夢に咲く花 51
少し時間を遡る。
孝宏とカウルは四人の兵士と共に地下の下水道を通って目的地へ到着していた。
孝宏はマンホールから出る瞬間息を飲んだ。地上を我が物顔で闊歩する巨大蜘蛛が目の前に表れでもしたら今度は卒倒しそうだ。
下水道を出て見えたのは飛行場だった。全体が乳白色の石で作られているが全体的に古びていて、ドーム天井だが飾りっ気のない大きめで円形の建物。中は外観と同じく白一色で、アーチ型の扉が二つ、カウンターがたった一つだけ。だだっ広い空間が広がっている。昼間であればドームの中央に取り付けられた窓から差し込んだ日光が白い壁が光りを反射し輝くのだろうがあいにく薄暗く、ぼんやりと白く浮かび上がるさまが薄気味悪く感じる。
「この奥です」
建物に入ってすぐ向かいのカウンター、その左側の扉を先頭の兵士が指さした。
この建物では数少ない植物をモチーフした紋様が彫り込まれた木製の扉。あまりにも見事な細工に、孝宏だけが感嘆のため息を漏らした。
「すごい……」
孝宏の口から思わずこぼれた賞賛に、兵士の一人が眉をひそめたが孝宏は気づきもせず扉の細工に見とれていた。
扉の奥に長く続く廊下をひた進むと、孝宏の耳にも人の声らしき音が聞こえ始めた。廊下の最奥、アーチ状の扉のない門をくぐると、六畳ほどのこじんまりとした部屋があった。部屋の中央に地図を広げた机が置かれ、数名の兵士たなどが囲い立つ。孝宏たちが入ればいっそう窮屈で息苦しい。
「大佐、ご命令の民間人を二名お連れしました」
「ご苦労だったな。下がって待機していろ」
案内してきた兵士たちが一列に廊下を戻っていくのを無言で見送ると、大佐と呼ばれた男、コオユイが咳払いをした。
「詳しい説明もなく急にお呼び建てして申し訳ない。では早速説明させて頂いてもよろしいでしょうか」
「あ、はいっ……」
孝宏は背筋を伸ばし横目でカウルを見た。カウルは表情を強張らせ視線を右に左に動かしている。決してこの場に気後れしているのではない。ルイ、カウル、マリーの三人の姿がなく下唇を噛みしめるカウルを見て、孝宏もグッと奥歯を噛みしめた。
なぜ孝宏たちが呼ばれたか、それは住人の避難の為だった。それ自体、特に驚きはしない。ソコトラでもマリーの剣は化け物相手に有用だったのだから、それ自体は想像に固くない。ただ、対抗手段を彼らが欲しがったとしても不思議はないが、住人の避難などは転移の魔術を使えばもっと簡単に済むのではないかとも思う。ここまで下水道を徒歩で来た時も持った疑問が、孝宏の中に再び湧き上がった。
孝宏は自分たちが下水道を来たのは自身の持つ凶鳥の兆しが原因で、移動系の魔術を使えないのだと予想していた。しかしコオユイの口から語られたのは、至極普通の、この状況下では当然と言えば当然の理由だった。
「現在この一帯に、何者かによる妨害を受けており、魔法の使用に制限がかけられています」
それの意味するところは、巨大蜘蛛の発生は何者かによるこの町への、もしくはアノ国に対する攻撃であるということ。孝宏だけでなく兵士達の間にも緊張感が走る。
「転移、飛翔などの魔法が一切使えなくなっており、住人の避難がより困難な状況です。ですが、住人の中には怪我や病気などで今すぐに避難、病院への収容が必要な者がいるのです。どうか、あなた方の力を貸していただきたい」
すでに巨大蜘蛛出現区域を高い塀で隔離しており、蜘蛛どころか、人すらも外に出れない状態にある。初めの発生からたった一晩だが、地図に示された範囲を信じるならば、役所を中心に半径10キロは完全に封鎖されている。机に広げられた地図で見ると、数字で見るよりずっと広い。
現在も住人の避難が行われているが、やはり有効な対抗手段が限られている現状では、蜘蛛の存在が妨げとなり思うように進んでいないのが現状だ。
双子の母親オウカの残した魔術の中に巨大蜘蛛に対抗できる魔術があったが、複雑すぎるその魔術を全ての兵士たちが使えるかというとそうでもなく、魔術師たちでも相当の熟練を重ねた者でないと扱いに難儀する代物だったのだ。それを簡単に扱えるようにしたのが、ルイが加工し、王立魔術研究所に提出した剣だ。
本来それはマリーの奇異な能力から世間の目を逸らす為にルイが魔術加工を施していたものだが、目的は果たされたのでそれ自体は良しとしよう。
彼らが持っているその一振りは現在魔術研究所にあり、手続きや運搬方法などの諸事情から到着まで時間がかかっている。それ以外だと提出したのとは別にルイが加工し彼ら自身が持つ本来は護衛用だった武器があった。
マリーはどの武器を選ばないのでそもそも必要ないし、加工後の扱いが非常に危険なため孝宏にはまだ渡されていない。数が少なかったために短い期間で完成させることができたのだ。
ではその武器を徴集すればという者もいたが、難儀なことに武器は持ち主しか扱えない使用になっていた。関係のない第三者の手に渡るのを防ぐ為ルイがわざわざ付け加えたのだが、その慎重さが今回は裏目に出しまった。巨大蜘蛛への対抗手段が少ないがために、ルイたちの協力を得るしかなかったと言う訳だ。
では現在、この場にいない彼らはどこにいるのか。二人の表情が曇る。
ルイたち三人はすでに町に出ていた。孝宏たちを安全に移動させる為、巨大蜘蛛を遠ざけ駆除していた。孝宏たちが無事目的地に着いた後に、作戦は終了。一度ここへ戻ってくるはずだ。
夜になり蜘蛛たちの動きが鈍ったことから急遽決まった作戦にルイたちは動揺したはずだが、結果彼らの役目を期待以上にこなしていた。
「せめて急を要している人たちだけでも、避難させなければなりません。あなた方に危険が及ばないよう最大限の努力はします。協力して頂きたい」
大佐、コオユイは孝宏たちに頭を下げ、それに続いて他の兵士達も頭を下げた。
皆孝宏たちよりずっと、歳も社会的地位も上の人たちばかりだ。正直なところ悪い気はしない。少しばかりの優越感と劣等感とがせめぎ合って奇妙な気分だ。とはいえ孝宏がそれだけで調子づく性格なら簡単だったがそうではない。孝宏は元より人並みに臆病で恐がりだ。
(んなこと、協力させて頂きたくないに決まってんじゃん)
孝宏の脳裏に思い出されるのは、ナキイの盾越しに見た間地かに迫る巨大蜘蛛。それからシャワー室で襲われた死の感覚。
便利な武器を持たない孝宏の対抗手段は一つしかない。凶鳥の兆しは実に素晴らしい炎だ。これまでも何度も助けられてきたが、今回もそれが助けになるとは限らない。何せ凶鳥の兆しを操るのは若干十五歳の、しかも魔術に不慣れな異世界の子供なのだ。
カウルはどうするのだろうと、孝宏は彼を見やった。カウルは食いしばった歯をむき出しにし、力み過ぎて目の下がピクピク痙攣している。尻尾の毛が逆立つ。
カウルは感情が表に出やすい性格をしているが、我を忘れ、頭を下げる人たちに敵意をむき出しにするなど孝宏がイメージする彼ではない。
「おい、大丈夫か?」
孝宏は肘でカウルの脇腹をかるく突く。彼らの提案がよほど嫌だったのだろう。孝宏はそう思った。
「孝宏が構わないなら、俺は……………協力したい」
なのでカウルがこう言うのを孝宏はとても驚いた。兵士達が期待に目を輝かせ顔を上げる。
(協力?俺が?出来るほか?俺はただの……中学……生なの、に……)
ソコトラでそうだったように、山の中で応戦した時のように、炎をまき散らすのだろうか。彼らに協力する自分を想像し、孝宏はぞっとして顔面を青くした。
「あっ…………」
カウルと目が合い、孝宏はとっさに目を逸らした。カウルに対する負い目が、孝宏の心を削っていく。答えなどはなから決まっていた。
とうにカウルたちに協力すると自分で決めていた。
だがやはり怖いものは怖い。協力すると答えるのも、怖いのだと告白するのにも、彼らの対する負い目が孝宏の心に重くのしかかる。孝宏は唾を飲み込んだ。
「もちろん協力する。……俺に出来る事があれば……だけど」
カウルから顔を背けたまま答えた孝宏の息は震えている。
「ああ、ありがとう」
礼を述べるカウルは、引きつる頬と口元を手で隠した。
「万が一がないように出来る限りのことを約束します。あなた方の勇気に感謝します」
コオユイがもう再度が頭を下げた。
孝宏が昨日の昼間見た蜘蛛の巣を思い出したのは、民間人を避難させる作戦の説明を受けている最中だった。
「これらの不明生物たちの出現方法が特定されておらず、作戦の最中に現れる可能性もある。しかし現在同じ個所から二匹以上が表れた報告はなく…………」
蜘蛛がどうやって現れるのか。孝宏はふと思い出されるものがあり、まだ説明の途中にも関わらずつい考え込んだ。
巨大蜘蛛に襲われる直前、確か蜘蛛を見たはずだ。注意深く見ていなければ見落とす程に小さな蜘蛛とそれに不釣り合いな巨大な巣を。
「でも、あれは……ただの………」
説明をしていた兵士は、孝宏の呟きを聞き逃さず目を向けた。卓上に広げた地図を見ているわけでもなく、説明している兵士に向けられているわけでもない瞳。他者から見れば、孝宏はぼんやりとして心ここにあらず言った雰囲気でいる。
不自然に説明が途切れ周囲も変に思い始めると、視線は自然と兵士が見ている方向、孝宏へ集まった。
「どうかされましたか?」
兵士は丁寧に孝宏に話しかけた。孝宏も声をかけられ初めて自分が進行を止めているのに気が付き、慌てて謝罪の言葉を口にした。
「何か気になる事でもあったのか?」
腕組をしたカウルも孝宏に尋ねた。
孝宏が何を考えているのか見当もつかないが、以前よりこうしていきなり考え込む癖があったのをカウルは何となくだが気付いていた。一見ぼんやりとしているだけに見える時もあるが、とはいえ、このような真剣な場でふざける性格でないことも承知している。
「気になることがあれば何でも仰ってください。これはとても重要な作戦です。僅かにでも疑問が残れば、それが失敗の元になりかねません」
そこまで言われては、言わないとマズいだろうという気になる。
「あの、関係あるかは分からないんですけど、蜘蛛の巣を見たんです」
蜘蛛の巣くらい誰でも見たことがあるだろう。まるで子供の発想だ。その場の殆どの者が思った。兵士たちの呆れた眼差しと肩透かしと言わんばかり失笑を漏らす。
蜘蛛と蜘蛛の巣、それほどおかしな組み合わせだろうか。孝宏は自身の中に生まれた反発心に下唇を噛んだ。
「あれは……」
部屋の隅で白衣を着た女性が口を開いた。
会議中ずっと壁にもたれ掛かっていたのだが、発言し注目を集めた為にこの時ばかりは壁から背を離し背筋を伸ばし自立する。
「あれは虫の蜘蛛によく似ているが、アライアカスジクロクモモドキっていうれっきとした哺乳類だ。南半球にある、尊大なる導神大陸にのみに生息して、主に森林などに住んでいるらしい。もちろん蜘蛛じゃないから糸は吐かない。だが、今私たちの頭を悩ませている奴とは少し違うのは確かだ。本来、彼らの毒は弱いし体ももう少し小さいはず。とはいえここにいるあの蜘蛛モドキが糸を吐いたという報告もない。解剖して詳しく見ないと確かではないから、はっきりと否定はできないがな」
目の下にはっきりと残るクマと今にも閉じそうな瞼が、彼女の目つきを悪く印象付け、いかに寝ていないかを表していた。最近は不測の事態ばかりで、確認すること調べなければならないことが多く、巨大蜘蛛が発生してからは禄に休憩すら取っていない。今も眠気の限界を迎えつつあった。何とか説明しなければと、彼女なりに気合いを入れて優しく話したつもりが、孝宏には蔑視を含んだ大人の笑みに見えていた。
子供の訳も分からぬ戯言と言われている気がして、孝宏は顔を赤らめた。
「すみません……俺、良く知らなくせにこんな…………中断させてしまって、ごめんなさい」
孝宏は下げた頭を上げる前に深呼吸をした。するといくらか膨らんだ怒りが逃げていく。
あの大きさの巣が普通でないなら、誰かの目に留まるはずで、話題にすら上がらないということは、巨大な蜘蛛の巣くらいどこにでもあると、つまりそういうことだ。聞こえてくるため息は一つや二つじゃない。孝宏は聞こえない振りをして、すまし顔で頭を上げた。
「いや、大丈夫です。お気になさらず。では先に…………」
「もっと詳しく話せ」
先に進めよう、そう言いかけた兵士の言葉をカウルが遮った。胸の前で組んでいた上を解き、しっかり孝宏に見合っている。
「気になったことがあったから、考えていたんだろう?蜘蛛の巣の何が気になったんだ?」
カウルに促されても、孝宏は答えるべきか迷っていた。これ以上兵士たちを煩わせたくなかったし、また否定されるのを恐れていた。
それはカウルにも理解できていた。しかし、孝宏はよく知らないと言ったが、カウルが普段から聞いていたカダンの夢の話の限りではこの世界と異世界は似ていた。それに森にいれば蜘蛛の巣を見かける機会も当然あるが、孝宏、マリー、鈴木の三人が驚いたことなど一度もない。植物や空の色。食事。どれを取っても三人は故郷のどれに似ていると楽しそうに話していた。
そんな彼が感じた違和感を、勘違いと一蹴するには早すぎる。それより何より、カウルは兵士たちの態度が気に食わなかった。
確かに孝宏が単純に蜘蛛から連想したのを口に出した可能性もあるが、情報の少ない現状では何が有用な情報へと繋がるか分からないのだから確認は怠るべきではない。それにもかかわらず、話も聞かずに思い込みと決めつける態度がカウルは嫌いだった。協力を仰ぎながらも所詮は子供と侮る彼らは、カウルが村で見てきた大人にそっくりで忘れたい古傷がきりりと痛む。
「いや、本当にゴメン。ただの蜘蛛の巣なんだ。蜘蛛もすごく小さかったし、小さい蜘蛛が大きい巣を作ることだってあるよな。あれがたまたま……偶然……」
偶然。孝宏は自分で口に出した単語が、自身の台詞に対して不釣り合いに思えた。
巨大な蜘蛛の巣のから巨大蜘蛛が表れるのは普通だろうか。例えばだが、もしも町中に巨大な蜘蛛の巣があったとしたら、それは普通だろうか。巨大蜘蛛の巣が町中にあるのが普通であるなら、蜘蛛の巣の傍から巨大蜘蛛が表れるのは不自然ではないがそれは本当に正しいのだろうか。
(あそこにだけあって、町中にあるとは限らない。たまたまってこともある……けど、そんなことあるのか?異世界では普通……なのか?)
考えれば考えるほど胸騒ぎがしてくる。
「どうした?」
解らないことを解らないままにしているのは酷く気持ちが悪いし、笑われても、呆れられても、取り返しのつかないミスにつながるよりはずっと良い。
(ソコトラの二の舞だけは、絶対にごめんだ)
孝宏は意を決して、カウルに自身の見た詳細を伝えた。
「カウル、俺が見たのはすごく大きい蜘蛛の巣でさ、蜘蛛は凄く小さかったんだけど、巣は最低でも二メートル以上あったと思う。幅も高さも奥行きもある立体的な巣だった。通りの端から端に糸を張ってあったから……もしかしたらもっと大きいかも」
コオユイの表情が変わった。
孝宏たちが襲われた場所は道幅五メートル以上はあったはずで、コオユイが知る範囲ではこのあたりにそれだけ巨大な巣を張る蜘蛛はいない。立体的な、しかもそれだけ大きな巣を作るとなるとかなり特徴的で、知られていてもおかしくないが、そんな話を聞いたことがない。
「あっ……」
細められたコオユイの目に怯えた孝宏が説明を止めてしまったのを、コオユイは睨んだまま続きを促した。
「……俺が蜘蛛の巣を見つけた後に蜘蛛に襲われたんです。俺たちを襲った蜘蛛は空中からいきなり出てきたんですけど、その蜘蛛の巣があった場所と蜘蛛が出てきた場所がとても近い、というか同じだったんじゃないかって思ったんです」
孝宏の今の発言を受けて、その場の空気は間違いなく一変した。兵士達がざわつき互いに顔を、視線を合わせ首を横に振る。
「今の説明に間違いはないな?」
「はい。蜘蛛の巣から出てきたかどうかは、絶対、じゃないですけど……」
「しかし蜘蛛の巣から出てきたように見えた……と」
「はい」
「もしそうなら巨大蜘蛛はすぐにでも現れるかもしれない……ということか」
コオユイが深くため息を吐いた。
コオユイをはじめ、兵士たちの動揺を、孝宏はいまいち理解できていなかった。出現場所が分かったのならむしろ都合が良いとしか思えない。
「本作戦は陣を用いない転移、もしくは召喚魔法であると仮定して行っている。あれだけ量だ、次の出現まで時間はかかるはずと考えていたんだ」
もちろんそうでなかった場合に備えての警戒をしているが、やはり出ない前提で行われている作戦である以上ミスをする確率はぐっと上がる。
「陣があるなら、次までの時間は、最悪ないに等しい」
「しかし、現状は巨大蜘蛛の出現はありません。陣であるならどうして……」
「陣であると仮定すれば、我々を油断させるためだろうな。想定内ではあるが……」
ルイたちは今も街中で蜘蛛たちと対峙しているだろう。もしも不意打ちにでも合えば、あの時と同じように真上から降ってくれば、万が一、敵の策略で無限に現れたとしたら、もっと厄介な奴が表れたら。
孝宏は次々と湧き上がる恐ろしい考えに、体が血の気が引いていくのを感じていた。
(蜘蛛の出現ポイントとかがわかれば、少しは危険が減るんだろうか)
もっとしっかり見ていれば皆の助けになっただろうか。そう思うと孝宏は悔しくなる。
「誰か見た者はいるか?」
その場の誰も首を縦に振らない。コオユイは苛立ち大きく息を吐き出した。見た者がいる可能性が低いと初めから予想はしていた。実際その通りだったが、孝宏の証言を無視して話を進めるのはあまりにも危うい。どうしたものかとコオユイが考え込んだ時カウルが口を開いた。
「孝宏は六眼を持っています。隠されてる可能性はありませんか?」
経験のない孝宏でもひしひしと感じ取れる程にその場の空気は緊張感に包まれていた。元々緩んだ雰囲気は皆無であったが、孝宏の発言を受けて確実に焦燥感と緊張感は増していた。そんな中カウルが、少なくとも、孝宏には平然として見える発言するのは、孝宏の発言の価値を見抜けなかった兵士達への優越感だけでなく、孝宏が恐れたのと同じく、不確かなまま現場に駆り出されているルイたちが襲われるのを恐れたためだ。
「それは……」
どうだろうと、コオユイが先程の白衣の女に視線を送る。
「魔法で隠されているでしょうから、六眼を持つ者であれば、痕跡や陣そのものを見つけることも可能かと……」
わずかに表情を強張らせた白衣の女は、眠そうな目をさらに細めた。
「そもそも巨大蜘蛛が我々の持つ手段で仕留めきれないのは、あれに強力な防御の魔法が施されているからです。先程ルイ殿に教えていただいた術は、指定した範囲、または触れた部分のすべてを破壊する、あいつ等の防護魔法よりもさらに強力な魔法だからです」
実に単純な仕組みだ。
音や言葉、複雑な式を必要とする魔術は人にしか使えないはずなので、あれは人の手が加えられた生物であるのは明らかだった。そして相手はこの国よりも魔術やその他の技術がはるかに優れている証でもある。
そんな敵を相手にしなければならないのだから、事実を正しく認識している者たちのプレッシャーは計り知れないものだった。
「あれ等を作った者と送り込んできた者が同じならば、我々の魔法では破られないような、痕跡すらも悟らせない強力で、精工に組み立てられた魔法で隠しているでしょう。現に零は我々では対応できなかったし、魔法妨害も解除できませんしね」
白衣の女の投げやりな言い様に、眉を潜めつつもコオユイは咎めない。コオユイは胸を張った。
「なるほど……誰か六眼を持ったものはいなかったか?」
「うちに一人いる」
答えたのはまたもや白衣の女だった。コオユイは三度目のため息を吐いた。いるならさっさと言わないか、そんな心の声が聞こえてきそうだ。
「その者は何か言っていなかったか?」
「我々はずっと待機でしたので、その間町はおろか船外にすら出てません。化け物が表れてからも毒の特定やら負傷者の介抱で忙しく、今は病院に収容されているけが人の治療に当たってます」
「ではその者にも出現地点に蜘蛛の巣があるか確認させろ」
コオユイが卓上の地図の出現ポイントを。白衣指先で叩く。魔術師は一礼すると部屋を出た。
「今後のことはまた後で話そう。今は少し休んでいてくれたまえ」
巨大蜘蛛対策本部が置かれた飛行場は、滑走路や駐機場を含め、普段はない高い塀に囲まれていた。その塀の上や、駐機場や滑走路にまで見張りの兵士が周囲を警戒している。すでに山と積まれた巨大蜘蛛が、この場所も決して安全でないことを証明している。
そんな中、駐機場には様々な鳥が羽を休めていた。白鳥が二羽と雁が一羽、鴨が二羽、それからやけに煌びやかな丸い鳥が一羽。
鴨の尾羽の下辺りから小さな影が出てきた。鴨と比べると小さな虫程しかないが、もちろん虫でなくれっきとした人間。ただし人間が小さいのでなく鳥たちが大きすぎるのだ。
大海原を行く客船を腹に飲み込んだかのような腹に、ほっそりとした長い首を折り曲げてくちばしを羽毛に差し込んでいる様は、大きささえ無視すればそこらの水鳥と変わらない。
この世界では何ら特別でもない普通の光景なのだから、今更驚くのは、始めてこれを見た二人の異世界人くらいだろう。飛行船がまさか船でも飛行機でもなく、鳥であると誰が予想出来ただろうか。しかも鳥の尾羽の下が出入り口なのは想像はできても実行しようとは思うまい。初めマリーが入るのを渋ったのも孝宏だけは頷いた。
「ルイ……お前本当に生きてるんだな?」
先に通された飛行船の一室で皆を待っていた孝宏は、部屋に入ってきた三人を見て真っ先にルイに駆け寄った。顔の傷を確認し、自力で立っている二本足から綺麗な指先までを何度も往復する。
「お陰様で生きてるよ」
ルイはそそくさとベッドのある部屋の奥へ進んだ。ベッドではなく脇に置いてあるソファーにドカッと腰かけると、大きく唸るような低く、年齢を感じさせる溜息を吐いた。
生きていてくれればそれだけで良いと願っていたのが、以前と変わらずのルイがいる。それがどれだけの素晴らしいことなのか理解できるのは、この場では孝宏一人だ。
「何にやついていてんの?気持ち悪い」
ルイの辛辣な態度はこうなっては孝宏をますます興奮させる要素としかなりえなかった。




