夢に咲く花 89
孝宏とマリーが逃げ回っていた時、その上空には船から駆け下りてきたカダンが遥か上空で、遠くまで見渡し立ち止った。
「何だこれ……」
カダンは胸の奥が苦しくなり、一歩二歩と足を踏み出した。踏み出した足下に一個二個と半透明の薄い板が現れる。
カダンが見たのは町の至るところから上がる黒煙とその隙間から見えた町人同士の争い。
初めはまさかと思った。しかし逃げる人々と追う人々、応戦する人々が入り乱れ、まさに異様で理解しがたい光景であった。
空港のターミナルビルからも煙が上がり、今も火は広がりつつあるようだ。
落下したアノ国の物と思しき飛行船の一つは鳥の姿が剥げ、無機質な二枚の翼をもつ金属の体をむき出していた。
黒煙はもう一つの飛行船の周囲からも上がり、飛行船自体への延焼は見られないが、鎮火しなければこのまま燃え移り朽ち果てるだろう。だというのに、アノ国の兵士たちは火を消そうとするどころか飛行船の周囲に姿さえ見られない。
「一体何が……中で倒れてるとか?」
どういう状況であるか、ぼんやりと見えてきたのはある集団から逃げる孝宏とマリーを眼下に捉えてからだ。カダンは孝宏とマリーに意識を向けた。
――なあ……こういうの……アレに似てるよな―――
――アレってまさか……ゾンビ?の映画?とか?――
聞こえてきた声は息苦しそうにしながらも、会話は内容だけは随分と呑気だ。
――そう!――
――……奇遇ね、私もそう……思ってた。主人公を称賛したい気分……になってたところ――
――ああ!ホントそれ!……こんなのに立ち向……かうとか……訳分かん……ね……よな……俺は……普通に無理……だ――
――日常でゾンビに……追い回される経験……しないもんね。異世界を実感……する――
――知って……るか?…………地球にもゾンビは……いるんだぞ――
――え?映画でしょ?それとも……アニメ?――
――違うって!昆虫界、には……脳に寄生して虫を操る奴がいるんだっ……寄生されると……水辺に誘導されるとか…………生きたまま……子供の餌にされるとか……操られて自分から食べられに行くのっ……ちょっと……ゾンビっぽい、だろう?―
――何それ、気持ち悪い――
――昔、本で、読んだ……そういや…………カタツムリにも…… ――
二人の会話が記憶の片鱗に触れ、カダンは難しい顔が一層険しくなった。
ほとんど思い出せない程昔の、今よりもっとずっと幼い頃だ。
確かじいちゃんは生きてた。あの頃の記憶は黒一色の景色ばかりで、それからどこまでも沈んでいく絶望によく似た気持ちが殆ど。思い出したくなくて殆ど忘れてしまったから、そんなことしか覚えていないけど、あの頃同じような話を聞いた気がする。いや、確かに見た。
カダンはますます考え込んだ。と言ってもほんの数秒である。カダンは大きく息を吐き出すと、歯を食いしばり虚空を睨みつけずんずん下へ降りて行った。
やがて孝宏たちの頭上まで下りてくると、孝宏もマリーも近づく影に気が付いた。
カダンが助けに来てくれたかと思えば、走る孝宏たちを通り過ぎ、後方の集団に向かって手を振り上げた。
その時カダンは間違いなく彼らに何かをするつもりだったに違いない。鋭く光る眼光は感情を映さず冷酷に兵士たちを捉えていたのにも関わらず、結局腕が降り下ろされる事はなかった。振りかぶったままの態勢で、カダンが漏らした絶望が滲む声は、孝宏たちの耳にもしっかり届いていた。
「どうした!?」
「何が……あったの?」
これ以上状況が悪化するのは勘弁してほしい。カダンが何と返答するのか怖い。二人の本音はそんなところだ。
今以上に状況を悪化させる要因とは何か、考えるだけで恐ろしかったが、走りながらも意識は後方に向けカダンが何と答えるのか待っている。しかしカダンは答えなかった。
「わっ」
孝宏は突然背後から抱き上げられ驚いて声を上げた。途端に重力が弱くなり、体がフワリと浮く。海の中に潜っている時と似ているかもしれない。とっさに空をかき分け掴まる所を探しかけるが、自身を抱える体温に気が付き横を見た。
どういう魔術なのか、カダンは片腕に孝宏を、もう片腕にはマリーを抱え飛んでいた。腕力だけで抱きかかえているわけではなさそうだ。
カダンが手を離した途端に落ちてしまいそうで、孝宏は身を固くし乾いた目が痛みきつく瞑った。全身に浴びる風はカダンが速度を増すごとに圧も増す。目を開くこともできず、ようやく風がやんだと思った時には、どこかの建物の中だった。狭く奥に扉が一つと上へ延びる階段があり、随分と背が高い建物だ。
飛行場の煙が上がる建物からから少し離れた場所にそれよりも高い塔が立っていた。煙が上がるどの現場とも距離があり、燃えていないどころか煙に巻かれてもいない。
カダンは開錠の魔術で扉を開くと、その塔に逃げ込んだ。三人が塔に入ったとたん扉がバタンと大きな音を立てて閉まり、中からは確認できないが、薄い光の壁が塔全体を覆った。それは周囲の景色を反射し写し、遠目から塔を隠してしまった。