夢に咲く花後編 1
アノ国王都シャーレ。
町の中心の小高い丘の上に、白い城が聳え立つ。その足元から城を抱かう程の巨大な花が赤い花弁を何層にも広げ、城を円状に囲った内堀に、花弁の先端から水が柔らかく溢れ落ちる。
町中の水路と外堀との様が、上空から見下ろすと咲き誇った花の様にも見えることから、シャーレは花の都とも呼ばれていた。
≪王都の花≫を見るための遊覧飛行は、王都を訪れる者達の定番の娯楽となっていた。
特に夜になると、花に守れる城が淡い赤色光で照らされ、零れ落ちる水までもが淡く光り、それはそれは幻想的な光景に誰もが酔いしれた。
大陸随一の美しさと言われる光景を前にして、孝宏はげんなりとした様子で寝台にうつ伏していた。生気を失いつつある孝宏の瞳が捉えているのは、窓から外を眺めるカダンの後ろ姿だ。
カダンは外を見てはしゃぐマリーに頷きつつ、一緒に外を眺めている。しかしそれでも、人々を魅了する景色に興味がないのは一目瞭然だった。
カダンの柔らかい笑顔は殆どマリーに向けられ、マリーが外を指さしても瞳が動くだけで、わずか数秒の事だ。
カダンの様子にマリーが気が付いている気配はない。しかし何も、王都の花に魅せらているから気が付かないのではなく、目の前の人物に注意が払えない程、他所に心配事があるのだ。
(マリーも無理してはしゃぐ必要ないだろうに……あ、カダンが喉を触ってる。お腹が空いたか)
カダンが口元を触ろうとして手を止めた。孝宏が喉や鎖骨辺りを触るカダンの癖に気が付いたのは、三日目の昼の事だ。
(俺ってば、かなりカダンに詳しくなった気がする……あぁクソだな……)
例えば、カダンはマリーとの会話が一番長い。
ルイや同行している所員達とも話すが、時間で言えばマリーが圧倒的に長い。聞き役に徹しているのかといえばそうでもなく、寧ろ積極的に会話して楽しんでいる節すらある。
それからカダンはよく笑う。
話す時は誰とでも穏やかにしているし、ルイといる時は特に笑顔だ。しかし時折、カダンの笑顔が泣きそうに見える事がある。
ルイにそれとなく訊いみたが首を傾げただけだった。
ずっと一緒に暮らしてきたイトコが分からないと言うのだから、そうではないのかもしれない。仮にそうだったとしても、せいぜいカウルを心配しているからであって、もしかして、ひょっとして、万が一にでも、カダンが罪悪感を感じてるなど考えすぎなのだろう。
他にも肉が好きとか、女性を、特に髪をアクセサリーで着飾った女性を目で追っているとか、音楽が流れてくると、素知らぬ顔でこっそり拍子を取っているとか。どうでも良い事も色々気が付いた。
それからカダンは俺と話したがらない。
元々二人はそこまで話す仲ではなかった。
孝宏は双子と話す方が多く、次いで同室の鈴木だ。しかし、だからといって仲が悪いわけでもなく、それこそ必要がなくとも冗談を交わす程度には会話を交わしていた。
それがアノ国までのこの道中、会話するような場面では笑って誤魔化すことが多かった。
元々会話が少なかったとはいえ、違和感が拭いきれない。
実はカダンを敵対視している事とか、カダンの目的に気づいてからは逃走方法を模索しているだとか。定かではないが、自分の思惑にカダンは勘づいているのかもしれない。
孝宏は確証がないながらもそう思っていた。
カダンは笑顔を振りまきながら、鋭いナイフを隠し持つ事のできるタイプの人間。
これが5日間、孝宏がカダンを観察して得られた結論だった。
孝宏は無言で頭を左右に振った。
不安を払拭出来ず、だからといって逃げることも叶わず、思考に思考を重ね、カダンの弱点は、対策はなど考えた結果、蓄積されたストレスが疲労となっていた。
(あぁ、何かもうどうでも良い、焼くなり煮るなり好き……いやいや、されたら困る……)
困りはするが、だからといって気力も湧いてこない。考えても考えても、逃走の為の妙案は全く浮かんでこず、孝宏は虚ろな瞳で天井を見上げた。
(完全に詰んでね?俺、研究所何で場所に連れてかれたらどうなんだろ。国の為に働かされるか、実験台か……)
孝宏にとって一番大事なのは、地球への帰還だ。カウルやルイの為に何かしたいという気持ちは嘘ではないが、それは家に帰れると言う前提があっての事だ。いくら罪悪感があろうとも、孝宏はこの世界の現状の責任とは無関係である自分が、矢面に立とうなどとは思ってもいなかった。
このまま流されてしまいたい、すべてが杞憂であって欲しい。
孝宏の弱い心が囁いた。
実は研究所に地球に帰れる装置があってこのまま帰れたりする、なんて都合の良い妄想に自嘲気味な笑いが漏れる。
孝宏は起き上がり、寝台の上から窓の外を冷めた目で見下ろし、眼下に広がる町並みの何処かにあるはずの魔術研究所を探した。
いざという場面で形振り構わなければ、一面火事にするという手もある。凶鳥の兆しの火は消されにくく孝宏を焼かないとなれば、町中を巻き込んで混乱の渦に陥れるのも可能だろう。
誰も追ってこれない火の中は、孝宏にとっては何ら無いのも同然なのだから、混乱に乗じで逃げるのは十分可能だ。
孝宏はそこまで考えて、苦虫を潰したような顔をした。
(……って怖っ、何を考えてるんだろ、俺。ダメじゃん)
孝宏が自己嫌悪に頭を抱えている間に、飛行船は王都へ降り立ったのだった。