夢に咲く花 93
孝宏が目を覚ました時、部屋にはマリーが寝ているだけで他には誰もいなかった。
酷く気分が悪い。
孝宏はこの気持ち悪さがどこからきているのか分からず、唸って転がって、走って、何なら逆立ちまでしてみたが気分が晴れることはなく、いっそ吐けたらどれだけすっきりだろうと思うほどだった。
「えっと……」
(そういやどうしてここで寝てるんだっけ……)
今更ながらの疑問が頭を過ぎった。
孝宏の最後の記憶はカダンとマリーの三人でエスカレーターを上って部屋に入ったまでだ。あの後は何をするでもなく、突然眠気に襲われたような気がする。
(まさかゾンビの虫のせいとか)
孝宏は血の気が引いた。
孝宏は顔を、胸を、腕を、足を、全身を触って確認したが違和感はなく、どこも記憶通りの自分でいくらかホッとため息を吐いた。
(いやいや、今は大丈夫でも後から変になるかもしれないしな。ずっと外を逃げ回っていたんだ。そうならない保証なんてない……)
蜘蛛の時の様に。孝宏は身をブルッと震わせ窓から外を見下ろした。遠くに見える蝸牛は今も表面をうねらせているのにも関わらず、地上にはあれほどいたゾンビが一人もいない。
「どこかに行った?でも何で……」
孝宏はマリーをゆすって起こした。
「何で寝てるんだっけ?カダンは?」
すぐに目を覚ましたマリーだが寝ぼけ眼で呂律もおぼつかない。マリーの疑問に孝宏は正しく返答することができず、≪さあ≫と肩を竦めた。
「まさか見捨てられたってことはないよねぇ、カダンの事だし……」
軽口で冗談めいて言ったマリーに対し、孝宏は眉間に皺を寄せボソリと呟いた。
「……どうだか。あのカダンだからな」
とにかく下に降りてみよう、マリーはそう言うとドアノブに手をかけた。
「カダンを一人にするのは心配だし、とりあえず話をしようか……何があったか」
マリーの表情は真剣そのものだ。孝宏はそれが信じられなかった。あのカダンに対して何の心配があろうか、そんな思いが孝宏の中にはあった。
「……そうそう、カダンと話さないと」
――カダンは信用ならないのだから――
孝宏は本音の部分を心の中だけに押しとどめ、最後に部屋をぐるりと見渡し、動かないエスカレーターを下りて行った。
カダンは一階にいた。胡坐をかいて座っている。ルイも一緒だ。
「ルイ……」
孝宏の小さな呟きは意外にも室内に響いた。バツが悪そうに振り返ったルイがあまりにもルイらしい。
孝宏とマリーを見つけるとカダンがスクッと立ち上がった。
「目が覚めたんだね」
孝宏たちが眠ってしまった後、カダンは一人ではどうすることもできず、まずはルイを呼び戻したのだが、彼は例の怪物の麓で救助活動をしていたというのだ。
カダンが心配で飛び出したのは良いものの、山のふもとの混乱ぶりを見て見捨てるわけにはいかなかったと言うルイに対し、マリーは立派な心掛けだが連絡の一つくらいするべきだと、やや厳しめな口調で言った。
「カダンにも言われた」
ルイが軽い調子で肩を竦める。しかし孝宏はそれが面白くなかった。
命を危機に晒してまで心配したのにという思いが胸の内で巡る。もちろん孝宏たち自身も危機感が足りなかったと自覚しているが、ルイの態度の軽さが自分たちの心配をも軽いものと扱っているように思えたのだ。
「な、何……」
ルイは孝宏の恨みがましい視線に気が付き、先ほどよりは弱腰な態度を見せる。
「別に……確かに俺たちがどれだけ心配したかなんてお前には関係ないしな。マリーは真っ先に飛び出して、落ちても大丈夫なように魔法まで使ってさ、なぁ?」
マリーを引き合いに出して罪悪感を刺激すれば多少の嫌がらせになるだろう。あるいは喜ばせてしまうかもしれないが、飴と鞭作戦と考えればルイの態度も変わるかもしれない。
孝宏が考えていたのはその程度だった。しかし孝宏の思惑とは裏腹にマリーはケロッとして言い放った。
「え?別に私ルイの事はそんなに心配してないよ」
話を吹っ掛けた孝宏はもちろんカダンも表情を引きつらせ、ルイに至っては瞬き一つせず、完全に動きを止めた。
「へ?いやいやいや、違う!違うの!ルイがどうでも良いとかじゃなくて……」
マリーは慌てて、自身の発言をかき消すかのように両手を顔の前で振った。
ルイはマリーの発言の一部分だけを拾って呟いた。
「どうでも……」
「ルイが落ちるなんて考えもしなかったの。だってルイが魔法を失敗しておっこっちるわけないでしょう?それにルイの事だからちゃんと考えて出ていったんだろうしって思ったての!本当だよ?居なくても良いとかじゃなくて信頼しているの!」
「居なくても……」
マリーが口を開けば開くほどにルイは生気をなくしていく。
(なんかごめん……)
想像以上に心に傷を負っているであろう青年に向かって孝宏は心の中だけで謝った。




