夢に咲く花 88
孝宏たちが乗り込んだ飛行船が飛び立ったすぐ後、ヘルメルや保護した村人を乗せたマルコオイッドリの飛行船は、先の飛行船とは逆方向に飛び立った。山の如き化け物はその巨体に見合わず素早く反応し、自らの体内に溜めてあった塊を吐き出した。その俊敏さに誰もが慄き、しかしその直後、愕然とした。誰も乗っていないはずの飛行船が火を噴き、それどころか塊の軌道を逸らしたのだ。
もしもあの飛行船を盾として使っていれば、ヘルメルたちを乗せたこの飛行船は、塊の直撃を受けていたかもしれない。
コオユイは落ち着いた、しかし厳しい様子で、飛行船に誰が乗っているのか確認するよう指示を出しつつも、視線は内部から噴出した火により瞬く間に崩れ落ちていく飛行船から逸らせずにいた。
凄まじい量の魔力の放出に、数日前の蝶乱舞が思い出された。火が噴出した直後、カダンが飛び降りたと報告を受けた時もやはりと思った。
もう一つの飛行船が付いて来ておらず、これで本部から重要案件に指定された人物を全員置いて来てしまったことになる。
だが今更引き返せない。最重要案件だけでも国に持ち帰らなければならない。マルコォイドリはぐんぐん速度を上げいった。
その頃、孝宏とマリーはひとしきり生還出来た喜びを味わい尽くした後だった。冷静さを取り戻すにつれ、気まずさが増し、互いに距離感を図りながら体を離した。まともに相手の顔を見れず、視線を落とし、あるいは右に逸らした。
その時マリーは燃え広がる炎の向こうに人影を見つけた。しかしそれが人だと認識する前に、影の方向からこちらに何かが飛んできた。白銀に光る刀身の刃先が向けられ迫りくるのを、非凡な動体視力で捉えたマリーは、何も考えず孝宏を地面に押し倒した。
「で!!」
孝宏は頭部への衝突は辛うじで堪えたものの、背中と肘を打ち付け息を詰まらせた。ヘルメルの時と似たような状況にも関わらず文句をつけなかったのは、マリーに倒されながら彼女の背中をかすめて飛んでいく何かを見たからだ。
「ごめん、大丈夫?」
マリーが気遣いながら体を起こした。
突然飛んできたそれが何かは見えなかったが、孝宏は飛行船の残骸に剣が刺さっているのを見て、分かりやすく顔を引きつらせた。そして先に立ち上がったマリーの背中に、血が滲んでいるのを見て、あんぐりと口を開いた。マリーが庇ってくれなければ剣が貫いていたはずの胴体を弄る。
「いや、むしろありがとう。背中血が出ている。早く手当てしないと……」
「別に良いよ」
強がりでもなんでもなく、マリーはさほど痛みを感じていなかった。ジンジンと熱く脈打つ感覚はあるものの、痛みとなると薄皮一枚切れただけのように感じていた。
マリーとしては自身の怪我よりも、なぜこんなものが投げられてくるのか詳しく知りたい気持ちの方が強かった。
しかし突然こんな物を投げつけてくる輩だ。二投目も早いだろうとマリーが身構えた、次の瞬間だった。燃え盛る炎の壁から大勢の兵士たちが飛び出してきた。服に燃え移った炎を物ともせず二人に襲い掛かった。
「兵士?何で?」
襲い掛かってきた兵士たちはアノ国の兵士の軍服を着ており、中には見覚えのある人物、飛行船の中で追いかけてきた彼らもいる。
兵士たちが孝宏たちに敵意を持っているのは明らかで、このまま大人しくしていれば彼らの握る拳がこの身目掛けて飛んでくるのは間違いない。逃げるだけの時間的余裕も、大勢から身を守る術も持ち合わせていない孝宏は全身を強張らせた。
「逃げる!」
それでもマリーは孝宏の手を引き、立たせ、壊れた飛行船の向こう側へ走り出した。ほぼ同時に大勢の足音と何が落ちる音が背後から聞こえてくる。
「これ何!?」
「知らない!でも絶対逃げた方が良い!」
何が起こっているのか、知っていればおそらくはこんな風に逃げ回ってはいなかっただろう。もっと的確な行動を選択できたはずだ。
孝宏は逃げながらちらりと後ろを振り返った。背後から兵士たちが迫って来ている。その数十名以上はいるだろうか。彼らは手に持つあらぬる物を孝宏たちに向かって投げつけていた。幸いなのか、兵士たちの足が思っていたより遅く徐々に距離が開いてきているのと、走りながらだとふんばりが利かないためか飛距離は出ていない。片手に納まる投げやすい物ならまだしも、帽子など比較的軽い物は投げてもさほど飛ばずにポトリと落ちた。にも関わらず兵士たちは懲りずに服や靴、剣の鞘なと、アリとあらゆる投げ続けていた。
「ふざけてる?」
冗談で刃物を投げ付けないだろうが、今の兵士たちの行動は、実に滑稽で普段の彼らを、多少なりとも知っている孝宏から見れば、違和感しか感じらなかった。
マリーも後ろを見て困惑して言った。
「いやぁ……まさか。でもこれが冗談だったら私暴れるかもしれない」
二人は燃える残骸を迂回し、飛行場内の遠くに見える建物へと走った。
アノ国の兵士に追いかけれているのだから、もう一つの飛行船に逃げ込もうという発想はなかった。アノ国の兵士が危険なのであれば、カノ国の飛行場へ逃げようという単純な考えからだが、残念なことに二人の判断は半分当たっており、半分は外れていた。しかも最悪なのは、予想が当たっている点においても外れている点においても、二人にとっては地獄でしかないという事だ。
二人が目指す先に安全などありはしないのだ。
飛行場の建物近くまで走ってくると、作業着を着た人を見つけた。建物の入り口まではまだ距離があるが助けてくれる、または助けを呼んでくれるかもしれない。二人の表情は綻び、期待して声を上げた。
「おーい!助けてくれ!」
「お願い追われているの!助けて!」
「………」
その人はぼんやりとしているようだったが、孝宏たちの存在に気が付くと、孝宏たちに向かって走り出した。
作業着を着た女が見事なカラフルな翼を広げ、それは恐ろしいスピードで迫ってくる。ぐっと握る拳が逞しく、普通なら助けてくれるのかもと期待を膨らませるところだが、孝宏もマリーも真顔で立ち止まった。
作業服の女の鋭い眼光は背後でなく、明らかに孝宏たちに定められている。それだけに留まらず、奥の建物からもワラワラと、明らかに普通でない人達が大勢出てくる。ぼんやりと、あるいは雄たけびを上げて。何もない虚空を弄りながら進む者もいる。
今度こそ覚悟を決める時かもしれない、マリーの全身の筋肉が引き締まった。
「ね、あれやってよ。森の中で盗賊に襲われた時見たいに火でパパッと焼いて驚かして……」
「バカを言うな!」
孝宏は大声で怒鳴った。孝宏もマリーが≪そんな意味≫で言っていないことぐらいわかっていたが、ささくれ立った心の棘に触れた発言は、どうしても笑ってやり過ごすことなどできなかったのだ。
他者を圧倒できる力に憧れたこともあった。それだけで偉くなったような、遥か高みへ昇ったような気になるのだろうと、優越感に浸りどれだけ心地よいだろうと、想像したことは一度や二度じゃない。
しかし強大な力がどれだけ恐ろしい物か身を持って知った今は、降って湧いた力がただ有り難いだけの物じゃないと理解できる。制御できないものほど厄介で面倒なことない、孝宏は自分が一体何に成っていくんだろうと、恐ろしかった。
「死んだら……どうすんだよ……」
マリーがハッとして孝宏を見た。声に孕む怒気に反して孝宏は今にも泣きそうで辛そうで、その横顔が自分と重なり、マリーは自分が言ってしまった言葉を後悔した。今しがたそういう状況にならないよう神に祈ったばかりだというのにだ。
孝宏はそれ以上何も言わず走り出した。確かにこんなところでぼやぼやしている場合でなかったとマリーも後を追うのだが、マリーは孝宏より足が速かった。ぐんぐん速度を上げ、あっという間に孝宏の隣に並んだ。
「ごめん!私無神経なこと言った!」
追いつくなり、マリーが孝宏の耳にしっかり届くように声を張り上げた。マリーはまっすぐ前を見て、ちらりとも孝宏を見ようともしない。孝宏は小さく頷いた。
「…………うん。俺の方も大声出してごめん。でも制御できないかもしれないし、正直怖いんだ。だから最後の手段ってことで良い?」
その時こそ、いよいよ覚悟を決める時だろう。人を殺める覚悟を。示し合わせるわけでもなく、孝宏もマリーも同じことを考えた。
走りながら耳をかすめていく風の音が煩い。マリーはにっこり笑って頷いた。




