夢に咲く花後編2
世間が夜の食卓を囲う時分、飛行船は王都に付いた。
白い壁の無機質な建物には未だ人が多く闊歩し、孝宏は唐突に、逃げられるのではないかと徐々に歩く速度を落とした。悟られない様振る舞ってはいるが、普段の自分がどの様かなどもはや思い出せなかった。
孝宏は集団の最後尾に付け、それでも皆の注意が自分に向かない事を確認すると、全員の視線が出入口に注がれた瞬間、静かに、すれ違う乗客に紛れカダンたちから離れた。
誰も孝宏を振り向かないし、出入り口に吸い込まれる様に歩みを止めない。彼らの中では、今尚、何事も起きていないのだ。
心臓が痛いくらいに胸を打つ。興奮で息が荒くなり、孝宏は笑ってしまいそうで、歯を食いしばった。
このまま別の出入り口から建物の外に出よう。もしも見つかってしまっても、トイレに行こうとして迷ったのだと言えば良い。
孝宏は、一度は逆の出入り口に向かった。しかし、すぐにはたと足を止めた。
孝宏に身を寄せる当てがあるわけでも、準備もなく、今離れたのはただの思いつきだ。
空港から研究所までの移動は馬車。車に乗り込む際、孝宏がいない事は否応なしに気が付くだろう。すぐに探し始めるだろうから、猶予はさほどない。となると、遠くまで移動し彼らから離れるのは不可能で、近くで身を潜めてたとしても、カダンの耳と鼻を誤魔化せる隠れ場所など思いつかない。
わざと逃げたと分かれば、カダンの孝宏に対する不信感は増し、監視はより厳しくなるだろう。
ここで彼らから離れるのは、逃げ切れる確証がなければ賢い選択とは言えない。
孝宏は踵を返し、皆から離れた地点まで戻ったが、彼らはもう出てしまったのか何処にも見当たらなかった。
「やっぱり出て行った後かな……」
孝宏がキョロキョロしながら、ゆっくり出口の方へ歩いていく。せめて見落としがないよう、人ごみを右に左に注意しながらだ。
孝宏が出入り口を潜ろうとしたその時、突然、強い力で肩を捕まれた。振り向くとそこにはカダンがいた。怒気を帯び興奮しているのか息が荒い。しかし、今孝宏が探していたのはまさに彼だった。自分を探しに来るならカダンだろうと思っていた。
「あ、見つけた。今探してたんだ」
少しばかり怖い印象を受けるカダンを前にして、孝宏から呑気とも言える言葉が出た。
嘘は言っていないが、本当の事も言っていない。笑って誤魔化してしまえと、現実逃避に近い考えでお道化れば、カダンの眼光はより鋭く、纏う空気が一段と冷えた。
「それはこっちの台詞だ」
いつもよりゆっくりで且つ声が低い。
「…………ごめんなさい」
(やっぱ、来るの早い。でも後ろから来たという事は、人ごみは使える。あとは匂いを誤魔化せれば、遠くまで逃げれるかも……)
腹の中では全く別の事を考えながら、孝宏は見た目だけは殊勝な態度で頭を下げた。そんな孝宏をカダンは冷ややかな目で見下ろしている。
「皆待ってるから」
カダンに問答無用で手首を掴まれ、孝宏は半ば引かれるように外出た。孝宏が速いと不満も漏らすと、カダンは握力を強め、急ぐぞと言わんばかりに足を速めた。
他の面々は既に迎えの馬車に乗り込んで、孝宏を待っていた。
建物に面した道路は広く、馬車が四台がすれ違える程の幅がある。何台もの馬車が列をなして停まり、馬車から降りる者や逆に乗り込む者、様々だ。
孝宏たちの馬車もそんな中の一台だ。庶民が乗るような幌馬車ではなく箱型の馬車で、大きな車台だが辻馬車ではない。黒塗りの艶やかな車体に描かれたアノ国を象徴する赤い花の紋章は、どう見ても一般人を乗せる車ではない。
否応なしに人々の注目を集め、王家の花を背負った車に乗るのは誰だろうと、遠慮がちに視線を向けながら、人々が通り過ぎていく。そんな中、窓側に乗ってしまったルイは、俯き加減で目元を隠している。
(カダンの事とか、モルモットになりたくないとか色々別にして、アレに乗りたくねぇ……)
「俺たちを迎えに来るのに、あの馬車はやりすぎだろ……」
「他にないんだよ」
諦めろとカダンが声色で孝宏に投げかける。孝宏からはカダンの顔が見えなかったが、きっと自分と同じ目をしているのだろうと容易に想像できた。
孝宏はカダンに促され、おずおずと車のドアに手をかけた。
孝宏を待っている間、人々の視線に晒され続けたルイが、辟易した様子で、恨みがましい目を孝宏に向ける。その表情だけでルイが何を言わんとしているのか、優に理解できるのだから、孝宏とルイの心が最も理解し合えた瞬間かもしれない。
「遅くなってごめんなさい」
孝宏の口から、今度は素直に謝罪の言葉が出た。
孝宏たちが乗り込むと馬車は静かに動き出した。
街灯が立ち並び夜だと言うのに人も多い。都会というのはどこでもこうなのだろうか。孝宏は懐かしさを覚え、流れていく町並みに目を細めた。




