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夢に咲く花 58

 印象深い場面でやけに遅く表現する手法がアニメやドラマなどによくある。孝宏は今まさにそんな奇妙な感覚を味わっていた。

 孝宏の腕を強く握るカダンの手が緩んだ一瞬、宙に浮く感覚と共に、見知った二つの影がゆっくり遠ざかっていく。


「ひっ」


 身を縮こまらせながらも咄嗟に手を伸ばしたが、つかめる物はなく虚しく宙を掻いた。

 見渡す限り広がる闇に既視感を覚え、孝宏は息を飲んだ。


(あ……あぁ……これは嫌だ……)


「助けて父さん!」


 どうしてこの場にいないはずの父親に助けを求めたのか、孝宏自身にもよくわかっていない。ただ親離れできていないとかそういうことではなく、助けを求めれば必ず答えてくれる強きヒーローが実際にいなくとも、ヒーローとはそういうもので、彼にとってそれは父親そのものだったのだ。

 落ちながら孝宏は現れない父親にジレンマを感じつつ、己の情けなさを嘆き、今度こそ死ぬのだと漠然と考えてた。

 孝宏には見えていなかったが、この時真下の地上に生きている者はなく、巨大蜘蛛でさえもすべて切り刻まれ微動だにしていなかった。

 そんな中ただ一つだけ動く物があった。一見して人程の大きさの、しかし生き物の動きでなく、表面が波打ったかと思えば、瞬きをする間に建物の二階まで道を塞ぐほどに大きく膨らんだ。

 孝宏はそれの上に落ちた。それは地面に叩きつけられるより遙かに優しく孝宏を受け止めただろうが、孝宏は衝突の衝撃で息を詰まらせた。その時、またもや頭の中に声が響いた。



──まだ決意は変わらないか?──



 決意とは何のことだろう。


 理解するよりも先に全身に鳥肌が立った。目を開くと、朱色の火の粉が舞い散り、まるで赤い花が舞うがごとく夜空を彩る。


(熱い……)


 火の粉がではない、己の体が熱いのだ。体中がドクドクと脈打ち、熱は次第に痛みへと変わる。意識ははっきりとし、視界が広がった。


「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ…………」


 湧き上がる高揚感から息が荒がり、孝宏は鼻から思いっきり息を吸い込み、口からゆっくりと吐き出した。拳を握り、己を鼓舞すれは、呼吸も気分もいくらか落ち着いた。


「だいじょーぶ、俺はやればできる。できるできる、大丈夫。俺はできる子。頑張れ俺!」


 孝宏は全身全霊で祈った。


(頼む、魔法がかけられている蜘蛛の巣を焼きたい。町中にあるんだ。蜘蛛の巣だけを…………焼きたい)


 孝宏が両腕を広げたとたん、全身から炎があふれ出した。炎から蝶が生まれ、ヒラリヒラリと火の粉をまき散らしながら飛び回り、次々と蜘蛛の巣を焼いていった。道の上、壁の中、屋根の上。火の粉が降りかかったとたんに全体へ火が回り、あるいは巨大蜘蛛もろとも蜘蛛の巣が火の中に消えていく。


「スッゲー…………やった……」


 ある程度予想はしていたが、見えていた以上の蜘蛛の巣が燃えていく様子は圧巻の一言だった。



 色とりどりに飾られた電飾の、並木通りやクリスマスツリーにも負けない、溢れんばかりのオレンジ色の光が、儚く散る桜のように刹那の時を謳歌して消えていく。

 暗闇でしかなかった世界が火に照らされて露わになっていく光景を、始めは満足げに眺めていた孝宏だったが、次第にその表情を曇らせていった。

 巨大蜘蛛が降ってくる代わりに、今度は火の粉が舞うのだ。兵士たちは驚き、慌てふためいた。例えば火を消そうとし、火の粉をまき散らす蝶をやろうと必死になっている。

 多くの者が混乱していたが、冷静な者もいくらかはいた。

 冷静な兵士たちは、火が蜘蛛の巣と思しき物以外に燃え移らないのを瞬時に見抜き、ある者は巨大蜘蛛を押さえ、ある者は仲間を落ち着かせようとしている。

 マリーも一瞬は敵の新手かと身構えたが、道路の向こうで火に包まれる孝宏に気が付き声を張り上げた。


「落ち着けぇぇぇぇぇぇ!!」


 この娘は何を言い出したのか。疑心に満ちた目がマリーに集まる。


「この火は人を焼かない!」


 頭上にも火の粉が降り注ぐが燃え移るどころか熱さえも感じられず、叫びながら剣を高々と上げたマリーを中心に風が起こり火の粉が舞い上がった。


「神は我らを見捨てない!見ろ!蜘蛛の巣は焼き払われた!われらの勝利だ!」


 この機を逃すな。マリーに呼応して兵士たちが雄叫びを上げた。

 無事な者など一人もおらず、皆満身創痍の身でありながらも、ようやく終わりの見えた戦いに力を取り戻したかのようだった。

 そこにカダンが加わるとさらに早かった。巨大蜘蛛は次々と倒され、今度は逃げ惑う巨大蜘蛛を兵士たちが追いかけ捕まえる。完全に立場が入れ替わっていた。



 ナキイはというと、隊長に報告をあげた後、孝宏のもとに降りていった。

 あれだけ燃え盛っていた炎が今は遠く、蝶も一羽も見えず孝宏自身の火も消えている。


「火傷とか怪我はあるか?」


 孝宏は放心しているようだった。額に浮かぶ玉のような汗が、見開いたままの目の傍を流れ落ちていく。ナキイに声をかけられとたんに座り込み、顔をくしゃくしゃに歪ませた。


「俺は大丈夫です。でも……ごめんなさい、俺、手助けしようと思って……」


 蜘蛛の巣がなくなれば良いと単純に考えていた孝宏は、事後の混乱ぶりに酷く動揺していた。この場だけのことではないのだ。蝶はすでに遠く散らばってしまっている。町中で火の手があがる。

 ナキイも解っていないわけではない。報告は上げたのだから放っておいてもここ以上の混乱にはならないだろうというのが彼の考えだ。ただし、本当に放置するのではなく、何らかの原因で魔術が暴走するのはよくあることで、孝宏は火の近くで管理しなければならないだろうとも考えていた。

 

「怪我がないならいいんだ。安心した。ではここは危な……」


「ああ、どうしたら……どうしよう……俺なんかが勝手にやるから……」


 危ないので一旦別の場所に移動しよう。ナキイは途中まで言いかけて、孝宏の様子に違和感を覚え一度は口を噤んだ。


「ん?……まずは安全な場所に移動して、火の対処をお願いしたい……」


「はい、本当にごめんなさい。俺ちゃんと制御できなくて……」


 孝宏はまるでナキイの話を聞いていなかった。

 ナキイは本来気の長い方ではない。何度も謝り続ける孝宏に、眉間に皺を寄せ奥歯に力を入れた。

 

「自己嫌悪はこれが終わった後にしてくれないか?今は一分でも時間が惜しいんだ」


 低く唸るような少し大きな声、孝宏が初めて聞く声だった。孝宏は全身の温度が下がるのを感じ、何か言わなければと思うのにすぐに声が出てこず、ナキイの顔がまともに見れずに俯いた。


「………………はい、すみません」


 孝宏がやっとの思いで絞り出したのはやはり謝罪の言葉だった。


(また謝ってしまった)


 ため息が聞こえてくる。こんな時に同情し慰めて欲しいのか。表情は見えないと言うのに、まるでナキイの心の声が聞こえてくるようだ。

 孝宏は心臓が鷲掴みになったかのようにキュッと苦しくなった。要求されたことをまともにこなせないばかりか、己の自己嫌悪で回りを見ず他人を巻き込もうとしたことが、孝宏はたまらなく恥ずかしかった。


「一度屋根まで移動する。いいな?」


 孝宏は奥歯を食いしばった。


「はい」


(泣くな、もうみっともない真似をすんな)


 ナキイは孝宏を片手で担ぎ上げると、ヒョイっと屋根に登った。隣の屋根の上で立ち往生している巨大蜘蛛はいるが、襲ってこれないだろうし、火の蝶が蜘蛛の巣を粗方焼いた後だ。逃げ場がない下水道より、見通しの良い屋上を行く方が良いだろう。


「火の蝶はまだ操れるか?」


「新しく出すんですか?たぶんですけど…………できます」


 ナキイは右の眉を上げた。


「では遠くまで行ってしまった蝶は?もう一度、君の管理下に置くことはできるか?」


「やってみないと解りませんけど、近くまで行けばたぶん……」


「よし、では向かう」


「……はい……」


 消えてしまいそうな小さな声。たぶんと繰り返し、先ほどよりはマシになったが、ナキイの期待通りの働きが出来るかどうかは怪しいだろう。


 民間人の、ましてや子供などはどう接して良いのが解らない。

 愚痴のようなことを思いながら、ナキイは孝宏にハッパをかけようとして、口を開き、はたと止まった。

 自分が相手をしているのは新兵などでなく、戦闘など不慣れな民間人であったと、今更ながら気が付いたのだ。同じように接して上手く行くものだろうかと。

 解らないを免罪符にして何も考えず振る舞うのは果たして正解か。とはいえ、時間が惜しいのも事実だ。間違ってはいないはずだ。

 ナキイもまた心の中で葛藤抱えていたが、その時の孝宏にそれが解るはずもなく、黙ったまま動かないナキイに声をかけた。


「あの、何かあったんでしょうか」


 巨大蜘蛛に囲まれたか、または自分がまた何かをやらかしてしまったか。

怒られるのは何度経験しても慣れないもので、孝宏も声をかけるのに勇気を多分に振り絞った。

 怒りを買うのが怖くともそれでも声をかけたのは、自分が悪くないという免罪符が欲しかったからだ。もちろん自分が原因である場合もあるが、それならそれで知っておきたいのが孝宏の性分だ。孝宏にとって知らないままになっている方がより辛く、後に悔しい思いをするものなのだ。


「いや、何でもないんだ。行こう」


 ナキイは孝宏を、今度は背中と足に手を回し抱き上げた。体を縦にしてぴったりと密着する。親が子供を抱っこする時にするアレだ。


「い!?」


 荷物の様に担がれ移動するとばかり思い込んでいた孝宏の動揺は大きかった。


「え……と、えとこれは……どどどどどどうしたら……」


(体格に差があるのは解るけど、これはどうなんだ?)


「しっかり捕まっていてくれ。激しく揺れるから振り落とされないように」


 今度のナキイは先程とは打って変わり随分と声が柔らかい。初めに助けてもらった時の様な、優しさを感じられる声だ。孝宏は少し安心した。


「いやいや、俺重くないですか!?何ならさっきの方が……」


(一体何の羞恥プレイだ、こりゃ)


 善意か、必要なことか。しかし、恥ずかしくて仕方なく、もしも可能なら変えて欲しいくらいだ。


「あれはバランスが取りづらくてな。これなら俺にしっかり積まれるだろう?」


(つまり首に手を回して、密着してろと。夜でなかったら絶対にやらないからな。こんなこと)


 孝宏は言われたと通りにナキイに掴まった。

 ナキイと違い、孝宏の鎧やインナーはぼろぼろで、肌がむき出しの部分も多い。冬の空気に晒され冷やされた鎧は痛いほどで、凍傷にでもなりそうだ。しかし、今度こそ間違える訳にはいかなかった。


(堪えろ…………耐えるんだ…………)


 精神的にタフになりそうだと、孝宏は思った。







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