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夢に咲く花 42

 そうやって三人が屋根伝いに宿を目指し、初めは良かった。思った通り屋根に巨大蜘蛛の姿はなく、時折マリーが振り落とされそうになっている以外は何事もなく渡っていけていた。

 ちょうど赤い三角の瓦屋根から、道を挟んだ白い平屋根に飛び移った時だった。

 まるで誰かが図ったかのように、おおよそ着地地点に巨大蜘蛛が文字通りぬっと生えてきたのだ。カダンはとっさに体を元の人間へ戻した。着地点を少しでもずらす為と、身軽になるためだ。頭だけは上げてしっかり前を見ていたカウルも、マリーを脇に抱えカダンを踏み台に足で蹴って横に飛んだ。その拍子にカダンは着地点がずれ、巨大蜘蛛から一メートル程離れた屋根の軒先にかろうじでしがみ付いた。足で壁を蹴り素早く赤瓦に足をかけると、飛び上がって棟まで駆け上がった。

 カウルとマリーは反対側の屋根に届けば良かったが、手を伸ばしてもかすりもせず、結局三階の高さから真っ逆さまに落ちてしまった。カダンにしがみ付くのに必死だったマリーは、てっきりカダンが足を踏み外したのだと思った。頼りにしていた毛むくじゃらの背中が消え一瞬の浮遊感の後、胴をしっかり抱えられるもそれもすぐに強い力で引きはがされた。落ちていること以外解らないままのマリーが、状況を把握できたのは全身に衝撃を受けた後だった。


「キャウン!」


 地面に叩きつけられ、甲高い獣の悲鳴がマリーの下から聞こえた。見れば赤毛の大きな獣が背中を丸めマリーの下敷きになっている。


「カウル!?」


 赤い毛の獣、カウルは見た目に怪我はしていない。最も赤毛で覆われているのだから、血が出ていても単純に見えないだけかもしれないし、外に怪我はなくとも内部をやられている可能性だってある。

 カウルは短く切るように大きく息を吐き出し、それがマリーには苦しんで見えた。カウルの背中から腹に、頬から鬣にかけて優しく撫でる。


「怪我は?どこが痛い?」


 カウルは心配そうに覗き込むマリーの顔に自身の鼻先をすり寄せた。


「ああ……私は大丈夫、ありがとう」


 カウルはマリーの顔を、彼女の顔より大きな舌の先だけで舐めて、人型に戻ってからは頬に、唇に少々乱暴にキスをした。それでもほんの二・三秒の短いキス。唇が離れ、腰に回された腕が名残惜しそうに滑って離れていくのが寂しくて、マリーは追ってカウルの唇をついばんだ。


「俺も大丈夫だ」


 乱れた呼吸に苦し気に眉をひそめ、カウルはまっすぐマリーを見つめ言った。マリーはキスをするのも、それどころか顔がこれほどまでに近くにあるのですら久しぶりで、キスの感触に思わず夢中になってしまったが、今はそれどころでないのをようやく思い出し、恥ずかしさからカウルから視線を逸らした。


「そ、そう。良かった。でも歩けないなら言って、負ぶうのは難しくても肩を貸すくらいできるから」


「ああ、ありがとう」


 久しぶりのコミュニケーションを嬉しく思っているのはカウルも同じだった。マリーが警戒するふりをして周囲を見渡すのも、あからさまにワザとらしくてカウルは口元を緩めた。


「飛び降りるよ!」


 甘ったるい二人だけの世界をぶった切ったのは、当然と言えば当然か、カダンだった。マリーから見て左の建物から飛び降りてきた。

 カダンは普通の人間ならどうにかなりそうな高さから、事もなさげに二本足で着地した。背中を膝を深めに曲げただけ、彼の足と地面とが接した時は音もなく静かなものだった。マリーがあの高さから落ちても無事だったのはカウルがクッションになったからだが、当のカウルはそのまま地面に叩きつけられたはずなのに、少し苦しそうにする程度で済んでいる。


「あり得ない……」


 散々異世界に憧れ思いを馳せたマリーでも、やはり物事の基準は地球の常識であり、自分にとってこの世界は異質なのだと思い知らされる。


――giikikikikikikiiii――


 不気味な鳴き声が聞こえた。それをなんと形容してよいか見当もつかない。地を這う唸り声の様であるし、また金属が擦れる耳障りな音にも聞こえる。

 見上げると巨大蜘蛛が二匹、こちらを見下ろしていた。右側の建物と左側の建物、それぞれの屋根に一体ずつ。巨体が邪魔をして降りて来れそうもないのは明白なのに、それらは大口を開き笑っていた。


「さっさと逃げよう。やばいからっ」


 カダンはそう言ってまた狼の姿に変態しようと身構えた。背中を丸め前かがみなり唸る。カウルも立ち上がりマリーの手を取った。しかし次の瞬間三人ともが動きを止めた。カダンは小さく舌を打ち、カウルはマリーを自身の方へ引き寄せた。


――kiikikikikikiiii――


――iiiikikikikiiiiikiki――



 道幅もさほどない裏路地の、左右から巨大蜘蛛が幾体か現れた。胴に比べて小さな頭を九十度に捻り、赤目の中の小さな瞳がクルクルッとバラバラに動く。間地かに近づけば近づくほど奴らの不気味さに身の毛もよだつ。マリーはカウルの手を振りほどき、拳の中に出現させた剣を握り構えた。


「こいつら…………叩ききってやる!」


 カウルに蹴飛ばされ屋根に着地し、カダンが気が付いた時には今しがたまでいた白い平屋建ての屋根にも巨大蜘蛛がしがみ付いていた。地上を行くにしても、そこかしこに巨大蜘蛛はいるのだから、ぐずぐずしていれば集まってくるかもしれず、この時、カダンはすぐに再び屋根伝いに逃げるべきだと考えていた。

 屋根を伝って走った、僅かな間で見ただけだが、地上を行けば遭遇せずにいるのは不可能な程に奴らは我が物顔で横行闊歩していた。しかしどの個体も移動する速度は遅く、獲物を襲っている時も確実に自身の体重を武器にしていた。ならば少なくとも三角屋根にいる方はバランスを崩すのを恐れ素早く動けないはずで、やはり地上を行くよりはましなはずだった。できるだけ早くと思ったが時すでに遅し。すでに右も左も上も奴らに囲まれてしまっている。

 カダンは獣の姿になるのを諦め、両腕を左右に広げ胸を張った。


「俺は制限の一部を開放する。音を紡ぎ糸を絡め操る指を持つ、巧は神のごとく絶対を有する稀有なもの。俺は宣言する。成長を続ける見えない壁は敵意のみを通さず押しのけ、助けとなり、強固な盾となる。俺たちに届く牙はない」


 この場に六眼を持つ者がいたのならば、カダンを取り巻く魔力が膨れ上がる様子に驚いだだろう。森で賊に襲われた時の孝宏の様に呆気にとられ、あるいは見事な魔術に見とれたかもしれない。それほどまでにカダンを取り巻く魔力は常人のそれとはかけ離れており、彼の紡いだ魔術は上級の魔術師と遜色なかった。もちろん六眼を持っていなくとも、魔術に正通していなければ驚いただろう。実際マリーは解りやすく驚いていた。


「何!?何!?何が起こってるの?」


 迫って来ていた巨大蜘蛛たちが、突如じりじりと何かに押されているかのように後退し始めたのだ。それは地上にいる物だけでなく、屋根にいる巨大蜘蛛も同じだった。カダンが何かをしたと解っても、カダンが所謂魔術を使えることを知らなかったマリーは理解が追いついていかない。


「もう大丈夫……なの、か?」


 カウルは不安げにしながらも、押される巨大蜘蛛に気を緩めたが、用心の為マリーの腕掴みを引き寄せた。マリーもまた手に剣を握りつつも力を抜き、引かれるままにカウルの腕の中に納まったが、カダンだけが苦々しく唇を噛み舌打ちした。


「音を紡ぎ糸を絡め操る指を持つ、巧は神のごとく絶対を有する稀有なもの。俺は宣言する。見えない壁は敵意のみを通さず押しのけ、助けとなり、強固な盾となる。俺たちに届く牙はない。壁は決して壊れない。成長は止まらない。絶対にだ!」


 長い呪文を凝り返すカダンの表情はますます険しく、以前状況が好転していないと優に物語っていた。巨大蜘蛛たちは一匹、また一匹と数を増やし、決して早い動きでないものの確実に距離を詰めて来る。

 マリーが思うに巨大蜘蛛はカダンでなくとも人の足で逃げられそうな程鈍い。特に獣姿のカダンならあれが何かをする前に、あれらの前から消えるのも可能だろうと容易に想像が付く。それなのにどうしてカダンは彼らの合間を縫って逃げないのか、マリーは不思議でならなかった。

 ルイならまだしも、カダンの魔術ではこの場を切り抜けるのは難しい。少なくともマリーはそう考えていた。なぜならカダンの壁の魔術は、発動した傍から消えているようだったからだ。


 その為巨大蜘蛛はほんの僅か動きを止め、gitigiti鳴いたと思えば再び距離を詰めてきていた。そんなことを繰り返していた。

 カダンの顔面から血の気は失せ息を震わせ歯を食いしばっている。切羽詰まっているのは様子を見ればわかる。彼にこれ以上の余裕はない。カウルも同じように考えたのだろう。カダンに≪逃げよう≫と持ち掛けた。


「ここから全力で走って合間を縫って行こう!カダンの足なら逃げれる!これ以上は無理だ!」


「駄目だ、出来ない。理由は後で説明する。それよりも二人ともあのマンホールの所へ!早く!」


 カダンの左斜め後ろ、マリーとカウルの右側約二メートルの所に丸いマンホールがあった。鉄でできた重厚な蓋は人の顔が彫り込まれ、ぽっかりと開いた口が取っ手の、一風変わったデザインになっていた。


「でも、このままじゃ………」


「早く!時間がないのは見ればわかるだろう!?」


 まったく聴く耳を持たないカダンに対し、時間の余裕など全くない状況で、カウルの方が折れた。納得してないマリーを無理やり連れだって、二人が先にマンホールへ移動した。







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