夢に咲く花 69
孝宏は足をそろえ手を体の横にぴんと伸ばし、そして日本にいた時と同じように頭を下げた。十年以上続けた習い事の賜物だ。それを見たナキイは目を見張り、何かを言いたげに口が開く。
「ヒタルさんのおかげで少し気が楽になりました。ありがとうございます」
孝宏が頭を上げた時、ナキイは孝宏の知るナキイだった。孝宏も何の疑いも持たず素直に頷いた。
「ナキイだ。そっちは慣れてないから、ナキイと読んでくれた方が嬉しい。その代わり……じゃないが俺もタカヒロと呼んでも良いか?」
「もちろんです。ナキイさん」
ナキイが笑顔で手を差し出し、孝宏も照れくささを感じつつおずおず手を握った。
ナキイは若いが双子よりも年上だろうし、孝宏と比べると歳の差は決して小さくない。孝宏は歳の離れた友人を持つのは初めてで、どう接するべきか少しだけ悩ましいのが問題だ。
ただ、笑顔で握った手を上下に振るナキイを見ていると、案外難しいことを考えなくても良いように感じた。
「あっつ」
突然掌に痛みが走り、孝宏はナキイの手を払った。
「ぇ……」
ナキイの驚いて浅く開いた口から、小さな声が漏れた。
孝宏は慌てて謝ったが、一瞬だけナキイの目が鋭く光るのを見て言葉を失った。もしかするとこんなに優しい人を怒らせてしまったのか、孝宏は息を飲んだ。
「ごめんなさい…………今静電気っぽいものが……」
(たったこれだけの事で怒んの!?まじで!?ここでは握手がかなり重要だったりするわけ?カルチャーショック……)
「静電気?」
「はい、なんかこう……バチってしたんです。バチっと。だからバチっと……したから反射的に……失礼な………」
力説する孝宏の声が尻すぼみに小さくなっていく。徐々に萎んでいく表情が可笑しくて、ナキイは口元を隠したものの、堪えきれなかった声が漏れる。
怒られるのかと怯えていた孝宏だが、状況を理解できず真顔でナキイを見返した。頻りに瞬きを繰り返す目が彼の思考を優に語る。
ナキイが笑っているのだと気が付いても、一瞬理由が理解でず、孝宏は首を傾げた。
(え?何これ?笑ってる?何で?)
揶揄われたのだと結論に至った時、孝宏はナキイと同じように笑っていた。困惑から無意識の内に相手に合わせただけだが、ナキイは目を細め、肩を震わせた。
「いや、笑って悪かった。反応が面白くてつい、な。冬はやこれだから嫌だな。ここは寒いしもう部屋に戻ろうか」
しかし、ナキイが言い終わるな否や、船内に続くドアが、派手な音を立てて勢い良く開き、それこそ体が跳ねるように驚いた孝宏は心臓を手で抑え目を丸くした。
「ナキイ!ズルいぞ!紹介してくれる約束だったろう!?」
それは入ってきたと同時に挨拶もすっ飛ばし、大きな声で不満を口にした。
長くはないが短くもない垂れた耳。短く飾りのような尻尾を持ち、明るい茶けた緩やかにうねった短髪がよく似合う、兎人の二十台も半ば程の女の兵士だ。
孝宏はその声に聞き覚えがあった。兵士の顔をまじまじと見つめる孝宏の後ろで、ナキイが先ほどまでとは打って変わり、厳しい表情で兎人の兵士を睨みつけた。
兎人の兵士は自身のタイミングの悪さを瞬時に悟り、気まずそうに引きつった笑みを浮かべた。孝宏はそれを自分が見過ぎてしまったのだと勘違いしさっと目を反らした。
「私はイユセ・ナツト。突然だが私のことを覚えているか?」
兵士、ナツトはここまで来て引き返すの不自然から開き直って明るく孝宏の手を握った。
(声なら覚えてる?声、顔は知らない……声だけ……)
出そうで出ない答えが出口を求めて頭の中をぐるぐる回る。孝宏は新しい記憶が順に思い出していった。
「あ!」
孝宏は手を打った。声だけしか知らない人。確かにそんな人物がいた。
あの時は暗かったので、同じ隊にいた兵士は皆同じようなものだが、直に声を交わした人物は少ない。カダンと間違えて声をかけた人ともう一人だけだ。もちろん声は覚えている。
「あの時のゴリラの人だ!」
兎人相手にゴリラと何事だ。知らない者であればそう思っただろう。ナキイはそいつは兎だなどと的外れなことを言っている。
孝宏がキイの顔を覚えていなかったのは、蝶の羽を生やしたゴリラの印象が強烈で目をそれに奪われていたからだ。辛うじて声を覚えていたのもゴリラの付属のような扱い故だ。
一方ナツトは、孝宏が自分を覚えていた事に嬉しく思っていた。しかしそれ以上に孝宏が精霊の姿を言い当てた事に驚いていた。
「君はあの精霊が見えるのか?」
先程とは一変して低く抑揚のない声色。孝宏も伺うように短く肯定した。
(なるほど、だからナキイさんはさっき兎と言ったのか)
ナツトの言い様から察するに精霊を見れる者は少ないのだ。
孝宏は六眼を持っているので、と答えた。
六眼は魔力を見る能力故に精霊くらい見えるだろうと考えたのだが、ナツトは首を横に振った。
「いいや、六眼で精霊までは見えないはずだ。それならば精霊を使役する者はもっと多くていいはずだからね」
精霊を使役するのだから、召喚士とか精霊使いなどいったものなろうか。ゲームや漫画の中では人気の設定も、現実では少数派。意外だ。
「精霊使いって少ないんですか?」
「精霊使いっていうほどのものでもないけどさ。そもそも見える人が少ないのと、精霊っていうのはとても気まぐれだから契約を結びにくいんだ。私の精霊も家系的なもので代々継承されてきた特別な精霊だから」
「代々継承……なんか格好いいです」
「そうか?精霊に興味があるなら色々教えてあげよう」
ナツトは得意げに精霊のことについて語り始めた。




