夢に咲く花 96
それから太陽が高く上った時分、孝宏たちにとってはようやく魔術研究所の所員が戻ってきた。二階のドアがノックされ、一番近くいた孝宏がドアを開けた。
白い防護服を着た初めの一人が軽く一礼し、あとはそれに続いて部屋に入ってくる。一人、二人、三人
(増えてる。それに……何か持ってる)
先ほどよりも増えた人員も気になったが、一番孝宏の目を引いたのは先頭が持つ、一見ランプにも見えるそれだろう。金属の枠にガラス板、中には豆粒のような何が四方八方から糸のようなもので固定されている。それが何か想像に難くない。
孝宏が身を乗り出して見ようとすると、先頭の人物は、持っていたそれを良く見えるよう孝宏に近づけた。
「見えるかい?これが君たち言っていたゾンビの正体だ」
低くはないがゆったりとした強い声。ゾンビの正体より防護服が喋ったことに驚き、孝宏は顔を上げた。
他の防護服とは違い、それには顔の部分に透明の若干湾曲した板がはめ込まれていた。そこから見える、声の印象よりずっと若い女が微笑んだ。
(綺麗な人だ……)
若いと言っても決して十代やそこらではなく、見た目は二十代か三十代かといった大人の女性だ。孝宏の知る大人の女性といえば、芸能人を除けば、母親か教師くらいのものだ。彼女はその誰よりも美しかった。
「君たちの推測は見事だったよ。こいつらは目の奥に取り付いて、そこから脳を操っていた……と今は見ている。詳しい説明は後にしよう。何せ、これから他の兵士たちを一刻も早く国内へ転送させなきゃいけないのでね」
外では既に研究所の所員らが作業を開始していた。集まっているゾンビ化してしまった兵士を片っ端から自国に転送していく。ここに集まっていない兵士も探さねばならないのだから、捜索は広範囲に及ぶだろう。
「タツマさんそれはどういうことですか?」
カダンが言った。
防護服の女、タツマの黒い瞳が、縦に細長く縮み、透き通るような緑の大きな目が露わになる。同時に口元が引きつる。
「カノ国から通達があってね。あと一時間後には空爆を開始すると。連中はあの忌々しい化け物を屠れるつもりらしい。巻き込まれる前にさっさと避難しろとさ」
「一時間!?町の人たちは?」
ルイが声を上げた。事が起きてから今までで、避難が済んでいるとは思えないのは、現場を見たルイだからこそだ。カノ国としてもそれほどの脅威だとの判断故だろうが、故郷を失った身にはあまりにも非情に映った。
孝宏の目に、顔を歪めながらも歯を食いしばるルイが、強烈な印象を持って映る。怒りに耳の内側の毛のない部分が赤く染まるのを初めて見たかもしれない。あの日は怒りというよりも混乱していたのだろうと、孝宏は思った。
どんなに恐ろしくとも、孝宏の決意は変わることはない。孝宏は内ポケットの携帯電話を握りしめた。
「あの……俺の火で焼いたらあれも大人しくなったりしないですか?そうしたら逃げる時間を稼げませんか?」
孝宏の提案にタツマは渋い顔をした。確かに、タツマからすれば、カノ国の民を救ってやる義理はないし、そもそも身内を助けるだけで手一杯なのだろう。無理だろうか。孝宏はタツマの顔色を窺いながら、心のどこかでほっとした。
(俺はまた、こんな……)
孝宏は視線をゆっくりと床へと落とした。
もしも孝宏がルイのように優秀であったなら、ナキイに優秀な新兵のようだと言わしめた彼らの様に武芸に長けていたのなら、あるいは提案は受け入れられていたのかもしれない。そう思うと、孝宏は己の無力さにも嫌気を覚えた。
「外にいる二人を使えばよろしいのでは?」
タツマの左後ろ、孝宏とタツマの間に立つ男の発言にその場の全員の視線が集まった。
「アベル様が使われた魔力を転送する魔法陣を使用すれば、一度に広範囲に火を送り出す事ができるでしょう。その準備を外の彼らに手伝わせれば、我々の任務には支障出ないかと」
それはソコトラで取られた手法だった。あれは魔力の転送のみならず、魔術をも送り出す事ができる魔法陣だ。アベルはこの魔法陣をソコトラでさも当然の使用したが、実を言うとあの時初めて世に触れたばかりの代物であったのだ。
魔術に魔術を纏わせながらも、元の魔術を全く変質させることなく効果を発揮させるのは、かなりの困難を極める。
一度物に術式を刻み、その物自体を移動させることはできよう。しかし、はっきりと形のあるものを分けるのが容易でも、形のないものの原型を留めておくのは困難なのだ。タツマなどはこんな便利な魔術があるのならさっさと提供すべきだったと、彼らの詰め所に押しかけ直接アベルに抗議したくらいだ。
「ふ……ん」
タツマが顎を手を当て思案したのはおおよそ三秒ほど。タツマの目がカダンを捉え、無言で投げかけたのを、カダンは正確にタツマの意思をくみ取り頷いた。
「良いだろう。噂の力が見たいしな。残りの者は本来の任務に当たれ。セイカ、お前の采配に任せよう。指揮をとれ。では始めよう」
異論は一切出なかった。所員たちは無言で頷き、セイカと呼ばれた所員ともう一人は静かに階段を下りて行った。