夢に咲く花後編7
朝起きて、孝宏は不快感に顔をしかめた。昨夜は体を洗わず寝たからだ。
横を見ればカダンはまだ寝ている。朝食前にさっさと入ってしまおうと、孝宏は眠い目を擦りながらシャワー室へ入った。
脱衣所がついているくらいで、他はあの病院のと大して変わらない。孝宏は深く考えず、浴室内に入り蛇口を捻ったが、その次の瞬間、何とも言えない叫び声を上げた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
蛇口を捻って上から降ってきたのは暖かなお湯ではなく、冷たい水だった。しかも冬の夜に冷やされた氷水の様な冷水だ。
病院のとき同様お湯が降ってくると思い込んでいた孝宏は、訳がわからぬまま、慌ててシャワーを止めた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
気のせいだろうが、浴室内の空気が一層冷え、水をかぶったところがヒリヒリする。
(ありえん、痛いくらい冷たい)
間違えて水を出してしまったのかとも思ったが、いくら探しても探しても蛇口は一つ。捻る方向でお湯に切り替わるタイプでない。
(えぇ……嘘だろ)
これは魔力を込めて使うタイプのものなのだ。
この魔術世界において、魔力を込めてお湯を出す行為はごく一般的なのだが、残念な事に孝宏は使えない。
試しに魔力を込めてみようかとも思ったが、とてもそんな勇気は出なかった。
「ああ、もう……最悪」
以前のように火が吹き出したり、ホースが溶けてしまったりすれば、それこそ笑えない。
孝宏が取れる選択肢は二つしかない。どちらにせよ気が滅入る選択なのは間違いなかった。
――コンコンコン――
突然ドアが叩かれた。磨ガラス越しに映る人影が首を傾げる。
「大丈夫?」
カダンだ。いつもより声が低い、寝起きなのだろう。
(これは俺の声で起こしたか。カダンに頼めばお湯出せるけど)
孝宏が暖かなシャワーを浴びるには、おそらくこの方法しかない。しかし昨日の事が脳裏を過り、孝宏は反射的に首を横に振った。
(カダンの手は借りない。これ以上舐められてたまるか)
「大丈夫。ちょっと驚いただけ」
「そう……良かった」
カダンが脱衣所から出て行った後、孝宏は大きく息を吐き、虚ろな目で天井に付けられたシャワーヘッドと見上げた。憂鬱さが増す。
(そうそう、真冬の水浴びとかあるし、健康の為と思えば氷水くらい……)
孝宏は意を決して蛇口を捻った。
アノ国は比較的雪が少ないとはいえ、あくまでも比較的であって、雪は降るし真冬になれば気温は氷点下までグッと下がる。
一番寒い時期を過ぎた今でさえも、0度まで下がる事はざらにあるのだ。
加えて、燃料の乏しい土地柄故、富裕層以外はめったな事では暖房を使わなかった。外よりかは温かいだけの室内で、厚着をして過ごすのが昔からの習慣だった。
数十年前、魔力を結晶化する技術が発明され、様々な魔動家具が作られたが、それまでの習慣が一変するには至らず、今も人々は部屋を必要以上に温める事をしない。
つまり、この魔術研究所の宿舎でさえ、室内は快適とはほど遠く、外よりはマシな気温に保たれている。
しかしそれでは、冷水で冷え切った孝宏の体を温めるには不十分だった。
「馬鹿じゃないの?」
呆れてマリーが言った。辛辣だが、他二人も同意見だ。表情が優に物語っている。
(そうだよな、俺もそう思う)
孝宏は心の中で同意し頷き、口からは体裁を保つ為の適当な嘘を吐く。
「健康のためだって。寒中水泳とか、ロシアにもあるんだろう?」
「あるけど、私しないし……」
マリーが澄まし顔でパンをかじる。
(俺だって……日本にもあるけど、したことねぇよ)
朝食の時分になれば、孝宏の震えもいくらか納まっていが、唇はまだうっすら紫を帯びている。湯気の上がるミルクスープを飲むと、熱がジワリと体中に伝わり、溶けていくような気がした。
「はぁ……幸せ……」
暖かなスープは極上の味がする。まさに幸福の味だ。
マリーがクスリと笑い、ルイが苦い顔をした。
「タカヒロが魔力を操れないのはちょっと面倒だね。僕がなんとか出来るなら良いけど……」
難しいな、ルイが零す。
「孝宏が魔法具を使うと全部火が出るか、溶けるかするからな……」
カダンは笑みを浮かべたが、困惑しているのがありありと見て取れる。
これまでも何度か魔術具を使えないが試してみたが、凶鳥の兆しの火にすり替わるか、あるいは耐えきれないものは溶けてしまった。
しかしすべてがそうなるわけではない。
孝宏の両腕にはめられた籠手やお守りの腕輪は、自動的に孝宏の魔力を吸い取り、溶ける事なくしっかり役目を果たしている。
本来孝宏が持つ魔力だけを操ることができれば、おそらく他人と同じように魔術具を使えるだろうと、カダンとルイは推測しているが、しかしどうして、それが中々に難しい。
この世界にも先天的、後天的に魔力を自由に操れない者や、様々な事情から一時的に魔力を扱えなくなる者がおり、そういった人たちの為に、魔力を蓄え自由に放出できる魔術具がある。
特別な操作は必要なく、他人に魔力の補充をしてもらうタイプや、持っているだけで自分の魔力を吸い取り補充してくれるものもある。
まさに孝宏に打ってつけの道具だが、購入するには高額な費用が必要で、ルイが作るとしても多くの材料を必要とし、凶鳥の兆しの火に耐えられる素材を選ばねばならないなると、希少性はさらに上がる。
孝宏が一か月たっても魔力を操れないと管を巻いている時から、その考えはあった。しかし費用がネックとなり二の足を踏んでいたのだ。
難しい顔で真剣に考えこんでいるルイに、孝宏もさすがに申し訳なくなった。
この世界にきてから、何かと孝宏の世話を焼いてくれるのは、他でもないルイだ。もちろんルイの孝宏に対する扱いは雑だ。雑だが、魔力が扱えない孝宏の為に苦心するのは、いつだってルイだった。
「俺も最近は自分で魔力を操る練習してんだよ。だからその内何とかなると思う。それまでは水でも我慢できるし」
「いや、そのくらい頼ってよ。風邪でも引かれた方が面倒だし」
「面倒ってもうちょい優しい言い方ない?」
「煩わしい」
「ひっでぇ……」
ルイがクッと笑うと、孝宏もため息交じりに笑う。いつものやり取りだ。そんな光景をカダンは複雑な気持ちで眺めていた。




