夢に咲く花 38
シャワー室の脇、孝宏はベッドの足元にあるビニールがセットされた籠に脱いだ服を入れた。裸になった自分は胸以外はいつもの見慣れた姿で幾分かほっとする。
シャワー室の扉は木でもガラスでもない、固いが軽い素材の中折れドア。中に入るとゴム製のマットが敷き詰められた床にドアと同じ素材の壁。球体の蛇口が二つとそこから伸びるホースの先にはシャワーヘッドが取り付けられていた。
「意外なだなぁ」
カダンたちの家の風呂は使用する度火を焚いてお湯を沸かしており、孝宏にとっては古臭く感じていた。ここではそれが普通かと思っていたがどうやら違うらしい。これは蛇口を捻れば自動的にお湯が出てくる使用になっているし、白を基調としたレイアウトも孝宏の家とよく似ている。
魔力があふれるが故に、何かにつけて魔力を必要とるするこの世界において、おそらくは病人の為にだろうが、いちいち魔力を込める必要もない。孝宏にとってはこれ以上なくありがたかった。
丸い蛇口を捻り振ってきた水はすでに温かく心地よい。それ以上になんの苦労もなくお湯を浴びれることに感動する。欲を言えばゆっくり湯船に浸かって体を休めたいが、それは贅沢というものだ。
孝宏は目を閉じて、頭からシャワーを浴びた。
顔を、次に肩から腕を流し、お湯に倣って手を下へ滑らせていく。掌が肌につくかつかないか際どいタッチで滑らせていくのは、万が一毒針が付いていたとしても触れないようにするためだ。
見慣れぬ体に照れるものの、たっぷりと時間をかけて十分すぎるほど全身にシャワーを掛けていった。
長い髪をかき上げうなじを丁寧に洗い流した。短い髪しか知らない孝宏にとって髪が重いと感じたのは初めてだ。熱すぎず冷たすぎず。冬の寒さに疲れ切った身心を癒すには心地よいはずのお湯が、柔らかく頭上から降り注ぐのに何故か刺激となって肌を滑り落ちていく。
始めの内は体が冷えている為だろうと思っていたが、いつまでたっても刺激がなくならない。それどころか手足の痺れがひどくなっていっている気がする。
「ああ、気持ち悪い」
目を閉じると揺れているみたいで、よりいっそう気分が悪くなる。一体どうしたというのか。
ついに孝宏は自力で立っていられなくなり、壁に手を付き床に膝を折った。
ルイの生死にひどく緊張して、張りつめていた糸が緩んだ、というだけでは説明できない症状が孝宏を襲う。
手足が震えるのは緊張しているからではなく、足元が覚束ないのも、巨大蜘蛛に襲われたショックからでない。
「ああ、そうだった。俺……俺もアレのせいで………」
はっきりと思い出した時、忘れていた四肢の痺れと痛みが蘇ってきた。
脚の痛みは骨の髄まで達し立っているのもままならなず、腹がえぐられる様に痛く苦しい。込み上げてくる強烈な吐き気を堪えられず、ドロドロに形をなくした朝食とそれに混じる苦い液体を吐き出した。
シャワーに流され湯と一緒に排水溝に流れていく吐瀉物をかすむ視界の端に捉えながら、次の吐き気に備え膝を床に付き背中を丸め、全身を強張らせ全て吐き切ってもなおえづき過呼吸気味に息を吸った。
(俺、このまま死ぬのかな)
そんな考えが脳裏を過ぎる。
もしかするとナキイはあの蜘蛛を知っていたのかもしれない。助かるはずがないと、ルイは毒を浴びたのなら死ぬのだと。
ならばどうして薬を提供したのか疑問が残るが、ルイが回復すると思っていなかったのならばあの驚きようも納得できる。
結局ルイは回復したが、あの薬はもうない。こうなってしまば助かる方が驚きだ。
「まい……た、はっ、はぁ……笑……なっ……」
痺れは全身へと広がり、次第に熱を帯びていく肌は、毛穴がチリチリ燃えているかのようだ。たまらずシャワーを水へ切り替えるが、気休めにもならなかった。
まさかそんなはずがない。そう言い聞かせながら肌をさすってどうにか落ち着かせようとするが、次の瞬間、皮膚から火の粉がパッと吹き出し、撫でる掌を追い広がっていった。
「あっ……あっ……あぁ……」
孝宏の眼に映る炎は幻に過ぎないのだが、幻のはずの炎は慌てて払おうとすればするほど広がり勢いを増していく。記憶の片隅で肌を焼いた炎を模した蝶が舞い、思い出したくない記憶の熱と痛みが蘇った。
すでに何が現実でどれが記憶なのか区別がついておらず、皮膚の裏から引き裂かれるような痛みに声にならない叫び声を上げた。