夢に咲く花 60
それから、孝宏はいろいろ考えている内に、いつのまにか眠ってしまっていた。
目を覚ました時にはまた夜になっており、ベッドにはルイ、カウルが寝ている。マリーは別室が用意されいるのできっとそちらで寝ているだろう。
(カダンがいない)
探しに行くべきか、いや、トイレにでも行っているのかもしれない。一度はそう思い孝宏は寝なおそうとした。しかし、一度目が覚めてしまったのと汗で肌がべた付き、不快感でとても眠れそうになかった。そこでマリーが部屋についている風呂はすごいと言っていたのを思い出し、孝宏は真夜中だが風呂に入ることにした。
着替えを持って浴室へと続く扉を開く。当然だが静かで、蝶番が擦れる音が嫌に大きく響く。孝宏はゆっくりとドアノブを回したまま扉を閉めた。
脱衣所の電気は消えていた。しかし風呂へと続くすりガラスのドアの向こうからわずかに明かりが漏れ、闇に慣れた目で周囲が判断できる程度には明るい。その為、孝宏も電気を付けようとしなかった。
(カダンか?)
孝宏は耳を澄ましたが、水の音一つしない。静寂を壊すのがはばかれて孝宏は静かに慎重に服を脱ぎ備え付けの籠へ入れたが、着替えは床の上にタオルと共に無造作に頬り投げた。
取っ手を探すが面倒で掌で押すようにして強引に引き戸を開くと、想像以上の世界が文字通り広がっていた。
「……っそだろ……」
浴室は部屋ではなかった。
地面があり壁がない。頭上は雲一つない星空が、足元を大きな白い川が流れ、対岸に広がる町並みが望めるのは川がぼんやりと光っているからだ。
「明かりの正体はこれか……」
「人が入ってる時に、突然入ってくるのも地球では普通か?」
「ぅわっ!?」
孝宏は文字通り跳ね上がり心臓を抑えた。どこから声がしたのかときょきょろ辺りを見渡していると、抑えた笑い声が聞こえてきた。良く目を凝らしてみると、川の中の大きな岩にカダンがもたれ掛かっていた。
「驚かすなよ。心臓が飛び出るかと思った……」
「驚かすなんてまさか。先に入っていたのは俺なんだから、文句を言うのは筋違いじゃないか?」
「うっ……確かにそうだ。ゴメン」
「もう出るところだからいいよ」
そう言いながらも目を閉じて岩にもたれかかるカダン。気持ち良さそうだ。
「なあ、これどうやって風呂入の?水浴びする以外思いつかない」
「それであってるよ。この入浴剤は頭から足先まで綺麗に汚れを落としてくれし、水で洗い流す必要もない。お湯は常に循環して、綺麗してるから汚れも気にしなくていい」
「入浴剤?この川がか!?」
カダンはまた笑った。
この国では割と一般的な風呂の楽しみ方なのだが、カダンたちの家はとても古くそういった設備はなかった。ルイが少しずつ改装していったのだが、必要のない物は設置しなかったことあり、孝宏が驚くのも当然なのだが、カダンは予想通りの反応が楽しかったのだ。
「川も幻覚。少しずつ深くなっていて、この岩の辺りが壁になっているから流される心配もないよ」
初めて見た子供は大体同じ反応をする。カダンには孝宏が何を考えているのか想像に容易かった。
(笑われた……くそっはずい)
孝宏はそろりと足を進めた。川底の感触は固く平らで、滑らないようざらざらしているが砂利や苔の感触は一切ない。カダンの言うとおり壁もある。孝宏は壁を伝い奥まで進んだ。見た目は立派な川なのに、ここは確かに風呂場だ。
「な、なあ、上がる前に一つ聞いても良いか?」
風呂からあがろうと立ち上がったカダンを、孝宏が呼び止めると、カダンは面倒そうにため息を吐き、また同じ場所に座り直した。
「別に良いよ。何?」
(出切るだけ自然に、不自然にならないような尋ね方で……)
「カダンたちって強いよな。どうやったらあんなに強くなれるんだ?」
「どうして急に……」
(失敗した……くそ……)
「だって皆あの蜘蛛相手にあんなに立ち回れるから……俺も憧れるというか……そいう感じ」
それは決して嘘ではない。カダンが小さく息を吐いた。
「子供の頃からそういうことばかりしてると自然に身につくんだよ。ルイとカウルの父親が元兵士で……」
カダンは目を閉じて天を仰いだ。
「……憧れたんだ。それでよく訓練をつけてもらって、あの二人とかは将来兵士になるんだって言って……」
「カダンも?」
カダンは泣きそう顔で笑った。
「あぁ。そうだよ」
酷いことを聞いた気がして孝宏は対岸の町に顔を向けた。そして視線を逸らした孝宏をガンと睨み付けるカダンに気づかず別のことを考え始めた。
なぜソコトラを含むコレ―地方が襲わたのか。なぜ一斉に襲わなければならなったのか。なぜそれでも検問など置いて行き来を制限したのか。考えれば考える程、孝宏には可笑しなことに思えた。
「そもそも敵は何だっけ?」
考えている内に漏れてしまった独り言だった。孝宏は相変わらず町を向いているが、カダンは流れで答えた。
「何って、勇者の敵は魔王でしょ?地球にはそんな決まりがあるんだよね?」
孝宏はカダンの方を向いた。
(目が輝いている?)
カダンの曇りない瞳の輝きは、魔力でもなんでもなく、純粋な興味から現れるまさに少年の目だ。地球にも魔王はいないと言ったらどんな顔をするのだろうと孝宏はふと疑問に思った。
「決まりって言うか……何と言うか……そもそもこの世界に魔王なんているのか?」
「そんな恐ろしいものはいないよ。勇者がいないのに魔王がいるはずがないじゃないか」
「じゃあ、何で魔王とか知ってるんだよ」
「もちろん夢で見たんだよ。現にほら、勇者は来たじゃないか」
(またこれだ。何度否定してもこいつらは、カダンは俺を勇者にしたいらしい。期待されても困る。だって俺は帰るんだから。この世界を救ったりしない)
「だから俺は勇者じゃないって。それよりもコレー地方ってどんなどころ何だ?カダンはほかの村に行ったことあるのか?」
「他の?国境超えなきゃ行けないし、手続き面倒だから行ったことないよ」
「え!?違う国?コレ―地方なのに?え?地方じゃないの?」
「この国の地方ではないね。襲われた村はそれぞれ国が違ってて、それでもあそこは昔か…コレ―地方を呼ばれてて……」
「何で?もしかして同盟国?連邦制?」
「それも違う。数十年前は戦争してたし。俺も詳しくは覚えていないけど、よくカイおじさんに話を聞いてて……」
カダンはそれっきり黙り込んでしまった。ぼんやりと水面を眺めている。孝宏はまた町を眺めるようにしてカダンから視線を逸らすとこっそりため息を吐いた。
三つの村は国が違っておりしかも数十年前までは戦争をしていた関係。今も良好な関係とは言い難い。ならばその三国をいっぺんに攻撃してきた敵とはいったいどういう立場なのか。世界征服か、乗っ取りだろうか。それともこの国に重要な何かがあるのだろうか。
(いっそのこと、ここが俺がしたことのあるゲームの世界だったらなぁ。ずるくても何でもチートで速攻解決なのに。そしたらすくに帰れるはずなのに)
解らないと言うのは本当に恐ろしい。孝宏は最近そのことを身に染みて感じていた。
(いっそこの状況を楽しめるくらいに精神鋼になりたい)
カダンが風呂から上がるために立ち上がると、ぼんやりとしていた孝宏も気が付き慌てて声をかけた。一つ最も重要なことを言い忘れていたのを思い出したのだ。
「待ってあと一つ!町で助けてくれてありがと!」
孝宏の声が風呂場に反響する。
「お礼なんていいよ。大刀は投げたけどその後は特に何かできたわけでもないし。マリーたちが来てくれなかったらどうなっていたか」
「そんなことない。それに、カダンの呼びかけがなかったら俺はきっとあそこで竦んだままだった」
「呼びかけ?何のこと?」
孝宏はカダンがとぼけているのだと思った。このような謙遜をするのかと意外に思ったが、カダンの訝し気な様子に胸がざわついた。
「俺がビルの上から落ちた後。頭に直接話しかけている的なやつ。ほら、山賊に拘束されてる時にも呼び掛けてくれただろ?おかげで拘束を破れたし。ずっと礼を言わなきゃって思ってたんだ」
「勘違いじゃないの?本当に何のことかわからない」
カダンは首を傾げ一瞬記憶を探る仕草も見せるも、それも一瞬だけ。すぐに首を横に振った。
「え……でも確かに火の蝶が出た時声を聴いたんだけど。山賊の時にも聞いた声。え?カダンじゃない?」
戸惑う孝宏を他所に、数秒の沈黙の後カダンはこともなさげに言った。
「少なくとも俺じゃない。案外自分の声なんじゃない?それか……つきまといがいるのかも」
カダンは最後にニヤリと笑うと、戸惑いの中に怯えを滲ませる孝宏を残しさっさと出ていってしまった。
「つきまとい?…………ああ、ストーカーってことか」
命を助けくれるストーカーを歓迎できるだろうかなどと呑気なことを考えながら頭の先までお湯に浸かった。
孝宏は一人になってからもしばらく考えていた。体を洗うのも忘れてぼんやりと。
カダンたちが強いのはやっぱり自主練でもしていたからなのかもしれない。そうでなければ村を出てからの四年あまりのブランクがあるのにも関わらず強い事の説明がつかない。訓練内容は一切変えずに、ずっと。
ただ考えている内に問題はそこにないと気が付いた。
なぜそうまでして戦う必要があったのか。特にカダンの夢の話が本当になるとは思いもしなかったカウルとルイが、魔王がいるわけでもなく戦争をしているわけでもない世界で、どうして。
ルイは魔術師の夢へ向けて時間と労力の殆どを費やしていたし、カウルは牛飼いとしてどうすべきか真剣に悩んでいた。そこに兵士への憧れは見えない。本人たちに尋ねれば答えてくれるかもしれないが、孝宏に聞く勇気はない。
「わからないと言えば、さっきのカダンは何かイメージと違ったなぁ」
地球のこととなるとカダンが子供の様にふるまうことは多々あった。仮に魔王がいたとして、それは双子の両親の仇であるが、目を輝かせるのはどうしても納得がいかない。
(カダンはもっとルイとカウルを大切していると思ってた)
命の恩人である彼らを信じたい気持ちは変わらないが、孝宏の中で違和感が大きくなっていくのを止められそうにない。
孝宏はもう一度頭の先までお湯に身を沈めて水面を見上げた。
天井の明かりが水中からだといくらか和らぎ優しく感じ、世界から隔絶された気になって嫌に遠く感じ、少しだけ寂しさを覚える。一人とはきっとこんな感じだろう。
孝宏が息を止めてられるのはせいぜい十数秒だ。孝宏は水面に顔を出し息を荒げながら、凪を知らない川のうねりを眺めた。対岸の町は夜を知らないかのように、煌々と輝いている。
「随分と遠くまで来たもんだ……」
たとえ彼らを信じられなくても頼るしかないのだ。
それから孝宏がどうしたかと言うと、風呂に入ったことを激しく後悔した。なまじ真面目な性格が災いしたとしか言いうようない。
孝宏は十分に湯に浸かってから上がったのだが、風呂のスイッチを切ろうにもそれらしき場所は見つからないし、だからと言って自動で止まるでもない。誰か起こして聞いてみようかとも思ったが、疲れてぐっすり眠っているだろうにそれは申し訳ない。
そうこう迷っている内に窓の外が明るくなり始めた。星の光が弱く、日の光が強くなり朝を迎えようとしている。
孝宏はそれほど悩んでいただろうか。否、そうではない。孝宏が目を覚ました時には夜は更けすぎて、朝へ向かっており、それに加え孝宏自身が考えている以上に、わずかだが長湯だっただけの話だ。実際には、彼は十二分に休んだし目が覚めたのもそれ故だ。
それでも孝宏は酷く損をした気分になった。不思議なもので、朝を迎える空を見たとたん、まるで一晩中起きていたかのような疲労が孝宏を襲ったのだ。
そしてどうしたかと言うと、気分を落ち着かせるために、もう一度風呂場に向かったのである。朝起き出してきた皆に呆れを通り越して感心されたのは言うまでもない。




