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夢に咲く花 47

 カウルは冷たい床に座り込んだままのマリーを立つよう促した。カダンには見向きもしない。カダンの顔を見るのはなんとなく恐ろしかった。無言のまま二人でベッドに腰掛けても、カウルはカダンに背中を向け、見向きもしない。

 この時の行動を、カウルは後になり後悔するのだが、もしもこの時、カウルが向かい合って座ってカダンに注意を向けていたとしても、おそらくは機嫌が悪くなったとしか捉えなかったかも知れない。良くも悪くもカダンをよく知っているからこその思い込みがカウルを真実から遠ざけただろう。

 だが孝宏がいたならばカダンの変化に注意を向け、瞳の青い光に気が付き、違和感を覚えただろう。孝宏はそれを双子のどちらかに伝え、それを知った双子が、それの意味するところを察したかも知れない。カダンを、この場の誰よりも知る彼らだからこそ、たったそれだけでカダンの秘密を暴いたかもしれない。

 今この場に孝宏がいなかったのは、本人に自覚はなくとも、カダンにとっては幸いだったと言える。


 それから三人は、沈黙の合間に他愛のない話をして過ごしていた。時計の針がコツコツと時を刻む音がやけに大きくて、何度も時計を見る。一分が経ち、さらに五分が経ち、十分になり、二十分が過ぎ、長い針が時計を半周した。やきもきしながら、呑気に荷物を守る人精を見守りつつ、ついには一時間が経過した。

 これだけ待っても帰って来ないどころか、連絡の一つもない。無理を承知で探しに行くべきか、自然とそんな話題になっていた。行くか行かないか、話し合いの結論が出ずにると、掌に納まるほどの小さな人が、壁を通り抜けふわふわ飛んで来た。白い短髪に褐色の肌。若く綺麗な顔立ちの、男の人精だ。手足はなくカダンが着ていたコートによく似た暗い色のマントを風もないのにひらひらはためさせる。

 見知らぬ人精は三人の顔を見比べると、迷わずカダンの周囲をぐるぐる回り始めた。マリーが人精に手を伸ばすと、水中で泳ぐ小魚の様にするりと逃れた。初めは一体だったのが、一体二体と増え、あっという間に五体もの、カダンによく似た人精がカダンを取り囲んだ。

 

「カダン、これは…」


 これがカダンが放った人精でないのは明らかだった。

 カダンの人精は両手足まで作り込まれ、本人が作っただけあり本人に生き写しだったが、これはカダンよりややきつめの印象を受ける。ただカダンの人精と違い、この人精が歯を見せニッと意地悪く笑う。


「うん、俺のじゃない。誰かが俺を探してるんだ。ルイ……かなぁ?」


 カダンは自信な下げに首を捻った。俺はもっと、と人精を眺めながらぶつぶつ言っているあたり納得できない何かがあるようだ。


「どうだろう。適当に作れば……こう…」


 見えないこともない。カウルは小さい頃は良くこんな風に笑っていたことを思い出し、しかし言葉を濁らせた。

 誰かと喧嘩をするとき、カダンは決まって相手を見下すように笑うのだ。言わぬが仏、双子はカダンの恐ろしさを身に染みて知っていた。

 

「俺はこんな生意気な感じじゃないし、第一ずっと一緒に暮らしているにも関わらず、この程度しか似せられないってどうかしてる。全然似てないじゃないか」


 憤慨して語尾を荒くするカダンに、割と似ていると言えずカウルは目を逸らし、こっそりため息を零した。

 一度逃げられると、どうにかして捕まえたくなるのは人の性。マリーは二人がやり取りしている横で、何とかして人精にせめて触れられないか奮闘していた。すでに十体もの人精がカダンを取り囲んでいる。これだけいれば、一体くらい捕まりそうな気になるから、中々諦めきれないでいた。


――カダン…カダン…――


 人精が一斉にカダンの名を口にし始めた。男の声だがルイではない。初めは体に似合って小さな声だった。


「え?何?」


 初めに気が付いたマリーが手を伸ばすと、人精は一様にひらりと体を反転させ綺麗な円を描きカダンの周りをクルクル回り始めた。

 カダンを呼ぶ声は次第に大きくなっていくが、当のカダンは返事をするべきか迷っていた。相手が誰からないまま返事をして万が一相手がタツマであった時に望まぬ結果を招いてしまうのだけは避けたかった。


――カダン……で合っているのなら返事をしてほしい――


「カダン、あなたを呼んでる。ルイじゃないみたいだけど」


 マリーの声はきっと相手方にも聞こえたに違いない。カダンはため息を穿いて、いくらか気を緩めた。少なくともタツマならば不用意に知られるようなことにはならないはずだし、マリーの言う通り、確かにルイの声ではないが、カダンには聞き覚えのある声だった。カダン個人的にはあまり歓迎できる人物ではない。


「やっぱりカダンを探していたんだな」


 カダンが返事しないので、人精はカウルの呟きに反応させ体を反転させた。


――私は中央広場で会った花人と言えば解るかな?――


 カダンとカウルは互いに目を合わせ、マリーがだけが訝し気に首を傾げた。


「ヘルメル殿下……であらせられますか?」


 カダンはなれない言葉遣いに舌を噛みそうになる。ただし表情が険しいのは決してそれだけが原因でない。

 マリーはヘルメル殿下とだけ聞いただけで、ソコトラで聞いていたのを思い出し深く頷いた。公園での不審者は彼だったのだ。名前だけで察しを付けるあたりマリーは聡い。

 相手は時間が惜しいのか、前置きなしに本題を切り出した。


――ルイとタカヒロという二人に心当たりはないか?――


 カダンだけでなく皆が耳を疑った。思わぬ所で飛び出した二人の名前に狼狽え、カダンは一拍置いたのちに慌てて肯定する。


「知ってます……と言うよりも、二人は私共と生活を共にしている者たちです」


――今町中に出没している蜘蛛のような生物は知っているな?――


「はい」


 返事を返すカダンから表情が消えた。繋がらない二つの質問に頭の中で警鐘が鳴る。考えようとするのに、考えがまとまらない。いや考えたくないのかもしれない。無言で人精を見つめる、その手がじっとりと汗で濡れた。

 カウルは横目でマリーを見た。彼女は顔を青ざめさせ、浅く開いた唇がかすかに震えている。カウルはグッと奥歯を噛み、震えるマリーの手を優しく握りしめた。せめて無事でいてさえくれれば、もうそれだけで良い。カウルの人精を見る目が細く鋭くなっていく。


――我々は君たちに協力を必要としている――


「協力……ですか?でも私たちがお役に立てるでしょうか……ただの一般人ですし……」


 カダンは困惑し狼狽えた。言葉の端々に拒否を滲ませているのは、王子相手に気後れしている為だろうか。


「きっと心配ないよ。ルイが付いてるんだから、タカヒロも大丈夫だって」


「え?あ、あぁ。そうだな」


 きっと二人とも無事だ。カウルは表情は晴れないまま、俯きそう呟いた。


「え!?今のはどういうことでしょうか」


 突然カダンが声を荒げた。先程と打って変わり、悔い気味に人精に掴みかかっている。


――今のところ二人は生きている、と言った。だが話を出来る状況にないのだ。だからあなた達に協力してもらいたいと――


「ですから何があったんですか!?出来れば詳しく事情を……」


――殿下に代わりまして私が順に説明します。ですから落ち着いてください――


 人精の向こう側の声が変わった。今度は落ち着いた男の声だ。


 男は二人が巨大蜘蛛に襲われたことを、治療を受け病院にいることを、何故かルイだけが毒から回復していることを、ルイの意識が回復していない為に有効かもしれない魔術札を訊けないでいることを、ヘルメルがカダンたちのことを覚えていてナキイの話から推測しカダンたちを探していたことを順序良く丁寧に話した。


――ルイさんだけが助かったのは、病院に着く前に使用した魔術札が要因ではないかとれ我々は考えています。心当たりがあれば教えて頂きたい。今は時間との勝負なのです――


「そんなこと言われても……」


「もしかしたら!」


 知らないと答えようとしたカダンを、マリーが大きな声で遮った。

 勝手をし過ぎたカダンに双子はきつく休むよう言っていたが当の二人は、特にルイは休息もそこそこにひたすら何かを作っていた。ずっと馬車の中に押し込められていたカダンとは違い、カウルとマリーはルイが何をしていたのかよく知っていた。


「確か、色んな道具とか魔術札も作ってた。あのノートにあったのを試したいからって言って。もしかしたらその一つなんじゃ……」


 あのノートとはもちろん、双子の母オウカが作った魔術が記されたノート。今研究所にあるノートは複製で元のノートはルイが大事に持っている。


「そういや紙に何か書いてたな。あれは魔術札を作ってたのか」


「そんなことをしてたのか。人には休めと言ったくせに……」


――あのノートとは? 今手元にあるのか?――


 人精の向こうから早口で捲し立てる声が焦っているのは気のせいではない。確かではない、カダンは前置きしてから説明した。


「………………それから研究所にあるだけでなく、ルイも持っているはずです。使った魔術札をルイのカバンから出したのであればノートも取りだせると思うのですが……」


 確証はない。普段のルイは己のカバンに鍵をしていた。持ち主以外が取りだせないよう魔術を施していたのだから、魔術が綻んでいたり設定を変えていればあるいは取りだせるかもしれない。

 魔術札だけが偶然にも魔術式のほころびの隙間からこぼれ出たのだとしたらそれは本当に幸運だった。

 その綻びを利用すればノートだって取りだせるはずだが、時間がないと言った彼らがそんな面倒をするだろうか。カダンは自身の提案は無用であったかも知れないと思い直した。自分ならそんな手間取る方法よりも、研究所からノートの写しを転送してもらうよう要請すると考えたからだ。しかし相手の返答は意外なものだった。


――それは……いや、これは急を要します。鍵の魔法の壊す許可して頂きたい。外のバックは無傷とはいかないでしょうが、中身が壊れないよう細心の注意をしますのでどうか……――


「それは……」


 意表をついた返答に多少の戸惑いを覚えながらも、カダンはカウルに目配せをした。ルイの鞄はどういう物だっただろうか。祖父のまたは両親の遺品だったりしただろうか。

 目が合うとカウルは頷きながら、唇が大丈夫と言う。


「……大丈夫です」


――あなた方のご協力に感謝します。では私はこれで失礼します――


「あの!」


 会話を切られる。そう思った瞬間マリーは声を上げた。不躾なのは承知の上だが、これだけは訊かなければと焦っていたのだ。



――……!ど、どうした――



「二人は、ルイとタカヒロは今どうしているでしょうか。また襲われたりは……その……」


――そ、そなたは?――


 人精からする声が初めの、ヘルメルの声へと戻っていた。察するに先程の人物はルイの鞄の元へ急いだに違いない。

 人精の一体がクルンと反転し普通に戻り、マリーへ近づく。顔はカダンによく似ているのに、聞こえてくる声は控えめで、聞きようによっては怯えて聞こえるのがなんだか面白い。


「突然の無礼をお許しください。私はマリー・ソコロワと申します」


――マリー……マリー……ふむ、良い名だ。マリー……――


 マリーの名をぶつぶつ繰り返すヘルメルに、マリーだけでなくカウルとカダンの二人もポカンと口をあけた。

 ヘルメルがマリーを気に入っているのは、広場での出来事で察しが付いていたが、こんな時でさえ己の色恋に陶酔できるのかと呆れる。

 しかしマリーの脳裏によぎるのは、初めてこの世界に来た時、カウルに馬の名前と言われた苦い記憶だ。所変われば常識も変わる。馬は好きだが、馬の名前と思われるのを良しとするかは別の話だ。


「あの、私の名前に何か……?」


――あ!いやすまない、……彼らの様態については先程コオユイが説明した通りだ。ルイという若者は快方に向かっている。数値もほぼ正常に戻って、医者も時期に目覚めるだろうと言っていた。これでどうにかなるようなら、むしろ逆に奇跡だとも言い切っていたくらいだからな。もう一人のタカヒロと言ったか、彼女についても、状態は決して良くはないが、ほかの患者と比べると明らかに進行が遅く、長く耐えている。現在も数値が悪くなりつつあるが、今すぐどうこうなるような状態じゃないと報告を受けている。それから、今二人は安全な場所で守られている。私の護衛兵たちは優秀だ。蜘蛛からの脅威と言う点においては安心して欲しい。私が保証しよう。毒の解毒方もきっと突き止める。だからあなた方は信じて待っていてほしい――


 その奇跡が起こらないとも限らないが、マリーはひとまず胸を撫で下ろした。

 丁寧に答えてくれたヘルメルに、震え声で礼を述べたのはカウルだった。


「ありがとうございます……本当にありがとうございます」


 カウルは声に嗚咽が混じり、まともに発声できていない。

 元気でいる人精を見ても、回復に向かっていると聞いてもどうしても拭えなかった不安が、逆に奇跡と言い切った、ヘルメルの力強い言葉でいっきに溢れた。

 カウルはよく見知った三人しかいない空間で、誰にはばかることなく全身を震わせ泣き崩れた。

 カダンも目に涙を浮かべながらカウルの肩を抱き、赤ん坊にするように軽くリズムを叩く。それは数十秒後正気に戻り、照れくさくなったカウルに止められるまで続けられた。


 マリーはすっかり安心しきっている彼らを見て、胸に苦しさを覚えた。

 カウルは違うと信じているが、彼らから見れば孝宏も所詮他人なのだとしたら、自分とて立場は変わらない。そう思うと、少しだけ寂しさを感じる。人の心などあっという間に変わってしまう。マリーはそれをよく知っていた。


「あの、殿下。よろしいでしょうか。ルイの血から血清を作れないでしょうか?そうすればタカヒロだって、きっと……」


――駄目だった。回復したと聞いてすぐさま血から解毒剤を作ろうとしたのだがまったく回復しなかった。だからあの解毒魔法を知らなければならなかったのだ――


「そんな……」


 思いついた時は妙案だと思ったが、素人が思いつく程度すでに試みているのは当然だ。マリーはがっくり肩を落とした。


――うちの者たちは皆優秀だ。信じてほしい――


「いえ、殿下。出過ぎたことを申しました。申し訳ございません」


――いや気にするな。それであの……あなたは……その……どのような……その……あー……何だ……本当ならばそなたたちも彼らの傍に行きたいのだろうが、この状況下ではそれも難しくてな――


「とんでもございません。こうやって彼らの状態を知れただけで十分でございます」 


――うむ、何かあればまた連絡しよう。必要があればこちらから迎えを出す。それまで極力動かぬようにな――


「はい、解りました。二人をよろしくお願いします」


 何かあればすぐに連絡をくれる約束を交わし、マリーはヘルメルとの会話を終了した。


 人精達が役目を終え破裂するように消えていく。一つ二つと順序良く、十体すべての人精が消えるのを見届けて、三人は一斉にため息を吐き出した。


「はぁ……」


 もはや誰も喋ろうとはしなかった。

 疲労感に襲われ、マリーはベッドに横たわる。だが目を閉じても眠れそうにない。


「今のうちに休んだ方良い。カダンも疲れてるだろう?」


 カウルがカダンにも休むよう促した。


 カダンも一度はベッドに横たわった。無意識の内に固くなっていた筋肉がほぐれ伸びれ確かに気持ち良い。一度に多くの魔術を使えない体は、ここに来るまでのいくつもの魔術で酷く疲労していて、自覚すれば更には酷くなった気さえする。そのまま休もうかと思ったが、気が立ちどうにも落ち着かない。


「水でも貰ってくる」


 カダンはそっけなく断りを入れ、二人の返事を待たず部屋の外へ出た。

 二階の廊下の奥の部屋。そこがカダンたちの部屋だ。昨日宿に来た時点では開いたままのドアも多かったが、今は全室の扉が固く閉まる。カダンが聞き耳を立てずとも中で息を潜め恐怖する人々の気配が伝わってくる。

 宿の一階への階段を下りたところでカダンは、目を見開き食いしばった歯をむき出しに、誰に向けるわけでもない悪態を吐いた。


「くそがっっっ!」


 それだけで気分が納まるなら良しとしよう。しかしカダンは興奮冷めやらぬどころか、ますます息を荒くした。

 食堂と受付かねた一階の広間には十数人の人々が、普段は食事をするテーブルに座りうなだれていたが、突然聞こえた悪態に驚き一斉にカダンを振り向いた。

 そんな彼らを一瞥し何か言うでもなく、カダンはカウンターの中で忙しくする女性、この宿の主人に声をかけた。


「悪いのですが、水を頂けなでしょうか。ここまで急いできたもので喉が渇いているんです」


「良いけど……あんた見えなかったお連れさんは大丈夫だったのかい?」


「はい、別の所で避難していると連絡がありました。ご心配をおかけしました。」


 宿の主人はカダンが無理やり作る笑顔を訝し気にしていたが、結局≪そうかい良かったよ≫と相槌を打ち、コップに水道水を入れてカダンに渡した。


 カダンが礼を言って受けとり、一気にコップの水を飲みほすのを見て、水差しに水をたっぷりと注いで渡した。


「こんなもので良かったら、部屋に持っていっておくれ。あいつ等建物の中までは入ってこないらしいし、ゆっくりと休むと良いよ」


 ゆっくり休むなどどだい無理な話なのは宿の主人だとてわかりきっている。しかし彼女はそう言って皆に食事や水を配っていた。ここには逃げ込んできただけの人も多いが笑顔で接している。


「水、ありがとうございます」


 カダンは先程よりもしっかりと笑みを作り礼を告げた。






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