踊れるぞ」
大柄なナキイをリードできる男も想像できないが、彼ならきっと、完ぺきに踊って見せるのだろうと思わせる風格がある。
「さすがです」
「それより、君の役に立てそうかな。やっぱり、神繋がりとは言い難いか」
「いいえ、僕が探していたのはこういうものです。ありがとうございます」