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夢に咲く花 66

 ヘルメルとマリーの面会、決まった後は早かった。


 ヘルメルは孝宏たちを臨時雇用し自分の同行者として登録した。マリーとゆっくり話す時間が必要とのことで、カノ国へは2日後の出発だ。一般的に見れば随分急な命令であっても、慌てる者はなく、淡々と準備が進んでいった。


 ソコトラ村からカノ国にある目的の町までは、徒歩であれば一日でたどり着ける距離にあるが、アノ国は大陸を三分する国の一つ、縦に長く広大な面積を有する国だ。現在、滞在の町からソコトラ村まで陸路で、無理のない日程を組めば四日から五日かかる。しかし飛行船を使えば、カノ国の村人が保護されている町まで六時間もあれば着くだろう。


 明後日には町を離れ、カノ国に出立する。孝宏はその時になりようやく飛行船の外に出た。数日ぶりに踏む地面の感触に、引きこもっていた期間の長さを実感させられる。


 今日はまた灰色の雲が空を覆う、実に冬らしい日だ。孝宏は贈り物のマフラーを首に巻いた。

 これまでなくとも耐えられていたのだからと思っていたが、あるだけでこれほど温かいのかと、ルイに言わせればごく当然の感想を抱いた。


「では行きましょうか」


 孝宏とルイ、二人が出てきた所で、ナキイが言った。護衛と案内役として、彼とあともう一人、今日は一日孝宏たちに同行する。二人ともが襟元がモコモコした暖かそうなコートを着込んでいる。


「よろしくお願いします」


 孝宏は上着のポケットから手を出し、軽く頭を下げた。


 今日はどうしても行きたい場所があり、孝宏がルイを誘った。途中お土産も買っていく。


 道中、すでに営業を始めている店の方が多いことに孝宏は驚いたが、ルイたちには理解されなかった。寧ろ翌日にはいくつかの店は営業を再開していたと聞き、孝宏の方が驚いた。

 ただそれは、商人根性というだけではなく、襲撃が狭い範囲で起きたことと、通常、魔術を使用すれば短時間で壊れた建物道路など修復できるからだ。

 すっかり感心する孝宏にルイが満足そうに頷くと、孝宏は自分がやったわけでもないだろうにと返した。

 孝宏の事情を知らない者には、随分世間知らずに見えた事だろう。微笑ましく笑みがこぼれるナキイに対し、もう一人の兵士真顔で呆れた様に首をやや傾げた。


 いつも通りに振舞っているがその実、孝宏はあの日以来の町に、内心は酷く落ち着かなかった。

 蜘蛛が物陰に隠れているのではないか。また見えない蜘蛛の巣が残っていて襲ってくるのではないか、孝宏は無意識の内に虫にしては巨大な化け物たちを探した。


 この調子で最後まで身が持つのか、自身でも心配になったが、しかし、経験は孝宏を知らずの内に強くしていた。一度は乗り切ったという自信が、徐々にではあるが足取りを軽くさせて行った。

 飛行場を出発してから約一時間後、ようやく目的地に着くことができた。

 古いレンガ造りの街並みの一角にある、こじんまりとした病院。中は白を基調とした清潔感あふれるレイアウト。町を離れると決まった時真っ先にここを思い出した。礼も詫びもなく、町を去ることなどできなかった。


「ここだ……ありがとうございます」


 目的地について孝宏はまずナキイたちに礼を述べた。この色々と準備に忙しい時に、自分のわがままに付き合わせた二人に対し、内心申し訳なく思っていた。

 少しでも時間が惜しいだろう。孝宏はできるだけ早く済ますつもりで中に入った。


「今日は誰もいないや」


 さほど広くないロビーがガランとしている。病院の扉は開いたというのに、順番待ちをする患者の姿も、受付の少年の姿もない。

 静かな病院にあの日を思い出し孝宏は身震いした。ルイもまたベッドに横たわる孝宏を思い出し頭を乱暴に掻いた。何を考えてるんだと。


「スミマセーン、誰かいませんか?」


 試しにと、孝宏は受け付けの中を覗き込んだが、やはり誰もいなかった。受付横のドアを開くと、廊下は暗くシンと静まり返っている。


「待って下さい。私が先に行きます」


 ナキイでない方の兵士が。廊下を覗く孝宏を引き留めた。


「……はい」


 頼まれたって入らない、そんな事をなから思いながら孝宏は後ろに下がった。

 孝宏は双子やカダンに比べると臆病に見えるかもしれない。しかし彼らに比べ聴力が劣る分、ルイが気付けることも孝宏には存在しないも同然で、人によるが、解らないとは恐怖なのだ。暗く物音一つしない廊下は、嫌な想像だけが膨らんでいく。


 ナキイが孝宏とルイの二人をガードするように後ろに立った。兵士同士視線を交わし頷き合うと、一人が廊下の奥に入って行った。

 ピリっとした空気に、さしもの孝宏も様子がおかしいことに気が付いた。


(留守じゃないの?何かあんの?)


 例えば火事場泥棒なんで言葉がある。火事や地震で家が留守になるとそれを狙った泥棒が表れるのは、異世界とて事情は同じだ。運悪く強盗と鉢合わせ殺されてしまう不幸な事件だってごまんとある。


(いや……でもあの先生大きい人だったし……熊だったし……)


 アレに勝てる人間はいない。少なくと地球ならだが。

 孝宏が固唾をのんで状況を見守っていると、突然廊下の左奥にドアが現れた。実際は初めからそこに在ったのだが、暗闇に目が慣れない孝宏には、現れた様に感じたのだ。中から出てきたのは赤い髪の助手の女だった。


「何ですか、あなた方は。今病院はしておりませんので、他をお願いします」


 ドアから漏れる光で彼女の表情は見えないが、声に覇気はなく疲れている。孝宏は緊張した面持ちで口を開いた。手土産を差し出すように持ち上げる。


「と、突然すみません!俺たち治療のお礼を言いたくて来ました!……先生はいますか?」


 孝宏に気が付くと助手の女は表情を歪めた。何せあの日化物の襲来ともにやってきた患者だ。助手の女も孝宏の顔をよく覚えていた。助手の女はやや間をあけ、重々しく口を開いた。


「先生は居りません。死にましたから」


 孝宏は体温がサッと下がるのを感じた。

 死んだと言われ、孝宏がようやく絞り出した言葉は≪どうして≫だった。人間許容しがたい事柄に直面すると、思考を停止させるのだと実感する。


「決まってるじゃないですか。あの忌々しい蜘蛛に喰われたんですよ!」


 涙まじりに語尾を荒げる助手の女に、孝宏は言葉を失った。

 記憶にある彼女とはあまりにも違う。治療を受けたあの一日だけしか知らないのだから、そもそも彼女を知っていると言うほど知らないのだが、とにかく孝宏は驚いた。助手の女が声を荒げたことにも、医師が蜘蛛に喰われた事にも。

 親しくはないとはいえ、自分の知っている人物が死んだとは信じがたく、この後に及んでも本当に死んだのかと聞いてしまいそうになる。


(だって、この前まで普通に生きてたのに……死ぬなんて……思いもしなかった)


 孝宏に限らず誰だってそうだっただろう。おそらくは、助手の女も、医者本人でさえも。


「今日はこの間の治療代と、それからお礼を言いに……」


 手土産を持つ手が力なく垂れ下がる。


(これ、無駄になったな……)



 孝宏だけでなく皆戸惑っていた。

 ナキイなどは事前に確認を怠った自分の怠慢さに憤り、もう一人の兵士は助手の側に立っている分彼女の様子をつぶさに感じられ戸惑いも大きいかった。

 助手の女が一度咳払いをした。凛とした声が暗い廊下に静かに響く。


「お金はいりません。診察代は軍の方から頂いてますし……それに………」


 そんな話は聞いていない。孝宏がルイをチラリと見ると、ルイも小さく首を横に振った。


「それに、お礼もいりません。何せあの時の先生は最低でした。お礼を頂く価値もありません」


 あの日最低と言わしめる何かがあったのだろうが、少なくとも、孝宏には二人が仲違いしているようには思えなかった。なぜなら助手の女の声は苦しそうで泣きそうで、表情が見えない分声に感情がより濃く現れ、孝宏には医者を蔑むのが本意でないように聞こえた。

 とは言え、孝宏はどう返すべきか迷った。傷心中の彼女に詳細を尋ねるべきか、それともそのまま病院を去るべきなのか。


「それはどう言う意味でしょうか?」


 孝宏の代わりにナキイが助手の女に尋ねた。助手の女は震える息を吐ききり答えた。


「あの時他の病院から連絡があったんです」


 助手の女は当時何があったのか話し始めた。


 他の病院でも同じような患者が、テア山の雫を使ってもなお、成すすべなく亡くなり、それどころか治療に当たった医者らが体調不良を訴え始めたという。

 

 前々から噂はあったのだ。治療困難な新しい病が発見されたらしいと。しかし、正式な発表はなく、いつまでたっても噂の域を出なかった。医師も助手の女も信じてはいなかったが、見たこともない獣に襲われたという患者が駆け込んできた時疑惑が確信に代わり、コレーが化け物の大群に襲われたことを加えれば、公表を控えた政府への不信感も増していった。決して助けられない患者を幾人も目の当たりにし、彼女は医師としての意義を見失っていったのだ。巨大蜘蛛に町が襲われたというのに、どこか他人事でいたのも、色々と諦めてしまっていたのかもしれない。


「あなたも助からないも知って、まだやれることはあったはずなのに止めてしまったんです」


 助からないのならせめて最後の時間を身内で過ごさせて上げたい。それは医師の優しさから来た配慮だったのかもしれないが、結局は途中で諦め、最後まで手段を尽くさなかったということだ。しかし医者の予想を覆しルイは助かった。予兆はあったのだ。注意深く見れば、以前の医者ならば気が付いたであろう、これまでの患者との違いを、彼女は諦めから見逃した。

 助手の女は孝宏が医師に投げかけた言葉も、言われて当然たと思っていた。


 ルイが助かり、その時、医師が何を思ったのかは分からないが、巨大蜘蛛から逃げたものの毒に侵され、シャッターを叩く者がいればどんな場合も開けて受け入れた。蜘蛛が迫ってくるその時でさえも。


「まるで、以前の先生に戻ったみたいでした」


 もしかすると今度こそは最後まで向き合う覚悟だったのかもしれない。


「それで、シャッターの隙間から入ってきたあの蜘蛛から患者を守るために、先生は一人で犠牲になって……私は止めたんです。でも対抗できるとしたら私しかいないからって…………」


「そうか、あの人は熊人だったな。大型の獣人は珍しいから……」


 ルイがポツリと溢した。


(あの時、本当にルイを見捨てたのか)


 孝宏は本当なら自身の態度が失礼だったと謝るつもりでいた。

 今の話にショックを受けたのは間違いないが、助からないかもしれない患者を守るために命をかけた医師に、あの日と同じような感情は湧き上がらない。


「本当なら来週には院を止めて、先生は田舎に戻ることになっていたんです。医師を辞めるつもりで、でも私はそんな先生が許せなくて、一緒に行くとは言えませんでした。でも先生が死んでしまって…………こんなことなら元に戻って欲しくなかった」


 助手の女は泣き崩れてしまった。


 田舎に帰ってしまえば二度と会う機会はなく、どこで何をしてようと、それこそ死んだとしても知らない間柄になっていただろうが、相手が無事に暮らしていると思えるか否かは大きな違いだ。少なくとも目の前で蜘蛛に食われるのを見るのよりは、いくらも幸せだっただろう。

 結局孝宏たちはそれ以上何をするでなく帰路についた。





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