夢に咲く花 52
コオユイが孝宏たちに休むよう言ってから数時間後、ナキイは仮眠室のベッドの隅に転がしたままの、藍鉄色のそれに手を伸ばした。
「三番解放」
ナキイの言葉を鍵にして、首から下げた赤い花がハイネックの服の上を肩に向かって赤い花弁を広げていく。
花弁は広がるのに比例して暗くなり、手首までを覆う頃には濃緑へと変化する。ナキイは無造作に選んだ藍鉄色のそれを、服の上から靴下を穿く要領で左ひざ上まで引き伸ばした。同じ要領でそれを右足に、前腕まで覆う手袋を両手にそれぞれ身に着け、次に肩当と裾に大きく切り込みが数か所入った、胸に大きく花のモチーフが描かれた長めのベストを頭から被る。首元まで覆うマスクをし最後にヘルメットを被った。
初めは布の様に柔らかかったそれらは、ナキイが身に着ける度に、音もなくカチッと固まり鈍く光った。
彼の本来の任務時には必要ない鎧を、わざわざ持ってきたのが正解だったのが皮肉としか言いようがない。ヘルメルの護衛につく時は黒い軍服と、時には濃紺のマントに身を包みむが、今はそれらはカバンの中に丁寧に畳まれしまわれている。
ナキイは会議の結果を聞いてすぐ、コオユイに住人を避難させる班に入れてもらえるよう頼み込んでいた。孝宏が現場に出ると聞いていても立ってもいられなかったのが主な理由だが、もう一つヘルメル直々の命令もあった。彼には彼の目的があったのだが、その目的の中身がナキイと大差ないのは、いつもどれだけ高尚なことを言っていても彼もやはり男だったというだけだ。
あの堅物が恋をしたと兵士たちの間ではすっかり噂になっていた。マリーの美しさが噂に拍車をかけている感は否めない。王家の役割に取りつかれたかのようなヘルメルに、それよりも優先させる女が自分を奮い立たせる理由でなかったことにナキイは心の底から安堵していた。もしも同じであった場合どれだけ悲痛な思いをするのか。ナキイは想像するだけで同僚の何人かに同情を禁じ得ない。
腕時計を見ると作戦開始の時間には少々早い。
「行くか」
最後にベルトを締めストラップを丁寧に確認しながら付けると部屋を後にした。
ろ
同じ頃、孝宏は提供された部屋のベッドに腰掛け、目を閉じてマリーと向かい合っていた。マリーが手に持つ小さな筆が孝宏の唇の淵をなぞる。顔に粉を叩き、頬紅を差し、瞼に薄っすら色を乗せている間孝宏はひたすら目を閉じていた。
初めはマリーの何気ない一言だった。
女装したまま寝てしまった寝起きの孝宏を見て、開口一番私ならもっと上手く女性らしく出来ると言い放った彼女は疲れていた。それを面白がったカウルとルイが孝宏を鏡の前に座らせた時孝宏もさほど抵抗することなく座った。孝宏は自分がどこまで変わるのか興味があったし、彼もまた疲れていたのだ。
孝宏を化粧している間中、カウルはベッドで胡坐をかいたまま頬杖を突いて、ルイはその隣で寝転がってその様子を見ていた。
「メイクをするとずっと女に見えるな」
「でしょう?私の腕が良いからね」
カウルが褒めると、マリーが得意げに笑みを浮かべた。
「俺の顔が良いからな。女装も似合っちゃうんだよな」
孝宏が調子に乗って言うので、ルイが笑った。
「じゃあこのままで問題ないね。僕も手間が省けて楽だし」
「あ、嘘吐きました。ごめんなさい。俺このまま行くのは嫌です」
「良いじゃないか。どうぜ防具で顔以外は隠れるんだし。それに本当に似合ってるぞ…………くくっ」
カウルが褒めるがどこまで本気か解らない。本気にして馬鹿を見るのは目に見えている。
「嫌だよ。零とかの治療は終わってるんだから、もう魔法を解いてくれたっていいじゃねぇか、なあルイ、元に戻してくれよ」
「私の力作よ。もう少し堪能して。不都合はいないでしょ?」
「あるよ!俺女って思われてるんだぞ!?」
喚く孝宏を見てカウルとルイとマリーの三人が笑った。鏡に映った自分は確かに前よりは綺麗になったが、それを好ましいと思か否かは別問題だ。
「だから、こういうんはカダンの方が似合うって……」
「みんな準備はできた?」
孝宏がカダンの名前を出すのと、カダンが部屋に入ってくるのはほぼ同時だった。カダンは両手にいくつもの荷物を持ちっているが、いつでも出発できるようすでに貸し出された鎧を着ている。
「あ……」
「タカヒロ……まだそんな恰好して、そのままいくつもりなのかな?」
「つい盛り上がっちゃって……このまま行ったら笑われるだけだろう?だからすぐにでも元に……」
ソコトラからずっとあった気まずい空気は、いつの間にかなくなっていた。かといって初めのような関係に戻ったのでもなく、少しだけ距離が近づいたような、砕けたような。二人の関係は確実に変わったと、周囲にも確信出来るような空気があった。
「そんなことないと思うけど。凄く綺麗だよ」
「どーも、俺よりカダンの方が似合いそうだけどな」
カダンに笑顔で言われても、孝宏は本気か冗談か測りかねる。
自分より明らかに綺麗な人に褒められても素直に頷けないのは、たんに自分が皮肉れているのだと自覚はある。ただ揶揄われているのではないかと思ってしまうのは、カダンが含み笑いを浮かべているからだ。
(やっぱり俺馬鹿にされてる気がする……)
「女装は俺も似合うだろうね…………人魚だから」
「人魚?」
この中で唯一、マリーはカダンが人魚だと知らない。
カダンはこれまで自分のことをあまり話したがらなかったし、何となくそうだろうと思って、地球人三人カダンに聞かなかった。なので双子などは孝宏が知っていると解ったら驚くだろう。
「うん。俺は人魚と狼との間に生まれた子供。人魚は特殊な種でね、特徴として中性的なのが多いから」
地球で人魚といえば一番初めに思い浮かべるのは童話の人魚姫である人も多いだろう。孝宏も人魚といえば幼い頃から女性のイメージが強く、美しい生き物であると漠然と思っていた。この異世界でも人魚のイメージは大差ないのか興味が湧いてきた。
「あ、じゃあ尻尾は?魚の尻尾あるの?」
無邪気に尋ねるマリーにカダンははやり笑顔のままで返した。
「あるよ。でも時間ないし、こんなところで尻尾出したくないし、また今度。そうそう、宿から荷物を持って来たから、一応確認して」
カダンが持っていたいくつもの鞄を涼しい表情で差し出した。狼ともなると力も人一倍変わってくるのだろうか。
「荷物?」
そう言えばと孝宏は頭を捻った。外出した時に来ていた服は、荷物はどうなっただろうか。
「あああああああああああ!」
孝宏は大事なことを思い出し、狭い部屋の中で腹の底から叫んだ。
「なんだ!?どうした!?」
皆驚き、ルイなどは耳を抑えている。
少々大きな声を出し過ぎただろうか、孝宏は一瞬だけそんなことを思ったがかまわず続けた。
「俺の荷物!服!病院で脱いだ奴の中に大事な物入ってるんだ!」
孝宏はカダンが持っている荷物の中にそれらしきものを探すが見当たらず、すがるような思いでカダンを見た。
カダンはポカンと口を開けてあっけにとられた様子だったが、今にも泣きだしそうな孝宏を見て、若干引きつった笑みを浮かべた。
「ああ、ゴメン。言うの遅くなったけど、二人が来ていた服と鞄は駄目になっちゃって、でも中身はちゃんと受け取ってる。替わりの鞄に入ってるから」
二つある見覚えのない、薄い布でできた大きめの手提げ鞄。その内の孝宏は差し出された鞄を受け取ると急いで中身を確認した。
孝宏が普段持ち運んでいる荷物は少なく、金は持っていないし、着替えは別の鞄に入っている。
鞄に入っていたのは財布、携帯、ウォークマンに充電器、それから筆記用具。携帯以外はカンギリの樹液に塗れて壊れたり使えなくなってしまっているが、手放すことも出来ずにいつも持ち歩いていた。
「良かった、全部ある……ん?」
ほっとしたのも束の間、孝宏は鞄の奥底に見覚えのない本を見つけた。あの日参考書の類は全て置いて出てきたはずだ。
「これは俺のじゃ……」
孝宏は自分のではないと言いかけて思い出した。ソコトラで双子の家と知らずに入った家で見つけた不思議な絵本だ。皆に話をしようとしてすっかり忘れていて、忘れていることすら忘れていた。今なら皆もいるしまだ時間もある。また忘れる前に話をするだけした方が良いかもしれない。
孝宏は絵本を出しながら、徐に話を切り出した。
「なあ、この本なん…………」
「ああああああああああ!」
「何だよ!?いきなり!」、
今度はマリーが叫んで、孝宏が驚く番だ。
「これ……私の腕輪?それともタカヒロの?」
孝宏が絵本を取りだそうとして、中から押し出されるようにして、カバンから転げ落ちてきたの物を、マリーが素早くしかし丁寧に拾い上げた。それは白い小さな花を輪に編んだ、手作りの腕輪で、もちろん孝宏の私物なわけがない。
「何でこんなところに、あっ……あ……」
これがここにあると言うことは犯人は一人しかいない。しかも今言葉に詰まってしまった孝宏はかなり分が悪い。例えそうでなくとも、まるで自分にやましいことがあるように見えてしまう。
「何?まさかワザと隠していたんじゃないでしょうね」
孝宏がしまったと思った時にはもう遅かった。マリーは完全に孝宏を疑って凄んでいる。マリーが疑うには十分過ぎる反応をしてしまったのだからしょうがないといえばしようがない。しかし、全くの濡れ衣で孝宏には犯人もわかっているが、それをわざわざマリーに告げ口するのかといえばそれはしない。とりあえず今は。
(でもどうしようも誤魔化せなかったら正直にチクろう)
「まさか、そんなわけあるかよ。何でおれがわざわざ隠さないといけないんだよ」
「でも現にここにあるじゃない。それにさっき、あって言ったし……」
「それは……別に変な意味じゃなくて、マリーが最近元気なかったのは、これのせいかなって思ったんだよ」
「気が付いていたならさっさと渡しなさいよ!」
「ちげぇよ。これがここにあるって知ったのは今だから!」
マリーは不満をまったく隠そうとせず睨み付けてくる。孝宏は頬を引きつらせ、それとなくルイに視線を送り助けを求めた。
しかしルイはベッドの上で寝転がったまま目を閉じ、寝たふりを決め込んでいる。こうなっては全力でシラをきるしかない。
(あいつ俺に全部押し付ける気か……後で殴る)
正義感の強いマリーならば善悪を持ち出せば丸め込めるかもしれない。
「だから俺は知らなかったんだって。大体そっちが間違えて入れたんじゃないのか?確証もないのに人を疑うのは悪いことだぞ」
「そ、それはそうだけど……」
孝宏の思惑通り、マリーは狼狽えて言葉を詰まらせた。すかさず畳みかけようとした孝宏を遮って、カダンが二人の間に割って入った。
「まあまあ、見つかったんだからいいじゃないか、ね。あの時の混乱で紛れ込んだんだよ。無くし物って意外なと頃から見つかるのは良くあることだし。孝宏もマリーがどれだけ大事にしていたか解るだろう?ここは抑えて、抑えて」
小物を隠してしまう妖精はこの世界にも存在しているようだ。ともあれ、マリーは怒りを納め、孝宏はとんだ濡れ衣を着せられそうになったが、カダンのおかげで事なきを得たのだっだ。