夢に咲く花 87
自分たちが乗ってきた飛行船の構造はある程度把握している。操舵室は一番上にあると思いきや、階段を上り、2階の突き当りだ。
「あれ?」
しかし、孝宏は記憶の通りに向かいドアを開けたはずが、そこは操舵室ではなかった。広い部屋にテーブルとイス。そしてドアの横にはスイッチが一つ。見覚えのある部屋だ。
「操舵室は逆よ」
「あぁ……やっぱり間違えたのか」
「もしかして本当に誰もいないんじゃないの?いくつかの部屋覗いたけど誰もいないし、大声で呼んでも誰も出て来やしない。さすがに変じゃない?」
「じゃあどうやって飛んでんだよ」
「そこは 魔法で何とでもなるんじゃ……て言うか、そもそも飛んでないとかは?」
「とかは?ってなんだよ。提案じゃん、それ。あ、そうだ。なあマリー、ドアの横のスイッチ押してみて」
通常であれば、写す景色を選択するのだが、この時は偶然にも外の景色を写すよう設定されていた。マリーは言われた通りスイッチを押した。すると瞬時に壁が消え、三百六十度外の景色へ切り替わった。床も天井も余すことなくだ。
マリーはもちろん、どうなるかわかっていた孝宏でさえ足がすくんで動けない。
「ひっ!」
マリーは落ちまいと壁にすがり、とっさにスイッチを押した。景色が消え元の部屋へと戻るが、足の震えはそう簡単には止まってくれそうにない。
心臓がバクバク胸を打ち鳴らす。
「あんたね!こうなるなら始めから言ってよ!足震えちゃって立てないじゃない!」
「ごめんて……俺もうっかりしてた。でも飛んでたな」
「でも飛んでたな、じゃない!……まあ、いいわ。あれは外の景色なのね?もう一度つけようか」
「えぇ……」
マリーは椅子を一脚引き寄せると、その上に乗り、もう一度スイッチを押した。孝宏が慌てて机に上がるとほぼ同時に、外の景色へと切り替わった。
一度は驚いてスイッチを切ったのにもかかわらず、すぐに入れ直すあたり、孝宏には信じられない程の精神力だ。
(切り替えはえぇし、きっと心臓が鋼でできてるぅ)
飛行船はやはり空を飛んでいた。周囲に別の機体はない。牽引されているでもなく、飛行船は自力で飛んでいるようだった。問題は右手に見える、あの巨大な蝸牛だ。このまま旋回すれば、いずれは蝸牛にぶつかるかもしれない、そういった飛び方だ。もしもこの飛行船が蝸牛を攻撃するべく飛び立ったというのなら、乗り込んでいる自身らの運命は決まったも同然だ。
孝宏は一気に体温が冷めていくのを感じた。
やり方が解らなくとも、操舵室へ急ぐべきではないか。マリーにそう提言し、スイッチを切るよう言おうとした。しかし、飛行船は謀ったかのように、急激に進路を左に変え、蝸牛に背を向けた。町の上空を横切り空港へと向かっている。
(良かった。あれと戦うんじゃないんだな)
命が繋がった、孝宏とマリーが胸を撫でおろした、その時だった。
蝸牛の表面がうねり、頭がバックリ割れた。不思議なことに孝宏たちから、割れた頭の中がよく見えるのだ。
「え?は?は?は?えぇ!?え?え?」
旋回しつつ背を向け飛ぶ飛行船を、蝸牛の二本の目がしっかり捉えている。蝸牛がよくよく狙いを定めているのが分かる。
「ま、まさか、これを打ち落とそうってんじゃないよな?」
「ままままさか。だって私たち乗ってるのよ?」
誰が乗ってようと関係ない、という突っ込みはできなかった。
口では否定したが、蝸牛は飛行船を打ち落とす気に違いなかった。無差別に撃っているように見えてその実、そこには思考が存在しているかのようだ。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい……)
孝宏は両掌を蝸牛に向けた。頭の中は全く冷静でなかった。それが通用するかどうかは、まったく考えずに、できることをしなければならないと、とっさに構えたのだ。
(えっと妖精の召喚はどうするんだけ?確か名前呼んで来いっていうんだっけか?)
「えとえとえと凶鳥の兆し来てくれ!」
孝宏は勢いに任せて言った。しかし何も起こらない。
(違う!?あっ俺の名前か)
「俺は孝宏!凶鳥の兆し来て助けてくれ!」
やはり何も起こらない。
(今俺すげぇハズいことしたのに、何も起こらないとかウケないんだけど?)
例え人工的に作られ寄生されているしても、凶鳥の兆しは自立している。それならば精霊召還の方法が使えるかもしれないと考えたが、そう簡単にはいかないようだ。
精霊と何が違うのか、自分は今までどうしていたのか。状況が切羽詰まるほど、混乱し解らなくなっていく。祈ったり命令したり、必死に思いつく限りの方法を試したが、腹の中の凶鳥の兆しはうんともすんとも言わない。静まり返ったままだ。
蝸牛の中を塊がせり上がってくる。
「これまでと何が違うんだよ!同じだろう!?」
――ポワァ……――
マリーが呪文を紡ぎ、光が孝宏を包んだ。次第に強くなっていく光は温かく、孝宏はいくらか落ち着きを取り戻した。
――ドオオオォォォゥゥゥ――
蝸牛は溶岩を纏った塊を、孝宏たちが乗る飛行船目掛け打ち出した。走馬灯のように脳裏を記憶が一気に巡り、紫電の閃きが孝宏を貫いた。
「俺はお前の宿主だ!兆しの鳥よ!頼むから助けてくれ!アレを防げるだけの火力が欲しい!」
死の際に導き出された答えは、ついに孝宏に火をもたらした。
火はトグロを巻き、障害物を一瞬にして灰にしながら目標にまっすぐ向かって飛んだ。そして砕くのでもなく、押し返すのでもなく、風を起こし僅かに上へと反らした。塊は飛行船の上部を掠めもっと遠くへ落ちる。
「やった?」
孝宏はバクバクする心臓を押さえた。異世界に来てからこんな事ばかりだ。まさに寿命が縮む思いだ。とはいえ、正確に状況を述べるなら、ここは寿命が伸びたと表現すべきだろう。
確かに塊から逃れることはできた。しかしそのかわり、凶鳥の兆しによって破壊された飛行船は鳥の姿を失いつつ下へ下へと落ちている。原因が変わっただけで、孝宏たちの身は依然窮地にある。
孝宏の体がフワリと浮いた。落下の衝撃で剥がれていく飛行船の残骸を避けながら、孝宏は何かに捕まろうと夢中で手を伸ばした。だが、机も椅子も空中で頼りなさげに浮かんでいるばかりだ。
「タカヒロ!ここ!」
マリーが手を伸ばし、孝宏も必死にマリーの手を取った。その時すでに地面まで百メートルを切っていただろう。目前に迫った地面は間違いなく、二人を殺しうる凶器だ。二人は手を固く握りあったまま地面に激突した。
地面に衝突した飛行船に白鳥の面影はなく、木片や鈍い銀色の残骸が残るのみだ。飛行船の原型すら留めていない。
散乱する瓦礫がガラリと音を立てて崩れ、瓦礫の下から孝宏とマリーが現れた。全身擦り傷だらけだが、二人とも手は握り合ったまま、しっかりと自身の二本足で立ちあがった。
「マリー!」
「タカヒロ!」
孝宏とマリーは空いていたもう片方の手もしっかりと握り合い、互いの無事を確かめ合うように視線を上下させる。やがて二人の視線がぶつかると、孝宏が興奮気味に言った。
「マリー!お前スゲーよ!ちょっとうぜー奴とか思ってたけど、マジすげぇ!やべぇ!俺たち助かった!」
「何よ!ウザいって!でも私すごい!本当にすごい!できないかと思った!」
「できたじゃねぇか!」
「ホントできたよぉぉ……良かったよぉぉ……でもタカヒロのおかげだよぉぉ……初めは火で何をするのかと思ったけど凄かったぁぁありがとうぉぉぉぉ……」
マリーは感極まり涙を流し、孝宏も潤んだ瞳で大きく何度も頷いた。
孝宏が塊をそらしてできた僅かな時間は、マリーが魔術を、組み立て展開するのにギリギリ間に合った。
死を目前にして、マリーの集中力は極限まで高まった。 故に、恐怖に冷静さを食われぬまま魔術を組み立てることができたのだ。一瞬でも死の恐怖に呑まれていれば叶わなかったであろう生きた心地を、二人は周囲の異変に気が付くまで、しばらく抱き合って味わっていた。




